風俗経営者の息子として
父親が風俗を経営しており、その金で暮らし、高校を卒業し、大学に入りました。
そのことを知ったのは大学に入ってからで、それまでは父親に職業を隠されていました(ほとんど別居状態でしたが、自分も能天気だったと思います)。大変ショックを受け、親と縁を切ろうと家出をしました。しかし内臓の病気と精神疾患を患っており、信念を貫くことはかないませんでした。
その後大学を中退し、今は障害との付き合い方を模索しつつアルバイトをしています。中退の理由には、「女性が身体を売った金でこれ以上大学に行くわけにはいかない」というのは一つとしてあります。
恥ずかしながら、性欲と寂しさに負けて風俗を利用した経験はあります。そこでは良い思いもしましたし、生き生きと働いてるように見える女性も見受けられました。しかし世の中には性産業の悲惨な裏側の情報が飛び交っており、父親に何も話してもらえない私は、何を信じればいいのかわかりません。
私は搾取構造にもたれかかる卑怯な罪人なのかもしれない。そう自らに何年も問い続けて、性風俗の歴史について調べたり、社会構造について考えたりし続けました。しかし一人で考え続けても暗闇が広がるばかりで、途方に暮れてしまいました。あまりにも辛く、苦しい自問自答です。
過去、カウンセラーや社会学の教授にも相談したことがありました。それで返ってきたのは「風俗は犯罪じゃないから気にする必要はない」というものでした。しかしその答えに甘えてよいのでしょうか?
仏の道を歩んでらっしゃる皆様の智恵をお貸し願いたいです。風俗の存在に加担することは罪悪でしょうか?それが罪悪ならば、罪人の庇護に甘んじた私もまた罪人でしょうか?
何卒、お答え願いたく存じます
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
現代資本制は、すべからく搾取構造ではあります。
白井聡さんの『武器としての資本論』をお勧めします。資本論自体は、非常に言葉が練られており難解です。それを、資本制が進んだ現代の視点を持って、改めて「資本主義とは何か」を解説し、その俯瞰を知った上で資本制の現代を生き延びよう、というメッセージが込められていると読みました。
資本制のミソは、「生産に携わる人が、その生産した価値の全てを受け取れない」ことから、「人が自分を切り売りしている状況である」ということです。子育てに値段を付けたり、家事労働に値段をつけたり。「金の切れ目が縁の切れ目」というのが「世知辛いねぇ」ではなく「当然でしょ」という世界。人間が産み出した制度が人間性を奪いつつあるのだろうと考えています。
その中にあって、性産業というのはさらに苛烈な部分があると思います。中村某さんの本も読みましたが、目を覆いたくなるようなルポでした。
浄土宗の法然上人は、流罪先で遊女と話をしました。「その生業を辞めることができるのならば離れなさい。しかし、できないのであれば、その身のままでお念仏申しなさい」と仰いました。もう宗教直結の問題なのです。
お父さんも、そのような生業に至ったのは何らかの経緯あってのことでしょう。子どもに胸を張れる仕事ではないと考えておられたのかも知れません。もし叶うならば、それをお尋ねになってもよいかも知れません。
私達僧侶も、お寺へのお布施が「それぞれ身を削って得た物である」というのは忘れてはならないと思います。「お通夜とお葬式、2時間お経を読んで○万円かよ。俺の仕事の何時間分だよ」と思われる可能性はあると思ってやっています。
つまり…資本制の外の考え方や仕組みもあることを知っていて欲しいと思います。「プライスレス」なものは、あるのです。そして、そういった判断基準を捨てないで欲しいと思います。
あなたの問いに即して言うなら、「誰もが身を削って得たお金を使いつつ生きている。けれど、金の切れ目が縁の切れ目、というのが全てでもない」と知り、ご縁ある方と資本制を離れた関係を持とうと努力されることをお勧めします。搾取構造の最たる所に繋がりを持つ(持たざるを得ない)あなたがそれを行うことは、きっと大きな価値があると思います。
あなたの人生のテーマとして
拝読させて頂きました。
あなたが思い悩むお気持ちもよくわかります。拒否してしまったり、認めることがぢきなくなってしまうのも否めません。あなたのお気持ちを心よりお察しします。
今あなたはさまざまなつながりの中で生きています。あなたが生きることや存在することはとても大切なことです。少なからずあなたが生きていることをとても大切におもっている方々がいらっしゃることをどうか少しずつ知って下さいね。
そしてあなた自身を認めて下さいね。
それからあなたがそのような視点や考え方や疑問を持たれたことはとても大切です。もしも宜しければあなたのその視点を持ってそのようなあなたの身の回りのことや社会事情や困っている方々やしいたげられている方々についてより深く知ってみることは大事ではないですか。少し落ち着いてみてお父様からお話をじっくり伺ってみることも大切です。また働いている方々からお話を伺ってみてはいかがでしょう。まずはいい悪いではなくてお話に真摯な態度でしっかりと聞いてみること、そして様々な疑問がわいてきたらそれについてまた調べてみたり、体験してみたりすることもいいかもしれません。体調面のこともあるでしょうから決してあせらないであなたの人生の生きるテーマとしてとらえてみることも非常に有意義かと思います。
誰しもが大切な方ですし、生きる権利がありますし、安心して生活できることを目指して私たちは日々生きています。
世の中には確かに理不尽がありますが、それに気がついたものがその問題や課題に取り組んでいくこともとても大事だと思います。
あなたがこれから素晴らしい出会いに巡り合い様々お話を聞いたり体験なさり、人として健やかに成長なさっていかれ、様々な形で尽力し充実した毎日を皆さんと生き抜いていかれます様心よりお祈りさせて頂きます。
質問者からのお礼
お礼を書くのが遅れて大変申し訳ありません。
頂いた回答の中でも、「これは宗教直結の問題である」という言葉にまずハッとさせられました。
全ての人が何かを求め、それが絡まり合い、時の流れと共に社会が形作られ、その中で煮え湯を飲まされる人、はらい落とされてしまう人が絶えることはまだない。性風俗や売春の在り方に苦悩した女性も、そして私のように、知らないうちに当事者にならざるを得なかった人間もまた、歴史の中で数多いたのではないか。そう考えるだけで少しだけ心が楽になったかもしれません。
その楽になった心で何を思い、何を成すか。法然上人が船の上で教えを説いたその地続きの歴史、その世界の中で私はどう在るか。それは私が生きる上で、微かながらも灯火となる問いになるやもしれぬと感じました。
また私が生きていることは大切なことだと仰って頂いたことも、「本当だろうか?」と疑うことはやめられませんが、大変に有難きことと思います。「自分を大切にしてくれるのは結局自分だけだ」と気を張ることが多くなったので、大変心に沁み入りました。
特異であり、そして資本制の苛烈さと無縁でいられないこの立場だからこそ、自分と社会に問わねばならぬ問いがある。それは罪を償うのとは少し違うのかもしれないと思いを改めました。薦めて頂いた本も読み、まずは見識を深めていきたいです。
改めて回答をして頂いた皆様に感謝申し上げます。また自分の中の問いが膨れ上がってしまったとき、ご助力願えればと思います。誠にありがとうございました。