苦しいです
何度も 相談させていただき お坊さま達から お言葉をいただき ありがとうございます。
でも私は 甘いんですね。逃げることばかり 考えてしまいます。 毎日 毎日 朝 目覚めてしまう事が辛い。負の感情が溢れてきて 死にたい 死にたい と考えてしまう。死ぬ勇気が欲しい。
私は、何の為に生まれてきて 生きているんでしょうか。 私なんかより 苦しくても頑張っている人たちもたくさんいて 病気に負けないで戦っている人たちもたくさんいて それなのに私は 情けない。死にたいばかり考えてしまい、苦しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分を嘆く必要はないですよ。
こんにちは。浄土真宗の藤波と申します。
死ぬ勇気………、この言葉を私も何度つぶやいたことか。でも、死ぬ勇気がない。その結果、生き長らえてている今がある。そんな感覚ではないでしょうか。
死にたいばかりの気持ち、よく解ります。多分、私もある存在がなければ、出口の見えないトンネルの中の暗闇にたたずんだままだと思います。
今だって、時として、消えて無くなりたい衝動にかられます。スーパーマンじゃない、煩悩を山ほど抱え込んだ凡夫です。
浄土真宗を開かれた親鸞聖人が、こんな和讚を詠んでおられます。
無明長夜の灯炬なり
智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり
罪障おもしとなげかざれ
※漢字読み仮名
無明長夜(むみょうじょうや)
灯炬(とうこ)
智眼(ちげん)
生死大海(しょうじたいかい)
船筏(せんばつ)
罪障(ざいしょう)
苦しみ悩みの真っ暗な世界の中で、
阿弥陀仏は足元を照らす灯火であり、
あるいは冷えた手足を暖めてくれる存在である。
智慧に優れた目がないと悲しむ必要はない。
阿弥陀仏の慈悲は、苦悩の大海原を越える船であり、いかだでもある。
罪深い自身を嘆く必要はないのだ………
大体、こんな意味合いだと思います。
出口の見えないトンネルの真っ只中に在る、私であり貴女ではありますが、今、「無明長夜の灯炬」を見つけようとされています。
辛い時、私はこの和讚が頭に浮かびます。
少し、頭の片隅に入れておいて下さい(^^)。
少し感覚が変わると思います。
先は真っ暗かも知れません、でも、足元には灯火があります。つまずく心配は緩和されたと思います。
人間逃げたい時は、仏さまのひところへ逃げ込めば良いと信じて止みません………。
質問者からのお礼
藤波様 ありがとうございます。
教えていただ
藤波様 ありがとうございます。
教えていただいた、和讃をノートに書き写して、読んでいます。 ありがとうございました。