夫との価値観が違いすぎて、しんどいです。
宜しくお願いいたします。
夫との結婚生活がつまらないです。
夫に生活をさせてもらってるのはよくわかっています。
毎日、平凡ですが、普通に暮らせて感謝の気持ちも持っています。
ただ、結婚当初の借金はすべて返済したのですが、ブラックリストに載ってしまい、住宅も、車も買えません。
借金で夫婦関係も嫁姑関係も悪く、夫と結婚して幸せだと感じた事は一度もありません。
私の同級生や、ママ友は、お金持ちも多く高級マンションや一戸建てに住んでいたり、子供も二人、三人つくり平和に過ごしています。
私はうつ病なので、薬を服用しているので子供はつくれませんが、夫の子供はもうほしいとおもいませんが、ママ友など妊婦さんを見ると普通に二人目とか考えられていいなあと思ってしまいます。
私は夫の生活水準の低さや考え方に尊敬すら感じません。
上見ればきりがないですけど、私もせめて少しぐらいお友達に羨ましいと思われるような生活がしたいです。
そう思う事はいけないことですか?
夫と価値観が合わないので疲れる。 考え方が合わなすぎて、結婚生活がしんどい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「最上」か「無上」か
これまで借金の返済やうつ病を抱えながらも夫婦生活、家族生活を送られてきたのですね。なんとかかんとかここまでやってこられたのですよね。
それってお互いがお互いをどこかで尊敬していないと成り立たなかったのではないですか?
とはいえ、現在は尊敬もできないしつまらないと感じてしまっているのですね。
しかし、
「私もせめて少しぐらいお友達に羨ましいと思われるような生活がしたい」
と思う事はいけないことではありませんよ。
私たちには思想及び良心の自由が保障されています。内心は誰にも侵されることはないのです。
だからどうお考えになってもよいのですよ。
問題は、
それってしんどくない?
ってことだけです。
そのようにお考えになることでご自身が辛かったり苦しかったり満たされなかったり空しいのであれば、それは違った視点が求められている、いや実はご自身でもお求めなのかもしれません。
逆に、上の生活を見て想像したり、羨ましなあと思う事でご自身も幸せな気分で満たされるのであればそれこそなんの問題もないのです。
上には上が…といいますが、そういう一般世間の価値観で我々が目指すものは「最上」です。一番てっぺんということです。ですがそれっ「お山の大将」であって比較の世界を出ない価値観です。山の頂上にいられるのは同じ山を目指す人が下にいてくれるおかげで上で威張らせてもらってるだけの話です。誰もその山に登ってくれなかったら成り立たない、比べるものがないと満足できない空しい世界です。
仏教が目指すのは「無上」です。「この上なく」「くらべることなく」そのものがそのものとしてそのまま尊いという世界です。誰にも左右されることなく自らの尊さを見出し、相手にもそれを見出す。天上天下唯我独尊です。
さてどちらの道がお好みでしょうか。
上を目指すことはけしていけないことではありません。自分が本当に満たされる道を求めてください。
質問者からのお礼
ご返答どうもありがとうございました。
私はよく人の事が、羨ましいと思ってきました。そして、自分に自信が持てずに人の意見に流されて生きてきた気がします。
でも、夫と結婚してから、こんなはずじゃなかったのにという気持ちで、私がもうちょっとしっかりしていたら借金のあるような人と結婚していなかったんじゃないかと思ってしまいます。
今は職場や、幼稚園での人間関係に恵まれ
楽しく過ごせていますが、夫の顔を見るとがっかりします。
人と比べてこのまま過ごすつもりはありませんが、いつか自分に自信が持てたときもう少し自分が満足できる生き方がしたいと思います。
どうもありがとうございました。