楽しむのが恐い、冷静に外を歩きたい
いつもお世話になっております。
何かをして「楽しい」と思うのが恐くてたまりません。
休みの日に家でパソコンの前に座って趣味のイラストや文章を書こうとすると、自分の心の声に
「何やってるの」「甘えてはいけない」「立場を考えなさい」
そう責められているような気がしてつらいんです。
そしていたたまれなくなって外に出ます。
ですがある時はカフェレストランの店員が私を指さしながら
同僚と笑っていました。
またある時は電車の中や駅のホームなどで、私のことを上から
下まで鋭い目つきでなめるように見てくる人、
振り返って見てくる人に遭遇しました。
そういう思いをするたびに、
「私はいたら迷惑なのか」「怪しまているのか」「どうすれば…」
と悩みます。
最近なんかは、就労支援プログラムでお手伝いに
行ったある施設の関係者さんが、
「おいくつ?」「学校行ってるの?」「普段は何をしているの」
など根掘り葉掘り聞いてきて、私のほうからご質問をすると「えぇ?」と聞き取れないふり。
こちらの支援者さんがすかさず捌いてくださり
「つらくなったら帰ってもぜんぜん構わないよ」とフォローして
くださり事なきを得ました。
*
「迷惑な人」「優れた人」「普通の人」の線引きがわかりません。
私は、行く先々でどう振舞えばいいのでしょうか。
本当に苦しいです。どうかお知恵をお貸しください。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大丈夫ですよ!
拝読させて頂きました。周りの人たちの見る目に恐怖感を覚えていらっしゃる様に感じました。
私はそれはあなたが過敏になっておられるように感じました。
確かに人から見て自分は劣っていたり気が利かなかったり物事上手くできなかったりはします。
でもみんな最初からできたわけではありませんよね。
自分も含めてみんなそんなに優秀じゃないんです。
みんな本当に言うほど立派にはできません。
ですから人から其れ程言われる筋合いはありません。
安心してくださいね。
あなたはこれから研鑽を積んでいき経験しながら成長なさっていくのです。
つまらない人々の口さのない話など放っておいてくださいね、そして自分のやるべきことに対して集中なさってくださいね。
あなたを心から応援していますね!
どうかがんばってくださいね!
質問者からのお礼
kousyo Kuuyo Azuma 先生
ご回答ありがとうございます。
はい、その通りです。幼いころに受けた発言、態度、いやらしい視線…そして、「これができたらこっちも絶対に」とい謎の完璧信仰、プロパガンダがまだ抜けきっていないのかもしれません。
実は今日、後見人とナビゲーターさんが一緒に病院に来てくれて、診察に同席してくれます。
後見人にもたくさん心配をかけているので、洗いざらい私の気持ちと、
今後どうするかを真剣に話し合ってきます。
*
報告です。
病院、行ってきました。待合室につくと、後見人から震える私に低い声で
「心配しなくてもいいよ」と声がかかりました。
診察では、一番幼い記憶から今に至るまで、聞かれたことを
すべてお答えしました。何が今一番つらいか答えたところでタガがはずれ、
お医者様もいらしたので謎の安心感に身を任せて後見人を鋭い目つきでにらみつけて、
今まで私にかけてくれた言葉を蒸し返し、暴言を吐いてしまいました。
診察室を出ると急に悲しくなって、後見人にやっと、本当の気持ちが伝えられました。
「ほんとうは、心配をかけたくなかった。こんな形で終わらせたくなかった」
涙を堪えるために目を背けていましたが、向き直ってハッとしました。
怒るでもなく、悲しむでもなく、笑顔でした。たまらず、懺悔の気持ちでいっぱいに
なり、涙が溢れだして合掌礼拝しそうになりました。
誰かが言っていた、「許されるからこその心からの反省」まさにこの事だと思います。
この気持ちと、今この世界で念仏のみ教え、様々な仏様に出会えた事とを心から感謝して、
今の自分のなすべきことをしっかり意識して生きていきます!
南無阿弥陀仏、ありがとうございました!!