今、幸せだからこそ過去の後悔
過去に昼職もしている中、夜の仕事をしていました。
貯金が趣味だったので、お金が溜まりやすいマッサージ風俗の仕事です。
金曜日か土曜日出勤で、頻繁ではないとはいえ、1ヶ月ほど働いておりました。
当時の私は、自分の体を触られることに抵抗はあるものの、相手の体に触ることは抵抗もなかったです。
そのせいか、以前働いていた職場の同僚にその話をしてしまったこともありました。その同僚が他の同僚にそのことを伝えているのか心配です。
その後今の主人と付き合い、結婚をして、子どももいます。
主人は当時の私のことを知っています。わたしが過去を思い出して泣いてしまったり、同僚に言ってしまったことを悔やんでいる時にも大丈夫だよと言ってくれます。
大好きで、大切な子どもにもこんな過去を持っている母親で申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
このことを思い出すと、心がザワザワとします。苦しくなります。この苦しみから抜け出したいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「過去」の事実に注目するよりも
こんにちは。
当時のことを知っていて、かつ受け止めてくれているご主人に出会えてよかったですね。先ずは、これまで通りその幸福を大切にしていって下さい。
あなたはご主人と出会って何が変わったのでしょう。
「貯金が趣味」、つまりお金が当時のあなたの人生の目的だったのだろうと思います。だから、「お金が溜まりやすい」方法を選んだ。
では、今はどうでしょうか。
勿論、お金は大切ではあるけれども、それは「大好きで、大切な子ども」とご主人と共に幸福になっていく、人生の手段に変わったのだと想像します。
そう、お金が人生の目的から、手段に変わったのです。
素晴らしい転換です。
ご主人のお陰ですね。
一方、あなたは「自分の体を触られることに抵抗はあるものの、相手の体に触ることは抵抗もなかった」ことを、「同僚にその話をしてしまった」ことを「悔やんでいる」ようです。
これは第三者にはわかりずらいのですが、その当時の貞操観念の持ち方が当時の「同僚」を介して他に伝わり、やがて身近な人にも伝わってしまうのではということを恐れているのでしょうか。これは、残念ながら人の口に戸は立てられないから可能性がないとは言い切れません。しかし、あなたには当時のことを知って受け止めてくれているご主人がいます。第三者がとやかく言ったとしても、過去は過去。今は違う道を歩んでいます、と夫婦共々堂々と胸を張ればいいのだと思います。
或いは、「同僚」に伝えたこと自体が、自分の当時の認識の持ち方を露呈してしまっており、省みられて恥ずかしい、という事でしょうか。当時と今の認識に落差があることは、そもそもご主人と出会ってからこそ感じられることです。出会いがなければ、気付かないままだったのだと思います。恥じることもあると思いますが、出会ってこそ気付けたと喜びの種にすることもできるのではないでしょうか。
「こんな過去を持っている母親で申し訳ない気持ち」とあります。
「過去」の事実は変えられません。
しかし、「過去」の意味は変えられます。
今の幸福にたどり着くための「過去」であった。
本当の幸福、人としての在り方に気付くための「過去」であった。
そして、今の幸福を一層引き立てる「過去」である。
「過去」の事実に注目するよりも、今を生きる意味として転換していきませんか。塩が甘みを引き立てるように。
(字数制限)
質問者からのお礼
こんばんは。
早速の回答をありがとうございます。
許されたような気がして、涙が出てきました。過去は過去。過去があったからこそ、今の幸せがありますね。気づかせてくださりありがとうございます。これから胸を張って生きようと思います。とても心が軽くなりました。御助言をありがとうございました。