父が亡くなり兄が母を洗脳。
二年半ほど前に父がガンで亡くなりました。闘病生活、亡くなる前や後のいろいろな手続きを私なりにやっていたつもりです。兄は遠方で関われませんでした。
しかし、父の死の途端、兄は豹変し、私や夫子供を無視、挨拶すら返さないようになりました。一方で母には優しくなったので母は兄を咎めず、私が悪いと言いました。
それでも昨年の夏、娘たちのマンションの敷金を援助すると言ってくれ、有り難く受けました。母は何度も娘たちと私に「このことは兄には内緒だよ、言うのではないよ」と言ってきました。
去年11月に兄は早期退職し、一人で実家に移り住みました。その途端母の態度が変わりました。
年末に息子と私が一足先に帰省し、実家に着いた途端兄が私たちを罵倒しました。母から敷金を集ったな、と。以前、父が息子に車を譲ったのも、無理矢理取ってこの泥棒となじりました。話が違うと私が言うと母は私を嘘つき呼ばわりしました。3時間半かけて帰って来ましたが30分で実家を出ました。その後の電話でも母は私たちが悪いの一点張りでした。兄は実は自分の息子の学費や自分の外車購入資金を母に無心していますが。
今まで色々ありましたが、母とはこれ以上関わりません。あれほど兄に言うのではないよ、と念押ししたのに自らしかも嘘をついて兄に漏らしたこと、そして電話で私に「あんたはどんな親孝行をした?何もしていないくせに」と言ったこと、この二つが決定打です。決して信頼できる人間ではない、私の気持ちを分かろうとする人間ではない、もう離れようと思いました。勿論兄に対してもです。二人とも精神病かもしれません。
父が死んで家族は崩壊しましたが仕方ありません。もうあの二人のことは忘れたいです。でもなかなか頭から離れません。呪いたくはありません。でも時々、地獄に落ちればいいと願う自分がいて、自己嫌悪です。
自分の人生を生きていくんだ、と決意はしました。母とか兄がかつてはいたなあ、くらいに思えたらいいのですが、この歳でこんなどんでん返し、これまでの家族の思い出まで虚しく思え、なんの罰なんだろうと途方に暮れてもいます。洗脳とは恐ろしいものだとも感じています。
助言や励ましをくれる家族や友人、親戚に恵まれて感謝しています。前向きに生きたいです。どうしたら早く忘れられて、強く生きられるのでしょうか。
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母親こそが一番の問題
初めまして、こんにちは。
亡くなられたお父様の看病等、その後の整理まで精一杯なさったことでしょう。まずは、お悔やみ申し上げると共に、お疲れ様でしたと伝えたいです。
あなたはこう書いておられます。「自分の人生を生きていくんだ」、「助言や励ましをくれる家族や友人、親戚に恵まれて感謝しています」と。また、「母とか兄がかつてはいたなあ、くらいに思えたらいいのですが」とも仰っていますので、ある程度の今後の方向性は見えているのだと思います。母や兄とは別の人生を歩むべくまさに第一歩を踏み出そうとされていると思うのですが、いまだ肝心の件の出来事について整理がついていないため、もやもや感が晴れないでいる、と感じました。
「兄が母を洗脳」、「洗脳」というキーワードを使っておられますが、私はこの言葉を持って件の事を整理するのには違和感があります。私は、元からお母さんの人格にそもそも問題があっただけ、と思います。
きょうだいの仲が悪くなるのは、親の責任が大きいと思います。勿論、成人した人に対して親の責任というのは当たらないと思われるでしょう。しかし、このような問題は既に幼少期からあったのではないですか。時には兄だけを、時には妹だけを褒めて他方を貶したりして比較する。比較されると、互いにライバル心を抱いて反目する様になる。助けあい、協力していくきょうだいでは無くなってしまうのです。しかもその評価、勝負をジャッジする母親がその時の状況、気持ち次第でコロコロ判定を変える。この親子、きょうだいの極めて理不尽な関係が成人後も続いて今に至る、のではと推測します。
あなたは、お兄さんがほとんどタッチしていない看病を一生懸命された。お母さんは、そのことに感謝したでしょう。一時的に。しかし、再びジャッジする側の都合が変わったのです。そこにしかるべき理屈はありません。ただお母さんの理不尽な裁定があるだけです。お兄さんは、この裁定の尻馬に乗っているだけでしょう。
このようなお二人とはしばらく関わらず、あなたの仰るように今後の人生を歩まれるのが宜しいと思います。
ご参考になれば。
質問者からのお礼
お言葉ありがとうございます。
一言ひとこと噛みしめるように読みました。
友人たちにも相談し、いろいろな考えや気持ちの持ちようを聞きましたが、ご住職の「勝負をジャッジする母親がその時の状況、気持ち次第でコロコロ判定を変える」のくだりは全く新しく、しかしそれがいちばん根底にある原因だ!と膝を打つ思いです。ひと月足らずで人間がこうも変わるのかと、兄の影響に驚いていました。が、そもそも母自身がいちばんの問題だったのですね。母は昔から常に自分しか眼中にない人間でした。
ともあれ、私は母や兄とは縁がなかった、とでも考えることにします。
母は母の人生を生きるでしょう。私にはどうすることもできません。何と学びも、成長もない人生なのかと暗澹たる想いですが、そういう人生を選んだのは母です。無事に大人になるまで育ててくれたこと、今まで私の子供たちにしてくれたことに感謝はしつつ、離れていくことにします。
私はもっと自分のやりたいこと、自分の世界を広げ、過ぎたことを顧みる暇がないような毎日を送っていくつもりです。
亡くなった父はなにもかもお見通しではないかと思います。父に恥じることのない人間でありたいです。
今を懸命に生きていきたいです。
ありがとうございました。