「みんな悩んでるから」をいい方向に捉えたいです
私は元々不安を感じやすいたちでよく母に弱音を吐いてしまいます。
母に負担をかけてしまい申し訳ないと考え、なるべく言わないようにと心がけていますが、やはり所々でポロポロとでてきてしまい、その度に母に話しをしてしまいます。
いつも話しを聞いてくれて感謝しても仕切れないほどなのですが、たまに「辛い(悩んでいる)のはマンボーだけじゃないんだよみんな一緒なんだよ」と言います。
私への励ましということはわかるのですが私は「私だけじゃない...みんな一緒なんだから我慢しろってことかな?」と考えてしまいます。
励ましてくれてるんだろうとわかるだけあってそういった考えをしてしまうのがとても心苦しいです。
「みんな一緒」とはどういった心境で相手に言うものなのでしょうか?またどういった考えで言葉を受け取ればいいでしょうか?
普段は ・他人と自分を比較してしまう ・辛いとすぐに泣いて人を頼ってしまう ・ストレスに滅法弱い 今は ・受験がうまく行くか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
我慢しろなんてお母さんは言いません(^^)
お母さんは「我慢しろ」とはいってませんよ(^^)
大丈夫です。あなたの味方です。
しかし、他の人も多かれ少なかれ悩み苦しんでいるのです。そこから抜け出したいと思いつつ、外ではなんにもないかのような顔で平然と生きています。
お坊さんをやっていると様々な家庭内の様子を聞きます。みんな何かしら抱えています。「そんな自分だけなんて思わず明るく行こうぜ。笑顔を見せて」そんな気持ちでしょう。お母さんも悲しくなっちゃうもんね。答えの出ない悩みは考えても仕方がないから、「明日は明日の風が吹く」そんなもんですから、「ちいさいことはキニスンナ ワカチコワカチコ」なんて言っている人もいましたが、かる~く流しておきましょう。
笑顔で空をみあげてください。大きく息を吸って、明るくなりますよ。
何とかなること、ならんこと。
そうですよね、確かに皆んな誰しも、悩んでいること、辛いことに直面しています。
現に私もそうです。でもまず第一には、「何とかなること、はする。何とかならんこと、は取り敢えず放置」にして、「出来る、工夫すれば何とかなるんじゃないか」と思えるものに注力します。
つまり、「悩みや辛さ自体の見極め」です。実は、それを意識するだけで結構楽になっていくものですよ。
有名なのでは、「ニーバーの祈り」というのがあります。キリスト教の方ですけどね。実際には、読んでみてください。
問題は、「何とかなりそうな事案(A)もあるのに、何ともなりそうもないこと(B)で頭がいっぱいになって、(A)に取り組まない、ということです。そんな状態になっているか否かは、実は周りからの方がハッキリ見えたりします。宗教は「仏様なり神様の視点を持って」とよく言いますが、それはこういったことなのです。
どうか一度、調べてみてくださいね。
質問者からのお礼
ご返答ありがとうございます。
なるほどそういった気持ちでかけた言葉だったんですね...やっと理解ができました。
そうですよね...少し考えすぎていたのかもしれません、今後は流せるよう努力していきたいと思います。
追記
ご返答ありがとうございます。
悩みの見極め...確かに今になって思えば遠い将来の不安ばかり持っていた気がします。
どうしようもない事にに気を取られて今やるべき事に手をつけられなかったら人生いい方向にいきませんもんね...少し悩み自体に目を向けてみようと思います。