どちら共 心に響くんです

 先日 墓前に手を合わせてきたのですが
いつもなら ただ心のままに手を合わせ小さい時から耳馴染んできた南無阿弥陀仏と声に出さずとも…なのに 今は亡き父が闘病生活で今まで仏壇すらなかった家に見たこともない位に大きなそれに手を合わせ南無妙法蓮華経と一心不乱に題目してた記憶が頭の中を駆け巡り自然と南無妙法蓮華経と呟いていた自分が居ました。横で手を合わせていた子ども達が不思議そうに私を見て ふ と我に戻ったような気持ちで家についてからも悶々とした状態でした。数ヶ月前から、何度となくハスノハに質問し、有難い回答を宗派問わず色々な角度から聴かせて頂き、座禅会や供養で敷居が高いと遠慮していたお寺にも足を運び 随分と穏やかに過ごせるようになった今 菩提樹もなく仏壇もない自分ですが 一つの宗派にとことん向き合い毎日を丁寧に生きたいと強く思うようになりました。 ただ一つに決める事が出来ず身近な信頼してる人の話しを聞いたり足を運んだりしながらも本を読んでみたり…良いとこどりのズルイ信心だねと
、からかわれたり…  しばらく、こんな状態が続きそうで ごめんなさい、コチラで愚痴らせていただきました。 ハスノハは、こんな中途半端な私の拠り所となり有難い居場所です。 

有り難し 32
回答 3
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

朝題目に夕念仏

もっくぅ様
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。

ご自身は南無阿弥陀仏のお念仏が耳に馴染み、しかし亡きお父さまは南無妙法蓮華経のお題目を大切にしていらしたのですね。

突然ですが、先日こんなご葬儀がありました。
私は浄土真宗の僧侶なのですが、知人のお寺から葬儀手伝いの依頼がありました。当然浄土真宗の葬儀だったのですが、式場に行ってみると故人の遺品に「南無妙法蓮華経」と書かれた品々があります。

事情を伺うと、家の宗教は浄土真宗で、それも大切にしていたけど、故人ご自身の信仰としては日蓮宗系の立正佼成会にあったとのこと。遺品を手に取ってみると、一所懸命に学び、手を合わせていた様子が感じられました。

私は故人の信仰も大切にしたいと思い、法話で「お念仏とお題目、両方とも一緒にとなえましょう」と呼びかけました。すると参列の皆さまも声を合わせて頂き、喪主である奥さまは涙をながしていらっしゃいました。

話を戻すと、もっくぅ様の口から念仏が出てくるのも題目が出てくるのも、どちらも自然なことではないかと私は思うのです。どちらも心に響くというのなら、どちらかを捨てねばならないということも無いと思います。

仏教に触れたり学んでいく中で、ご希望の通り「一つの宗派にとことん向きあう」ご縁が整えば、そのようになることもあるでしょう。それまで今までのように、色々な宗派・お寺・僧侶に触れ、多くのことを感じて良いのではないでしょうか。

もちろん、何か一つを選び取ったからといって、それ以外を否定するのは良くないことだとも思います。あくまで自分にとって、何が最も合うのかということだと思います。

上記エピソードの詳細です
http://753an.blog.so-net.ne.jp/2016-08-02

★お礼を拝読して
自由に宗教を選べる、複数を味わうことが出来る、というのは日本の良さだと思います。みすゞさんの詩のように穏やかに、肩の力を抜いてお過ごし下さい (^人^)

1年1ヶ月前
回答僧

大慈

ええとこ取りでええじゃないか

良いとこ取り?何が悪いのでしょう?良いとこ取りこそ多神教の神髄です。そうでなければお伊勢参りなど流行するわけがありません。各宗派の本山参詣という形で流行したに違いありません。良いとこ取りでええじゃないか、ええじゃないか。

お釈迦さまは仏教の開祖です。ところがどっこい、ヒンドゥー教でも3つの最高神の一角、ヴィシュヌ神の24番目の化身です。ヒンドゥー教徒だってお釈迦さまを拝んでええじゃないか、ええじゃないか。

日本の七福神の大黒さん…七福神と言うと何となく神道っぽいですが、ところがどっこい、大黒天さまは仏教の神様なのです!「何々天」というのは仏教の守護神のことです。
そして大黒さまは神道側としては大国主命(オオクニヌシノミコト)なのであります!大国主命といえば日本神話の「国譲りの神」です!ビッグネームです!
そしてそして大黒さまはヒンドゥー教側としてはなんとなんと3つの最高神の一角、シヴァ神の化身です!!!ヒンドゥー教としては大黒さまとお釈迦さまは同格なので……しょうか?そんなことまで私は知りません!
仏教と神道とヒンドゥー教でみんな一緒に拝んだってええじゃないか、ええじゃないか。

私の宗派は曹洞宗です。曹洞宗の称名は南無釈迦牟尼と言われていますが、お坊さんが実際にお唱えする通な称名は「十仏名」です。

「1.奈良の大仏・ビルシャナ仏、2.影が薄いよ・ルシャナ仏、3.言わずと知れた・釈迦牟尼仏、4.未来のヒーロー・弥勒仏、5.全方向・過去現在未来・全ての仏様(十方三世一切仏)、6.実は登場・南無妙法蓮華経、7.智慧のヒーロー・文殊菩薩、8.慈悲のヒーロー普賢菩薩、9.やっぱり定番・観音菩薩、10.スーパー菩薩戦隊・全員集合(諸尊菩薩摩訶薩)、11.仏法の代名詞・摩訶般若波羅蜜

本当にお唱えします。いや、もっとちゃんとした漢文ですけど。阿弥陀仏さまも5番目に含まれます。禅宗だっていろんな仏さまやお経を拝んだってええじゃないか、ええじゃないか。密教だってマンダラの仏さま全員拝んだってええじゃないか、ええじゃないか。

そう、THIS IS 多神教!
いろいろ拝んでええんです。Yes,We Can!!
だからこの辺は宗教戦争があまり無いのです。Love and Peace.
ピースのつづり分かんないと思ったら「ぴーす」で変換できたよ。thanks jobs

1年1ヶ月前

ゴールである「悟り」へと向けて

もっくう様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

八万四千の法門と言われますように仏教の教えの入り口はたくさんございます。

途中でもちろん道が交差していたり、分かれ道が一本道になり、また別れることもしばしばです。

でも目指すところのゴールは、一つ、「悟り」です。

「悟り」へと向けて、仏教のよいとこどりも、もちろんアリであると存じます。

拙生も色々と今はまだよいとこどりをしていっていますよ。。

ただ、問題は、何でもかんでも受け入れられるほどの器でなければ、食べ物と同じでいずれ消化不良してしまいかねません。

まずよいとこどりをしていく意図で、できるだけ仏教全体を概観、試されていかれた上で、いずれは、絞っていくことも必要な時期が来るかもしれません。

色々と寄り道をしてしまっていては、今生における時間がなくなってしまうという感じになりますでしょうかね。

拙生も、そろそろ道を絞らないといけないかもと実感しています。

川口英俊 合掌

1年1ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

 浦上 哲也さま 

今は自然に身をまかせ ご縁が整うその日まで
手を合わせたいと思います。
HPも拝見させていただき色々と勉強にもなりました。金子みすゞ様の本は子育てしながら絵本のように読み聞かせしていました。
ほっこり楽しかった懐かしい時を思いだしました。有り難うございます。

 大慈さま 有り難うございます

今は自然に身をまかせ ご縁が整うその日まで 
Love&Peace ええじゃないか教でいますね。

 大慈さま 有り難うございます
今は自然に身をまかせ ご縁が整うその日まで 
Love&Peace ええじゃないか教でいますね。

 川口 英俊さま 有り難うございます
生きていくなかで何で今まで仏教に触れた生活をしてこなかったんだろう?と その分いま溢れんばかりの想いで仏教を深く生活に活かして丁寧に生きたいとハスノハに質問ばかりでした

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