良い人を好きになれない
学校の友人にいわゆる良い人がいます。
気遣いができて、愛想も良くて、みんなに可愛がられるタイプです。
しかし、私はその人のことをどうにも好きになれないのです。周りの人たちに好かれているため、何をしても許されるかんじが気に食わないです。きっとこの人が失敗しても誰も怒らないし、この人への不満を誰かに相談しても共感してもらえないと思います。
また、こんなことを思ってしまう自分の性格の悪さにも嫌気が差してしまいます。
こんな考えは異常でしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたはどうなりたいのか?自分の深い願いを見つめて。
自分の性格に嫌気がさしている、自分の性格が異常かどうか知りたいという事でしょうか?あなたはどうなりたいのか?私なりに仏教の視点からお話させていただきます。
異常ではないと思います。鎌倉時代の有名な僧侶に親鸞という方がいます。彼は教科書に載るような立派な僧侶です。20年間心をきれいにする修行をし続けました。しかし、ついに自分の力で悟りを開くことができなかった。それでも必死に道を求めて阿弥陀仏という仏様の教えに出会われた。それは愚かな自分を見つめ続けるという道でした。
親鸞は書物の中で「凡夫とは、真実が分からない道理がわからない人のことである。欲ばりで、怒りっぽくて腹を立て、他人をそねみ、ねたみうらやむ、様々の欲望・煩悩をもっている。 そして、これらの煩悩を死ぬ瞬間まで断ち切ることができない」と悲しみ嘆いています。浄土真宗という仏教の場合は人間は死ぬまでこうした愚かさを抱えて生きるんだと考える。でも、それは決して開き直っているんではない。仏様はそういう恨んだり妬んだりする心が消えない人間を悲しんでいる。だって、そういうあり方は本当にかけがえのない自他の命を大切にしていないから。尊いと言えるような生き方ではないですね人を嫌ったり恨んだりするのは。せっかく尊い命を頂いているのに…
親鸞は「俺は恨み妬みはどうせ消えない」と言っているのではなく、その事を悲しみます。当たり前と思うか、それを悲しみ、少しでも離れていこうとするかで生き方が変ってくるのではないでしょうか?あなたがこうして相談しているという事は、人の事を気に食わない自分のあり方に本当はこのままじゃ良くないと感じているからではないですか?
好きになる必要はない、でもその事に開き直る必要もない。嫌いな人がいてもいい。だがそういう人の存在も許せるような自分になっていこうとしてみてはどうでしょうか?そのことの方がずっと自分にとっても有意義な事ではないでしょうか。
仏教の基本は「思い通りにならないことは思い通りにしなくていい」という事です。私達は思い通りにならない事を思い通りにしようとして苦しむ。あなたが相手を嫌うというのもその辺に根が無いですか?相手は変えられません。自分は少しは変えられる。
あなたの気持ちや悩みが相談文だけでは十分くみ取れなかったので、もっと色々聞きたいなと思いました。どんなあなたでも応援しています。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
考えを変えれるよう努力しようと思います。