暴行を受けて裁判をするか悩んでいます。(仏教を学ぶ者として)
ご相談させて頂きますハルソラと申します。
約4カ月前に会社内で同社員から些細な口論をきっかけに一方的な暴行を受けて、顔に5センチの引っ掻き傷を負い、いまだに傷跡が残っています。
会社からは警察に被害届を出したら、私も処罰の対象とすると言われ、警察は呼べませんでした。ちなみにその加害者からの謝罪もありません。
当初は会社の意向(圧力)もあり、私も怪我がすぐに治れば穏便に済ませようと思っていましたが4ヶ月間も傷跡が残り、いまだに消えないのを見ると強く憤りを覚えてしまいます。
警察に被害届を出さないまでも民事訴訟で治療費、慰謝料の請求を考えています。(60万〜300万。今後の傷の残り具合によります。)
私も少なからず仏教(神道も)を学んでいるので、「もし私が本当に幸せに穏やかに生きたい」のなら訴訟など止めるべきだと思います。
しかしながら私の愚かな自我(エゴ)がどうしても相手を許せず、このままだと争いを拡大させて、とことんまで行ってしまうでしょう。
慈悲と自戒の心が大切と学びながら、争いによって相手を半ば破滅に追い込もうとしています。
私はどうしたら、怒り憎しみ恨みの気持ちを乗り越えて、穏やかな心を保つ事ができるのでしょう。
お坊さまの智慧を授けて下さい。よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大岡越禅
時代は本当の正義を求めています。
本当の正義の為にこそ訴えを起こすということは悪いことではありません。
国のトップと言えど「人間」です。立ち向かえっ!
人間はその人間が悪さをすれば、仮に裁判で勝訴敗訴のジャッジがあっても、その人の罪は罪なのです。
社 員「ハハッ!金さん…?はて。そんな者は知りませんな!👿本当に金さんなんて人がいるんなら、ここに連れてきていただきましょか!(# ゚Д゚)」
社 員「そうだ!金さんって奴を連れてきてもらおうじゃねえか!なあ、みんな!」
金さん「(# ゚Д゚)じゃかましいやい!おう、そうかい、そんなに言うんなら、拝ませてやるぜ!!…この見事に咲いた遠山桜…、忘れたとは…あれ?服が脱げない…!そうだ、加圧シャツ着てるから…」
女性社員「キャー!セクハラですッ!」
(; ゚Д゚)え!
オー、人事、オー、人事。
さて、時代は本当の正義を求めています。
会社にも問題がありますね。
あなたが本当に正しければ会社を辞める覚悟で世間に訴えてもいいでしょう。
その会社からは収入を頂けなくなってしまうでしょうが、悪徳体質の会社からもらう必要もありません。会社が毎度毎度、社員同士の不正を学校のようにもみ消していたらどうでしょう。悪い方が誰が見てもその人であるならば喧嘩両成敗ではありません。会社も不正・非を見逃したことになります。会社は世間からのイメージが悪くなることを恐れますから、あなたに圧力をかけている面もあるのでしょう。
会社としては喧嘩両成敗に「したい」「表ざたにしたくない」ということ。そういう場合真実の判断がなされません。悪が悪のままのさばるからあなたも納得がいかないのでしょう。
「助さん、格さん、少々懲らしめてやりなさい!」
遠山の金さんも水戸黄門も大岡越前も「裁く人」というのはお裁きを必要としている人の為にこそ存在しています。
お裁きそのものに罪も非はありません。
困った人の訴えの何が悪いものでしょうか。
問題は相手がシラを切っていたり、悪びれる様子もなく、懺悔の気持ちもなくのうのうと暮らしていることが問題なのでしょう。そういうのは…月にかわってお仕置きよ!
本日のお白州、これまで。
質問者からのお礼
間違っている事に対して、「それは間違っている」と正しさを主張することも大切ですね。
また一つよい学びを得ることが出来ました。
丹下覚元さま、ユーモアのあるご回答誠にありがとうございました。
私の人生は何かと辛き苦しきものです。
いずれご相談させて頂く機会がありましたら、よろしくお願い致します。