性同一性障害、男から女へ。懺悔させてください。
私は性同一性障害の者です。
誰にも話せる人も聞いてくれる人もいないので、どうかここで懺悔させてください。
私は自分の自覚は女性なのに、男性の体に生まれ、悩み苦しんできました。
家族から理解されず、そのうちに、「なぜわからないのか。親なら子供を幸せにするのが義務ではないか!私が女性になるようなぜ手助けしてくれないのか」と恨むようになりました。
そんな時にある出会い系サイトにはまり、そこで女性として扱ってくれる男性たちにすっかり依存してしまったんです。
私は女として扱ってくれる彼らの言うままに性行為をしていました。とにかく私は女と認めてもらえたようでうれしくて、それがただ単に彼らの性的な欲求の捌け口なだけだとはわからなかったんです。
とても汚らわしい行為をたくさんしました。
携帯で画像や動画も撮られました。心のどこかで「ヤバい」と思いながらも、それで喜んでくれるならと…。男が性的に欲情するのが女、と言う考え方になっていたのかもしれません。
私は本当にどうかしていたんです。
けど女に!女に!私は女!女として扱ってくれる人が最優先!女として理解してくれる人を信じる!!と、出会い系で会う人と性行為を繰り返していました。動画を撮らせたり、自分でホテル代をだしたり、公衆トイレで性行為だけする人もいました。
今、私は家族が理解をしてくれたおかげで、体も戸籍も女性になり、女性として働いています。
そうなったから思うのでしょうけど、私が女の証だと思っていたそれらの行為は、ただの男性的な性感情が元になっている女性像だったなと深く後悔しました。
どこの誰ともわからない人と行為をし動画や画像を撮らせていた自分が本当にバカだったと思っています。
せっかく女性になり女性として生きているのに、あの頃の画像や動画がどこかに残っているかもと思うと、後悔をします。
しかし、過去は変えられないし、自分の責任です。何かが起こっても自因自果です。
その時はそうして自分の精神をなんとか保っていたのかもしれないし、やり方は間違いだらけでも自分はその頃は必死に生きていたと思います。
その人たちといたら私は楽しかったんです。その頃は。
もう、あの頃の私ではないですが、あの頃の私が今の私の足を引っ張るのも事実。
何かあっても私は知らぬ存ぜぬ、それは私ではない、で貫き通します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自然体で自分を大切に
いろいろあったのですね。私も若いころは女性として認めてもらえるのがうれしくて、男に抱かれたりもしました。けれどもあくまで彼らの性的欲求のはけ口でしかなかった。ほんとの恋愛はできませんでした。今は僧侶になってしまいましたので性交はしません。したいとも思わなくなってしまいました。
けれどもいい伴侶を見つけてる方もおられます。無理せずにあなたなりの自然体で、生きていかれればいいと思います。いい伴侶に出会えるかもしれませんし、私のように弘法大師という伴侶を得て出家するのもありです。
せっかく、身体的にも女になられたのですから、一からの出発をなさってください。
私もそこまで行くのが大変でしたが、今は幸せに暮らしております。
質問者からのお礼
昔から自分の心との対話は得意だったのに、心の中の大切な自分に気づくのが遅すぎました。
今は自分の心に、とにかく誤って生きています。
自分が自分を許せるとき、新しくスタートできそうです。
ありがとうございました。