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水子供養と存在について

回答数回答 1
有り難し有り難し 7

水子の存在に関する有無をお聞きしたいのです。

質問しようと思う前に、ある程度は自分で調べました。
『これからの水子供養運営実践講座』という僧侶に向けられ書かれた1万8000円程度する本を買って読んだりしても私は水子を一切信じられません。

知り合いの住職すら水子供養していた訳で、真宗以外のお寺は大体仕事としてやっているのでしょうが詐欺紛いにしか私には思えません。
仏道修行とも特に関係ないように思うし、また導くものでもないと思う。

ウィリアム・ラフルーアという日本仏教の研究家によれば水子供養が主に頻繁に行われだしたのは戦後からとのことでした。
1948年に優生保護法ができ妊娠中絶が認められたのち水子供養が登場したとのこと。

水子供養を薦める理由として…『中有に彷徨って苦しんでいる貴方の水子の霊を救わなければならない…異時因果として貴方の人生に影として顕れる前に悪業を罪滅しなくてはならない』というのもあるようです。
これは霊感商法?ではないでしょうか?無眼子の罪意識を拭い去ってやる為に一般的な最低価格1万程度から永代供養及び戒名込みのコースで高いところは15万円程度取って彼女らが仏道に入る機縁になるとは到底思えないのです。聞思修、戒定慧と正道へ続けさせてやらなければ仏教として誤りに思う。

六種輪廻についても私は微塵も信じていませんし、縁起すらも今や毛ほど信じていません。
『われ、かれ、もの』を規定してしまう人の観方ゆえに『』内を縁起させているわけであるし、人の目から見た『われ、かれ、もの』なる規定が因縁仮和合、心相続したと観ているだけ。
自性の観点からいったら霊すら信じていませんが…そもそも『信じない』というよりも『存在』に関する観方で躓いておるから下らないと唾棄しております。

hasunohaの僧侶様は水子の存在を信じておりますか?
そして水子供養は未だに各地で執り行われているのでしょうか?

因みに20年前の2003年に行われた全日本仏教青年会の調査によれば葬儀収入35,5%、年回法要収入36,5%に次いで祈願・祈祷・水子供養収入は7,4%の3位でした。
後には4位賽銭収入や5位拝観料収入、墓地関連収入、不動産収入と続いていました。
文字数制限で色々省きましたが…
水子を信じているのかどうかをイエスorノー…現代に於ける水子供養その必要制をお教えください。

2023年8月14日 15:07

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分がすでに信じているものがあるのになぜ問うのか?

あなたは水子の存在とか供養の意義を信じておられないようです。水子供養などは布施行ではなく商売とか詐欺と思っておられるようです。それどころか

>六種輪廻についても私は微塵も信じていませんし、縁起すらも今や毛ほど信じていません。

とまでおっしゃっています。
 では、それでよいのではありませんか? 仏教では輪廻や縁起を証明できなくても信じてやっております。あなたはあなたの信じる道を進めば、それで済むのではないですか? 他人が何を信じようとも、あなたには関係ないことです。
 あなたに何か信じきれない引っ掛かりのようなものがあるなら、それを素直にお聞きなさいませ。
 今のあなたは、仏教から見れば因果法則を否定する邪見のレベルですので、何もしてあげられることは、まだ、ありません。

2023年8月15日 11:12
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有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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質問者からのお礼

藤本晃様
先ずは一言、回答に感謝します。

そして、それは「逃げ」ですよ?
何故質問に質問で返すのでしょう?
水子の存在についてYESかNOで答えてくださいと書いてあります。
「なぜ問うのか?」ではありません。
これは既成日本仏教組織の在り方も同時に問うている話なんです。

ハッキリと貴方のように「水子はいる!」と答えられない人の類が存在の所在も分からぬ水子とやらで女人を脅して金銭を取るのは絶っ対に「間違っている」事です。これは霊感商法です。

私は断言出来ますよ?何故質問に答えないのですか……?それは「逃げ」です。
断言出来ないもので在家者から金銭を払わせることは喜捨とは言えないでしょう?
違いますか?これは数秒考えれば分かる事だと思います。

縁起や因果法則云々についてはイチイチ触れないでおいておきます。厳しい言い方になりますが坐禅や瞑想をろくにしていないのが丸分かりだからです。
私と比べれば殆どの人は坐っていないに等しいでしょうけども……
貴方の著作は大分昔にそこそこ読んでいましたが…(四向四果の本やアビダルマシリーズとかですね)そのままスマナサーラ長老の翻訳に徹した方が良いでしょう。

それと輪廻を否定される貴方の仰るところの邪見を持つ僧侶は存在しますよ?秋月龍珉先生などが「誤解された仏教」にて輪廻は当時を生きる人々に対しての対機説法として利用されただけであろうと書いておりますね。
私と概ね同じ見解でした。

以下、引用です。

秋月龍珉 「誤解された仏教」

第4章 「輪廻」説をどう超えるか
「輪廻」など信じない佛教がある

佛教は確かに「輪廻」転生の説を前提として説かれてきた。それは事実である。だからと言って、輪廻説は佛教説であるとは言えない。輪廻を信じない私のような佛教徒もいる。古代のインド人は輪廻を事実として信じて疑わなかった。そんな人々を相手に法を説かれた釈尊が、輪廻説を前提として話されたことは自然であった。生きた説法は必ず対機説法ーー人見て法を説くーーなのだから。四道輪廻ないし六道輪廻については、すでに述べた。しかし、釈尊その人は、はっきり輪廻説を超えていた。「もう私はどこにも再生しない、私は生死(輪廻)を解脱した」と言い、「後有(アフター・ライフ)を受けない」と宣言された。だから、覚者(佛陀)と成ってのちの釈尊が自ら輪廻など信じたはずは、断じてない。

輪廻転生などというのは、古代インドの民衆(知識人も含めて)が信じていた神話にすぎない。そんなものを信じなくても、佛教はりっばに成り立つ。でも、神話だからと言って、むげに捨ててはならない。現代の私たちは、古代人が神話として伝えたことのなかにひそむ実存理解を取り出して、それを現代的に捉え直すことが大事である(これはキリスト教学からの学びであるが)。

回答ありがとうございました。
至心合掌三拝。

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