これからの生活・頑張るとは
何回も投稿させていただきます。以前の投稿と被るのですが辛いのでお話だけでも聞いていただきたいのです。
まず今の私の状況ですが、
数年間無職でどうでもいい人生を送ってきました。それこそどうにでもなれ、死んでも関係ないくらいな気持ちでした。
数ヶ月に、私はお酒を飲まないのですが、たまたま誘われた飲み会みたいな時にとてもいい人と出会いがあり勇気出して連絡先を聞きました。
その人と一緒に遊びたい、知りたい、恋愛したいと思い、邪な気持ちですが数年ぶりに勇気出して仕事を始めました。とても怖かったですが何と仕事が決まり今研修中です。
そのうちにその人とは連絡取り合ったりしましたが、よく思われてないらしく食事等誘ったりしても忙しいや予定空いたら連絡するね。等を言われ連絡もなくなり、俗に言う脈なしということを聞かされました。
恋愛なんかしたことない私でしたが今回本気で好きになり、年齢的にも遅いですが頑張ろうと仕事を探したり服装とか気にしたり行動をはじめてみましたがこのようなことがあり、ぽっかり穴が開いた気分で毎日身が入りませんし、始めた仕事も苦痛でしかなくなってきました。どうせなにもないなら辞めてまたダメな生活に戻ってふさぎ込みたいと思うようになりました。
周りの知人はいろんなこと頑張れと言いますが私の今の気持ちとしては、『頑張ってみたってダメだったじゃないか』と言う気持ちです。
趣味等もやる気でないし、ご飯もおいしくないし、寝れないし、生活してるのが苦痛です。
だめなことはわかっているのですがこれからどうしたらいいでしょう?
仕事、生活どうしたらいいかわからず、とても辛いです。邪な気持ちで始めた仕事のはだめですね。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
邪なものかッ!
人が人を愛することを邪とはなんですか!ヽ(`Д´)ノプンプン
修行僧にでもなったつもりですか!
もし本当に人を愛することを邪心だと思うのなら出家なさい。
僧侶が修行で性欲を制限するのはそれに夢中になって思考が固まり、良い方向に向かわないからです。
貴女の愛は貴方を無気力な生活から脱出させ、お仕事を始める切っ掛けを作ったのではないのですか!
欲は人のガソリンです。
性欲はなくても個人が生きていくのに支障ありませんが、食、睡眠、排泄の三大欲求は修行中の僧侶でも満たさなければ生きてはいけません(例外はありますが)
逆です。
欲を悪く言うのは日本人の悪い癖なのです。
もっと欲を持ちなさい。
欲にとらわれ、他人を思いやれないことを煩悩と言います。
貴方は煩悩にも達していない!
まずは貴方自身の欲をしっかりと掴みなさい。
それが生きているということです。
まずは生きなければ話になりません。
恋愛の話に参りましょう。
貴方が彼女の目に止まらないのは当たり前です。
無気力な人間を好きになるほど女性は甘くない。
世の男性たちが、みんな初恋を叶えてきたと思うのですか?
失恋は辛い。
私にだって失恋の経験くらいはあります。
目の前は真っ暗になって、その日は友人との約束も断って自宅で抜け殻となっていました。
頑張ったなら、頑張った分だけ失った落差で落ち込んでしまいます。
貴方は彼女のお陰で仕事をはじめたのですね。
人間、動き始めが一番力を使います。
その労力、計り知れないほど大きなものだったでしょう。
しかし、苦ではなかったはずだ。
まるで、マラソンを10キロ走った時点でゴールが無くなってしまったような、戻るには遠く、最初の目的地はもっと遠い。
そんな心境でしょう。
でも、その10キロ走ったことは苦ではなかったはずだ。
そして、走った分だけ貴方は変わったのです。
変わったという事実だけが残ったのです。
世界は変わりません。
変えられるのは貴方自身だけです。
その貴方が変わったのです。
焦らないで
貴方が変わったのだから、これから新しい出会いがある。
仏教の基本、『諸行無常』とは”全ては変わっていく”という意味です。
貴方は貴方のままではない。
変われる。
そして彼女のお陰で変わったのです。