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人に何かを教える時の心持ち

回答数回答 3
有り難し有り難し 34

初めまして少し前にあった事です。
先日、私の職場で入社されて3ヶ月程の方が退職されました。
この方はお世辞にも仕事の習熟が良いとは言えず他の同僚から指導や業務の中で怒られているのを見てもいましたし私自身も口頭で注意をしたり致しました。返事は良いのですが覚えてない事も多くの職場の空気は重く最悪でした。
そしてこの方が退職される時に「周囲の同僚にいじめられた」とおっしゃっていたと他の部署の方から伺いました。
色々な人を教えて来た中で初めての事で少しショックでは有りました。
しかし《人に教える》という事に向き合う機会では無いかと考え色々な書籍なども読んでは見たもののイマイチ考えがまとまりません。
人に教える時はどの様な心持ちでどのように教える人物に対して向き合って行けば良いのでしょう?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

チームワーク

アルバイトですが20人ほどの部署のリーダーをし、人財育成計画も立てていました。その時のノウハウです。

厳しく叱る必要があるなら教える側の役割分担をすることが大切です。私が叱るからあなたは優しくフォローしてあげてね。あなたが叱るなら私がフォローいれておくよ…というように。
「彼(彼女)はあなたを嫌いだからああ言ったわけじゃないんですよ。あなたに成長して欲しいから言ったの。あなたに期待しているからああ言うの。」としっかり伝えるのが大切です。教える側としては当たり前のようですが、案外に言葉にして伝えないと伝わらないものです。

また、私は日頃から「なぜそうしないといけないのか」を丁寧に伝えることを大切にしていました。『教える』『指導する』という言葉は使いません。『伝える』です。相手にちゃんと伝わっていることを確認するのが大切です。
全体の流れの中で見れば何事も「アッチを取ればコッチが付かず、コッチを取ればアッチが付かない」ものです。その中でどうしてこういう判断になるか、どうしてこうする意味があるのか、時にはこうせざるを得ないのか、それを伝えるのは一見非効率なようですが、それだけでモチベーションが変わり、生産性も成長速度も上がります。
これは修行道場でもそうでした。修行生活に耐えられず逃げ出す人は、その『なぜ』が分からずに出て行き、自分を正当化するため「いじめられた!本山は腐敗している!」と言います。逆になぜを理解できる人は前向きに頑張ります。そしてそれを教えてくれる人に心酔することさえあります。

しかし、なぜを伝えるには絶え間なく十分な学びが必要です。結局は『教わる側から伝える側にすることで人は変わる』というのが私の信条です。興味深いことに、一言一言いちいち反発する人でも、教える側になった途端、自主的に組織の方針を理解しようとし始めることが多いです。『教えることが出来ない自分』が嫌だからです。

最後に、あなたの頑張りは絶対に評価しますよという思いを伝え、有言実行することです。難しいんですけどね。。。私は大学のゼミで組織行動論(産業組織心理学)というものを専攻していましたが、その時の教授の口ぐせはこうでした。「あなた達がリーダーになった時、優秀なリーダーである必要はないんですね。ただ、公平なリーダーであって下さい。そうすれば組織のパフォーマンスが上がるでしょう」

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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感情をのせないこと

教える相手の方をリスペクトすること。これは重要です。相手の気持ちを尊重すること。年下、後輩、子供であってもこれは同じです。覚える速度は人によって違います。感情的に教えても仕方がありません。何度言ってもわからないこともあるでしょう。しかし、それはそれ。感情が指導の上にトッピングされると、相手はイジメと感じることはよくあります。
イライラしている時は、指導しないことです。冷静な時に教えてあげましょう。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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教え方に正解はない

はじめまして。亀山純史と申します。

書店に行けば、受験参考書が色々ありますよね。もしも、教え方が1つしかなければ、数多くの参考書は発売されていないでしょう。予備校や学習塾にしてもそうですよね。それぞれの学校が、それぞれ独自の教え方でもって、生徒に教えているのです。これらのことを、教わる生徒の側に立って考えれば、Aという参考書ではしっくり来なかったことでも、Bという参考書で、今までもやもやしていたことがくっきりする、ということがあるということです。そして、その逆も人によってはあるわけで、Aという参考書のほうが自分には合っている人もいるわけです。ですので、教える際には、相手に対して真摯な態度で臨んでも、自分の教え方は万能ではなく、相手によって自分の教え方が上手くいくかもしれませんし、上手くいかないかも知れないのです。常に「対機説法」と言えるでしょう。

私は普段は高校で教員をしていますが、常に教材研究を行っています。毎年同じ内容を教えるにしても、同じ学校での勤務でも、教える相手が異なれば、その教え方を考えていく必要があるのです。(常に、教え方を変える、ということではありません。)また、同じ生徒を相手でも、よりよい教え方はないかは、常に考えていきます。

以上が私からの回答です。ご参考になさってみてください。

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おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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質問者からのお礼

お忙しい中お返事ありがとうございます。
そしてお礼の方が遅れて申し訳ありませんでした。
お昼位にお返事を拝見して教えるいう事が大切ではなく伝えるという事が大切である事
相手の事を尊重し冷静に教え伝えなければ行けない。
そして自分自身もまた学び考えていこうと思いました。
ふと思い出したのが自分が今の仕事についた際に教えてくれた先輩の事でした。
物凄く怒られてあんな先輩になるものかと思っていた自分が後輩からそう思われていたと反省します。
最後に立ち止まり考えるキッカケをくださった御三方にありがとうございます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ