何度も何度も赤ちゃんを失っています
初めまして。
宜しくお願い致します。
結婚6年目の今年4月、2回目の死産をしました。
お腹の赤ちゃんが突然心臓を止めてしまいお腹の中で亡くなっていたのです。
これで連続2回目です。
プロフィールにも書いてありますが、天国に4人の赤ちゃんがいます。
4人も授かったのに私の腕には誰1人といません。
死産の原因は私の不育症です。
今回しっかり不育症の対策して薬も飲んでいたのにダメでした。
対策しても亡くしてしまい、もう絶望しかありません。
人生子供だけじゃないのは百も承知ですが1人だけでもいいから生きてる我が子をこの手で抱き締めたいんです。
健康で元気な赤ちゃんを抱き締め笑顔で病院を退院したいんです。
人生は修行。
旅行先で訪れたお寺の方の説法で聞きました。
人生が修行なら私の人生辛すぎます。
どうして私だけ当たり前の事が出来ないのでしょうか?
明日への希望、生きる活力が沸いてきません。
「どうして?なぜ?」を考えても仕方がない事は分かっていてもどうしても考えてしまいます。
私は元来明るい性格だと思います。
日々に感謝し生きる喜びを感じたいのです。
でも今までの経験からもうそれが出来そうにありません。
真っ暗なトンネルを歩いてるようです。
どうしたらいいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
よく相談して下さいました。共に苦悩していく事はできる。
非常に厳粛な問いです。どれだけお辛かったかと思います。あなた自身がおっしゃっているように、他人が人生子供だけではないといくら言っても、経験している本人からしたら我々に想像できない苦しみがあると拝見しました。
蓮の葉は僧侶は千字の文字制限があるので「真っ暗なトンネルを歩いてるようです。どうしたらいいのでしょうか?」の問にだけ一意見を述べさせて頂きたいと思います。
もしあなたが、子供を授からないと幸せになれない、生きる喜びを感じられないと思っていれば、子供を授からない限り生きることを喜べない。子供は授かるかどうか誰にも分からないです。
仏教の考えから言えば冷たく聞こえるかもしれませんが、「子供を産めなければ幸せになれない」という思いを手放すしかないと言えるかと思います。それはご縁だからです。子供を産むことの難しさをあなたほど知っている人はいません。簡単にできる人もいれば辛酸をなめてもできない人もいる。
我々の中にある、あれがあれば幸せだこれがあれば幸せだという「価値観・思い」を手放さなければ永遠に私たちは満足できません。それを手放さなければ、例え子が産まれたとしても、あれが足りないこれが足りないと思い悩むかもしれません。
あなたは、子供を産むために生まれてきたのではない。どのようなあなたであろうと、子供を生もうが生むまいが、生きることを願われているのでしょう?だからここまで生きてこれた。仏様も願っているし、色々な人があなたが生きることを願ってきた、生かされてきた。子供が産めないままに、尊い人生を生きている。子供のいないままに厳粛な人生を深く生ききった女性たちがかつて何人もいたでしょう。その生が尊く無いなんて言えません。これが無かったら、人生尊くない、意味ないと言うのは一面的な人生の見方ではないでしょうか。お腹の子が生きたのも厳粛な命です。
しかし、「子供が死んでしまったことは寂しくて辛くてたまらない、これからどう生きていったらいいのか…」このことならこれから考えていけます。一緒に考えて行きましょう。僧侶はそのために居ると思います。事実を変えることはできない。でもその厳粛な事実を背負って生きていかざるをえない人と一緒に考え苦悩していくことが我々のできる事です。またいつでも蓮の葉にも相談して下さい。カウンセラーや女性の専門家の方も積極的に頼って欲しいです。
質問者からのお礼
コロナでお忙しいのにとても暖かい御言葉に涙が出ました。
自分の中で固執した価値観を手放すという事は難しいかもしれないですがスッと心に入ってきました。
今はまだ辛くて苦しくてどう生きたらいいか分かりませんが少しずつ本来の私に戻ろうと思います。
ありがとうございました。