一切皆苦の中で幸せになる道とは?
ご覧いただきありがとうございます。
これからの生き方を考えていく中で、一切皆苦という言葉に出会いました。
この世が一切皆苦、思い通りにならないことばかりであるなら、なにも持たない人が一番幸せということになりますか?例えば、天涯孤独で、夢や目標は特になく、その日を暮らせるだけのお金を持ち、日々目の前にあるものを受け取っていくだけの人が一番幸せなのでしょうか?
もしそうだとするなら、大切な家族、友人に恵まれ、仕事も財産もあり、夢や目標に向かって日々努力して生きる人のことを素晴らしいと思うのはなぜでしょうか?
今まで、夢や目標をもち努力することは良いことだと思ってきました。でも、一切皆苦という言葉を知り、夢や目標を目指すことをやめ、自分に巡ってきたものだけを受け入れていく方が幸せでいられるのかなと思いました。
でも、それは今までとは真逆な生き方なので、本当にそれでいいのかわからないでいます。がんばれば何とかなる未来もあるのではという思いもあります。
一切皆苦を理解していれば、結果たとえひとりぼっちでも貧乏でも平気になるのでしょうか?
正しく理解していない部分があるかと思います。勉強不足で申し訳ございませんが、勘違いしている部分があれば教えていただけませんでしょうか?
何卒よろしくお願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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二つの方向性
こんにちは、初めまして。
仏教の言葉である「一切皆苦」にご縁があったのですね。
誠に結構なことです。
言葉を知って、それを自分のこととして考えられること。
その営みは、必ずやあなたの人生に深みを与えてくれるでしょう。
文章末に、「一切皆苦を理解していれば、結果たとえひとりぼっちでも貧乏でも平気になるのでしょうか」と問われています。あなたの質問の主旨は、この一文にあると思いました。
「一切皆苦」というのは、あなたの言われる通り「思い通りにならないことばかり」という意味です。この場合、自己中心的に思い通りにしようとしているという原因があり、その結果として自他が自己中心同士ぶつかって「思い通りにならないことばかり」となる、と考えます。
つまり、「苦」の原因と現状認識が「一切皆苦」という事なのです。
だから、「一切皆苦」を知ることは仏教のスタートラインに過ぎないのです。
このスタートから、どのように自己中心の煩悩と向き合うかが各宗派によって分かれます。
言葉の表面上で「一切皆苦」と知っていても不十分であり、これを徹底的に体得していく方向が一つ。これはあなたが「思い通りにならないことばかりであるなら、なにも持たない人が一番幸せ」という方向性を磨いていくものです。出家を最上とする道です。
もう一つは、在俗にあって「大切な家族、友人に恵まれ、仕事も財産もあり、夢や目標に向かって日々努力して生きる人のことを素晴らしいと思う」ことを大切にしつつ、「一切皆苦」を考えていく方向性です。自己中心、執着を根本的に捨て去ることは難しく、むしろその前提で歩める仏道を考えます。
特に、「苦」の大きな問題であるのは、死、病、老です。
思い通りにならない最大のものであり、人間共通の問題です。
この生老病死、を考えつつ、日常生活の「一切皆苦」を徐々に考えていきましょう、という在俗生活を前提とした方向性です。
「一切皆苦」という基礎から、どのように発展させていくのか。
これは、仏教全宗派の簡易な概論書を読むと、自分に合ったものが段々と分かると思います。今は、書籍にバリエーションが沢山ありますから、一度手にとってはいかがでしょう。
質問者からのお礼
釋 悠水 さま
こんにちは。ご回答いただきありがとうございます。お礼が遅くなり申し訳ございません。
方向性が二つと教えていただいて、どちらがより正しいという話ではないことに気づくことができました。
時間はかかりそうですが、勉強し、日々考えることで、自己中心の煩悩との向き合い方を探っていければ良いなと思います。
丁寧なご回答をいただき、本当にありがとうございます。