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後悔・自己嫌悪
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自分が嫌いで苦しいのはどうしたらいい?原因、特徴や克服法

「自分が嫌い」と思う気持ちをどうしたらいい?

わたしが小学生の頃に両親が離婚しました。
父と母が結婚したことが間違いだったなら、そのとき産まれたわたしの命も間違いだったということなんだろうか、という問いが心の中の不安として20年以上もくすぶり続けています。

わたしは母から虐待を受けながら育ちました。未だにそのときの情景を思い出し、あのときに死んでしまえば良かったという思いに苦しめられます。両親に対しても、自分に対しても、嫌悪感を持ちながら生き続けるのがとても苦しいです。

自分が生きてる理由が一組の男女の選択の失敗だったと思うと、自分のことが好きになれず、選択を誤ったその人たちに対して憎しみの気持ちさえ湧いてきます。

亀山純史僧侶の回答

この世に生まれたこと自体が尊いことなのです

自分の生い立ちを考えるとき、私の「いのち」の尊さは、誰から生まれたかによって決まるものではありません。

また、人との出会いや別れにおいて、離婚することは人生の間違いなのでしょうか。

人は様々な縁によって出会い、そして分かれていきます。(離婚のみならず、死別を含めて。)そのような「因縁生起」の世界において、人との出会いに正解も不正解(間違い)もありません。

縁があれば出会い、そして分かれるだけなのです。もちろん、結婚は祝福すべき事柄で、離婚は悲しむべき事柄ではありますが、そこに人生における正解・不正解という価値判断を持ち込むことはおかしなことだと思っております。

ですから、「いのち」に失敗作などありません。数々の偶然の重なり合いの中から、私たちは「いのち」を頂いたのです。この世に生まれたこと自体が尊いことなのです。

「人身(にんじん)受け難し、いますでに受く。」なのです。自分が人間として「いのち」を頂いたことに感謝し、これからの人生を生きて行きましょう。

元の問答:自分の存在に対する否定感と嫌悪感

自分が嫌いだと感じやすい人の特徴

自己嫌悪の感情は多かれ少なかれ誰でも抱くものですが、自己嫌悪に陥りやすい人にはいくつかの特徴があります。まず、完璧主義が強い性格の人は、自分に対する要求が非常に高く、ちょっとした失敗でも自分を嫌いになりやすいです。 また、負けず嫌いな性格の人も自己嫌悪に悩むことが多いです。他人との比較による劣等感を抱えていることが多く、自分を他人と比べてしまう傾向があります。 さらに、ストレスを溜め込みやすい人も、自己否定的になりがちです。自信がない人は、当然ながら自分を嫌ってしまう要因となります。優柔不断で決断に迷う人も、自己嫌悪に陥ることがあります。そして、自分の失敗を過度に恐れる性格があると、より自己否定的な感情を強めてしまいます。これらの特徴は、自分が嫌いだと思ってしまう要因となり得ます。

完璧主義が強い

完璧主義が強い人は、勉強でも仕事でも完全な達成を求め、計画通りの結果を得られないと不満を抱きがちです。この性格は努力の一環として見られることもありますが、理想に届かないときには自己嫌悪に繋がることが多いです。 完璧を追求するあまり、他人にも同じ基準を求めてしまい、その結果として自己否定感を強めてしまいます。ストレスも溜まりやすく、ちょっとした失敗や遅れが大きな不安材料となることがあります。それが自己評価や人間関係にも影響を与えてしまうのです。 このような完璧主義が強い性格は、一見すると責任感や向上心があるように思えますが、その裏には大きな苦しみが隠れていることも多いです。このため、無理な目標設定を避け、柔軟な考え方を持つことが重要です。また、自分に優しくする方法を見つけることが、心の健康に寄与するでしょう。

負けず嫌いな性格

負けず嫌いな性格は、まるで常に競争の場にいるかのようです。目標達成や自己成長を強く求める反面、他者との比較や競争に敏感になりやすく、負けたときには深い屈辱感を伴います。これが「しんどい」と感じる要因の一つです。 競争心が旺盛であるため、成功を収める一方で、失敗や挫折には敏感になってしまうことが多いです。結果的に、自分を責めたり、自己評価を下げることが気持ちの負担となります。また、勝敗を重要視する余り、普段の生活や人間関係においてもストレスを引き起こしてしまうことがあるでしょう。 自己改善を目指す姿勢は素晴らしいですが、時には心身のバランスを保つことも忘れないようにすることが重要です。

ストレスを溜め込みやすい

ストレスを溜め込みやすい人は、過度に他人と自分を比較し、自分の不完全さに目を向けがちです。優れた成果を持つ友人や同僚を見て、自分が頑張れないことに焦りを感じ、その結果、自己評価が下がってしまうことがあります。 このストレスは日常生活に影響を与え、心身の健康を損ねる要因となります。特に、完璧を求める性格や負けず嫌いの傾向が強い人は、失敗を恐れるあまり、自分を追い込みがちです。そのため、ストレスを余計に溜め込んでしまうのです。自分を責め続けることで、自己嫌悪がさらに深まります。 自信がない 自信がないという状態は、自己評価が低くなり、他者と比較して自分を軽視してしまうことが主な原因です。そんな自分に落ち込むことが多くなり、何かに挑戦する意欲も失われてしまいます。 自己肯定感が不足していると、自分の良い部分に目を向けることが難しくなり、結果として「私は駄目だ」と思い込むことが多くなります。この状況が続くと、日常生活や人間関係にも悪影響を及ぼします。 自信を持てないことがクセになってしまうと、ますます行動が制限され、さらに自分嫌いになることが加速します。この状態から抜け出すためには、小さな成功体験を重ねることが重要です。少しずつ自信を回復させることで、心のバランスを取り戻す手助けになるでしょう。

優柔不断で決断に迷う

優柔不断な性格は、決断に時間がかかり、自分の意見を述べられないという特性があります。時には慎重さが大切ですが、周囲の期待に応えられず、自分の意見を持てない状況が続くと、自己嫌悪に陥ることが増えます。さらに、周囲に流されることで、心の中で「やめたい」という強い思いを抱くことも少なくありません。このような気持ちが積もると、ますます自分を否定的に見るようになり、自信を失ってしまいます。同じような悩みを抱える方は、まずは小さな決断から始めることが、自分の意見を形成する一歩になるかもしれません。

他人との比較による劣等感

他人との比較による劣等感は、多くの人が抱える悩みの一つです。特に、自分が嫌いになりやすい人は、他者を基準に自分を評価しがちです。周りの成功や能力を目の当たりにすると、どうしても自分の欠点や劣っている部分に目が向いてしまいます。 このような比較は、自己評価を下げ、自己肯定感をさらに低下させる要因となります。自分のできていることには目を向けず、できていないことばかりが気になり、劣等感を抱く悪循環に陥りやすいのです。 他人の成功や魅力に目を向ける代わりに、自分自身の良さや特性を認識することが重要です。自分の成長や変化を実感することで、他人との比較から解放され、より充実した自己を築いていけるでしょう。

自分が嫌いになった原因を知る

自分が嫌いになった原因を知ることは、内面を見つめ直す第一歩です。多くの場合、子ども時代や親の影響が大きく、育成環境が自己評価に影響します。また、思春期の心理的変化も大きな要因です。この時期は自らのアイデンティティを模索し、他人と比較することが増えるため、劣等感を抱きやすくなります。 さらに、仕事や日々の生活環境からのプレッシャーも、自分を嫌いにさせる大きな要因です。厳しい言葉や批判を受けることで、自分を受け入れることが難しくなってしまうのです。このような理由を理解することで、自分を受け入れる感覚が生まれ、心の整理が進むでしょう。自己理解を深めることこそが、「自分が嫌い」という感情を軽減していく鍵となります。

子ども時代や親の影響

子ども時代や親の影響は、心の成長に大きな影響を与えます。幼少期において、親からの言葉や態度は自己肯定感に直結します。例えば、「できない」と繰り返し言われたり、期待に応えられなかった場合、子どもは自己評価を低くしがちです。 また、完璧を求められた経験や、失敗に対する厳しい反応は、自分に対する否定的な感情を育む原因ともなります。このような家庭環境は、将来的に自信の欠如や他人との比較による劣等感を引き起こし、自分が嫌いになる要因となりかねません。 大人になっても影響が続くことが多く、過去の経験を乗り越えるためには、その背景を理解することが重要です。正しい認識ができれば、自分を許し、前向きな思考に繋がる道を見出せるでしょう。

思春期特有の心理的変化

思春期は、心理的な成長が特に顕著に現れる時期であり、自分のアイデンティティを確立する重要な段階です。この時期、自己評価が非常に高まり、周囲の反応に敏感になります。そのため、「自分はどのような人間なのか?」という問いを深く考えるようになるのです。 自分の容姿や能力に対する不安が強調されることで、嫌いな自分に目が向きやすくなります。このような自己評価の揺らぎは、心理的な障害に繋がることもあります。思春期特有のこの心理的変化は、自己理解を深める過程で起こり、しばしば「自分が嫌い」という感情を伴います。 重要なのは、この時期の感情が一時的なものであり、自己を見つめ直すことで必ずしも持続的なものではないということです。思春期を経た後でも、このような感情が成人期に現れることがありますが、それも成長の一環として捉えられます。そのため、自己肯定感を育むことが重要です。

過去の失敗や後悔にとらわれている

過去の失敗や後悔にとらわれると、無気力感や自己否定につながることが多いです。失恋、試験、仕事や人間関係での失敗を思い出し続けることは、自己評価を低くする要因となります。失敗を恐れるあまり新しいことに挑戦できず、自分の可能性を狭めてしまうこともあります。これは、自分が過去の出来事に囚われていることによって、未来への不安を増幅させる悪循環です。 さらに、こうした思考パターンは、将来的に直面する機会を逃すことにもつながります。失敗を受け入れ、過去を手放すことが重要ですが、そのプロセスは容易ではありません。自分に優しさを持ち、自分を許すことで、少しずつ心の負荷を軽くし、前向きな気持ちを取り戻していくことが求められます。

責任感が強すぎる

責任感が強すぎると、自分に対するプレッシャーが大きくなり、つらい思いをすることが多いです。任された仕事や役割を果たせなかった場合、「自分のせいで結果が悪くなる」と感じやすくなります。この考え方が、他人からの期待や信頼を重く受け止める要因となり、自身を責める気持ちに繋がります。 また、チーム全体の成果を自分の責任と捉えることで、失敗すると自己嫌悪が深まる傾向があります。言葉としては「もっと頑張らなければならない」という意識が頭をよぎりますが、その結果、自己評価が低くなり、精神的な負担が増してしまいます。責任感は大切ですが、時には自分を許すことも必要です。

自分が嫌いすぎる苦しみを和らげる克服法

自分が嫌いすぎる苦しみを和らげるためには、いくつかの克服法があります。まず、ポジティブな言葉を使い、自己肯定感を育てることが大切です。自己評価を高める言葉を日常的に口にすることで、気持ちの改善が期待できます。 次に、完璧を求めない考え方を身につけましょう。自分に対して高すぎる期待を持つと、失敗への恐怖が強まり、嫌悪感が増します。失敗は成長の一部と捉え、新しいことに挑戦することが重要です。迷いや不安を感じた際には、信頼できる人に相談することで、心の整理が進むでしょう。 最後に、自分らしさを見つける方法を探ることも効果的です。自己理解が深まれば、自分を受け入れる一歩となります。これらの対処法を取り入れていくことで、自分が嫌いな気持ちの改善が進むはずです。

ポジティブな言葉で自己肯定感を育てる

ポジティブな言葉を使うことで、自己肯定感を育むことが可能です。自分を変えたいと願う時、日常的に使う言葉の選択が重要になります。ネガティブな言葉を避け、自分の良さや努力を認めるフレーズに置き換えてみましょう。例えば、「私はできる」「私は価値がある」といった言葉を繰り返すことで、自己評価が高まります。 また、言葉には力があります。他人からのフィードバックや称賛を受け入れることも、ポジティブな言葉の一環です。自分に対する理解を深めることで、自己嫌悪の感情が軽減され、変わりたいという気持ちをサポートします。これにより、より健全な自己イメージを形成し、自己肯定感の向上に繋がります。

完璧を求めない考え方を身につける

完璧主義は、自分を追い込み過ぎる要因の一つです。理想を追い求めるあまり、努力できない自分に苦しむことが多いです。しかし、完璧さを求めることは必ずしも善ではありません。人間は様々な欠点を抱え、失敗する生き物です。この現実を受け入れることが、心のゆとりを生む第一歩となります。 自分の限界を認め、過度な反省を避けることで、気持ちが楽になるでしょう。完璧である必要はなく、成長や改善を続ける姿勢が重要です。時には自分をリラックスさせ、楽しむ時間を持つことで、日常のストレスを緩和できます。こうした考え方は、自己肯定感を高め、自分を受け入れる力を育てる助けになるでしょう。

そのままの自分でいいんだと知る

自己受容は、心の健康に欠かせない要素です。自分自身を愛し、受け入れることで、心の負担を軽減できます。過去の失敗や欠点を持っているのは自然なことです。それらを否定せず、「私はこれを持っている」と認識することが重要です。 また、自分の短所を特別なものと捉える考え方も有効です。他人と比較することなく、自分の人生を見つめ直しましょう。自分の嫌いな部分、短所と思うことは必ずしも悪いものではなく、見方を変えれば長所にも、個性の一部と考えることもできます。意外に、この自分の特徴が好きだなと感じることできるかもしれません。この姿勢は、自己肯定感を高める助けになります。 自分の存在価値を理解するプロセスを経れば、内面的な苦しみも軽減し、自分らしさを再発見できるでしょう。失敗は成長の機会であり、それすらも受け入れることで、より充実した人生を歩む道が開かれます。

信頼できる人に相談してみる

自分が嫌いと感じることが続くと、孤独やネガティブな思考が深まります。そのような時は、信頼できる友達や家族に相談してみるのが効果的です。話すことで、自分の思いを整理し、新たな視点を得ることができます。 また、友人や家族と気軽に話すことが難しい場合は、お坊さんのような専門家に相談するのも一つの方法です。彼らは客観的視点を持ち、適切なアドバイスを提供してくれることが多いです。 自分の思いや感情を誰かに話すことは、心の整理に非常に役立ちます。些細なことでも、他者と共有することで心が軽くなるでしょう。どうしても一人で抱え込む場合は、カウンセリングや匿名相談を活用するのも良い選択です。

あなたはあなた、ゆっくり行こう

自分自身を受け入れることは、自己嫌悪を減らす第一歩です。他人と比較することは容易ですが、あなたはあなただけの個性を持っています。自分を変えたいと思うのは自然なことですが、その前に現在の自分を改善するための努力が必要です。 自分の気持ちを慢性的に否定するのではなく、少しずつ肯定することを心がけましょう。自己改善は焦らずに行い、ゆっくりとした歩みを大切にしてください。時には、自分が抱える問題を外部に相談することも、解決の糸口を見つける助けになります。自分のペースで進んでいくことが、精神的な安定につながります。

今ここに向き合う。お坊さんとの問答

あるお坊さんが言いました。

無理に「自分を愛す、好きになる」、「自分を肯定する」のではなく、「自分に慈悲を掛けてあげる」ことをなされてみてください。

またあるお坊さんは言いました。

あなたが寝ている間も落ち込んでいる間も、心臓は鼓動を続け胃腸は食べたものを消化しています。24時間365日一日の休みもなく働いています。自分の年中無休の身体に労りや感謝の言葉をかけることから始めてみてください。

自分が嫌いな自分を動かす必要はありません。事実は今、ここにあります。見えていないだけかもしれません。

ゆっくりと、静かに、1人になれる場所で、深呼吸をして、お坊さんを会話をしてみませんか

なにかが一つコツンと聞こえるかもしれませんよ。

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温かい気持ちになるお坊さん説法

「自分が嫌い・自己嫌悪・好きになれない」問答一覧

勇気と幸せを願ってしまいます。

長くて読みづらいですが、過去のことはプロフィールに書かせていただきました。 書かれている通り、私は本当にひどいことをしてきてしまっています。ですが、もう大半の人の連絡先もわからないし、謝ることもできません。 そもそも謝りたいのは許されたいからという意見もあって、確かにそうだよな、と思ってしまいます。でも悪いことをしたら誠心誠意謝らないといけないし、直接謝れないけど、他の方への回答を見て祖母のお仏壇の前で悪いことをたくさんしてしまった、遅いかもしれないが自分を変えていくと心の中で言ったりしています。でも、母にもまだ言えていないんです。私は本当に恵まれていて、両親も祖父もいい人です。色々サポートしてくれるし、愛情深いです。挑戦したいことに挑戦させてくれます。夏休みに言おうと思っているけど、自慢の娘と言いたいと言ってくれている母に対して裏切るようなことを言ってより傷つけるのが怖いです。でも言わないほうが裏切りですよね?しっかりと告白して、ちょっとずつでも変えていけば、自慢の娘と言ってもらえるでしょうか? 私はこんなひどいことをしてしまっているけど、夢があるんです。追いかけてもいいのでしょうか?夢を追いかけると、職にも就きますよね。それはみんな夢を与えるものだと思うんです。働きたくないとかそんなことじゃないんです。私が夢を追いかけて夢を与えてもいいのでしょうか?また、家庭などもきっと持つことになるでしょう。それに今も、趣味を持ったりして家族と友人と楽しい時間を過ごしているんです。それは幸せですよね?私がいいのでしょうか? また、両親や祖父母は天国だと思いますが、私はこれから変えていけば天国でずっと一緒に暮らせるでしょうか?できることなら私のままのそうがいいけど、転生しなきゃならないならもう私は来世も来来世も、何度だってずっと両親の娘の私がいいです。 でも私はひどいことをした人間です。変えていけばそれは叶いますか? 自慢の娘と言ってもらえますか?夢を追いかけて与えてもいいのでしょうか?私が幸せになってもいいのでしょうか? これから変えていっても間に合いますか? ひどくて長い文で申し訳ありません。ですがどうか、お言葉をいただけたら嬉しいです。

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ネットでの過ち

はじめまして。こんにちは。 突然ですが私は著作権侵害をしてしまいました。二次創作小説の表紙として漫画の切り抜き画像を使っていました。いろんなジャンルで創作活動しており、結構な数の著作権侵害をしてしまったと思います。まだ法律なんて知らなくて、約2年間掲載していました。著作権侵害を知ったのは他の人の投稿で、即削除、即アカウント削除をしました。謝罪の投稿もしましたが、その作者さんも見ないようなサイトで活動していたので、ほぼほぼの確率で見ていません。サイトの存在も知らないと思います。それからはずっと後悔の日々を送っています。もしも、そのサイトの存在を作者さんが気づいて、著作権侵害だと告訴して、私がしていたことが全て分かってしまったらどうしよう、と怯えながら生活しています。非常に反省しています。親からは「そんなことはしない子」というふうに認められ相談できません。少しでも償いになればと思い、友達に著作権侵害のことを教えています。その友達も侵害しており、すぐに画像を変えたそうです。しかし、そのサイトで有名な方の大半は著作権侵害をしています。その方を見て著作権侵害をしてしまう方もいると思います。私もその一人だったのですから。そして、毎日天に祈っています。「許してください」「救ってください」と。  大好きだったアニメを見ることもおっくうになりました。しんどいです。辛いです。著作権侵害をしていた頃を思い出すだけで泣いています。このhasunohaを見つけた時に、ここなら大丈夫かな、と感じました。 あともう少しで新たな生活が始まるのを前に相談しておきたいと思いました。 罪を償うにはどうすればいいですか また、将来私は教師になりたいと思っています。教師になれますか。生きててもいいですか。 文書が幼稚、ごちゃごちゃ、長文ですみません。

有り難し有り難し 5
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過去のことを思い出した

これは昔の話になります。思い出したので、吐かせてください。 当時高校3年生の時に、ネットで12歳上の男性と知り合いました。アニメの話で盛り上がり、そこから実際に会うことになりました。相手は顔もよく口が上手く、私は若かったので絆されてしまいその男性と高校卒業後の夏まで関わることになります。その男性の方と会うときは、いつも夜か密室(車や漫画喫茶)でした。昼間は基本的に会えません。普通にお食事することもありません。完全な体目的だとその時気づかなく、彼は私に好意があるのだと勝手に思いました。勿論、お付き合いの関係ではありません。ある時、彼から性行為を強要するような連絡や卑猥な発言をされるようになりましたが、そんなこと冗談で言ってるつもりなんだと特に気にせず流しておりました。ある日漫画喫茶に行きましたが、その男性に無理やり襲われました。まあ、当然の結果だと思います。私の警戒心の無さと危険な好奇心でそうなったわけです。行為中、避妊はなくただ痛かったです。終わったあと放心状態で家に帰りました。帰宅後、下腹部の痛みを感じトイレに行きました。ありえない出血量の血がついてました。とにかくその後も体が痛かったです。親がいましたが、親に言えるような出来事じゃなかったです。時間経つに連れ生理が来るはずの日に生理が来ない不安や妊娠の可能性が浮かび上がりました。その男性にLINEで連絡し生理が来ない遅れてると言いました。その男性はそれを俺に言ってどうするの?と言いました。モヤモヤする発言されました。そして私とその男性はどんな関係性なのか?体の関係を持ったから付き合うのか?と問いましたが、俺たちは付き合ってない今後付き合うつもりもないと言われました。凍り付きました。でも自業自得ですよね。少し考えれば危険だと分かったはずですから。警察、行けば良かったのかなと思います。その男性の連絡先はその後すぐ消して二度と会っておりません。 これは、成人年齢がまだ20歳の時の話で当時私は18歳でした。 初体験がこのようなものでした。 強姦に当たるものですかね? ここでいうのは場違いだとわかっておりますが、思い出したのでどう思ったかお聞きしたいです。

有り難し有り難し 2
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自分が犯罪者気質で自分の手と足を洗いたい

私は13歳の白坂仁です。これまで家庭での暴力、友人との衝突、そして自分自身の行動により、多くの困難に直面してきました。ADHDの影響もあり、小学校時代から逃走や暴力行為を繰り返し、厳しい叱責や暴力を受け、自己嫌悪や自殺念慮に陥るほど苦しんできました。 特に、以下の3つの罪について深く反省しています。 暴力行為  小学校時代に同級生を殴るなど、相手に大きな傷を与えた暴力行為を犯しました。自分の行動の愚かさと、その結果として相手が受けた痛みを、今も強く後悔しています。 カッターの乱用  同じく小学校時代に、自分も特別支援学級の人なのですが特別支援のクラスでカッターを振り回し周囲に恐怖を与えたことがあります。しかし偶然運が良くてよかったです、自分はそこから自分が嫌いで消えてしまいたいです、人に当たらなかったです父からは「京都アニメーション放火犯と同じことをやっている!」と言われ、この行動がいかに危険であったかを痛感しました。 不適切な考えと行動  妹に対して不適切な妄想を抱き、実行しようとした危険な考えもありました。実際には行動に移さなかったものの、どれほど自分が危険な状態にあったかを理解し、深く反省しています。 これらの過去の行動が自分自身にも、周囲にも大きな傷を残したと痛感しています。今、私はこれらの罪を償い、再び同じ過ちを繰り返さないために、カウンセラーに助けを求めています。どうか、僕はこのあと八大地獄に行くでしょう。 怖いというより行くならよかったです。自分は欲望より理性を働かせてるほうが落ち着きます。

有り難し有り難し 19
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過去の非行から自分の言動が信用できない。

幼い頃に一度、窃盗をしてしまったことがあります。 家族に相談したくても、父親はいつも怒鳴っているし、母親はそんな父親に付きっきりで、話せるような空気ではありませんでした。同時期に兄弟からも性的な悪戯や暴力を受け、相談するどころか居場所すら無かったように思います。 結局誰にも言えず、家に警察が来たらどうしよう、父親に怒鳴られる、殴られる……と罪の意識に苛まれる日々が続きました。 自分を追い立てるうちに、わたしは犯罪者なのだと、社会に迷惑をかける人間なのだという認識が根付きました。 アルバイトをできる年齢になって、窃盗したお店でたくさん買い物をしました。しかし、気持ちが晴れることはありませんでした。 それからは、もはや妄想の域に達していたと思います。 自分のしたことを考えるうちに、もしかしてあれもしてしまったかもしれない、いやそれ以上のことも……というように、どんどん考えが膨らみ、すぐ自分を追い立てるようになりました。 些細なことでもすぐ友人に謝り、「昨日のあれ嫌だった?」というように、いちいち相手の気持ちを確認しないと気が済まないようになりました。ストレスでおかしくなり、高校を辞めました。何度も自傷行為をしました。 ついこの間も、匿名掲示板に書き込んだ内容が法に問われるのではないかと不安になって仕方なくなり、弁護士さんに相談しました。 「まったく違法性はないので、気にする必要はない」とご回答いただいたのですが、それ以降なにも喉を通りません。 直接的な暴言を書いたわけでも、誹謗中傷したわけでもありません。しかし、受け取り手にどう映ったのか確かめられないことには、不安が治まりません。 「わたしの倫理観はきっとおかしいし、法に問われるに決まっている」という意識が止まりません。 家庭環境や境遇を持ち出して免罪符にするわけではありませんが、昔から叱られたことはなく、いつも意味不明に怒鳴られていました。「家から追い出す」「おまえのものを捨てる」「出ていけ」など言われるばかりで、道徳的なことは教えてもらえなかったように思います。 加えて小・中と不登校だったため、自分の言動や倫理観は、同世代と比べてもおかしいのではないかという意識があり、不安も、自傷行為も止まりません。 これからどうしていけばいいのでしょうか。 よろしければ、お言葉をいただきたいです。

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嫉妬のせいで生きづらいです

自分はダメ人間、価値のない無能です。自己肯定感なく自己受容も出来ず自己否定ばかり、酷いと自傷します。対策や自己受容法等、情報を得ても続きません。 原因は、親との関わり方や繰り返された言動と考えています。特に母親から否定、批判、侮辱ばかりで認められたことや受け入れられたこと、褒められたことはなく、妹や友達、身近な人となんでも比較されていました。やってもやらなくても、出来ても出来なくても怒られました。話を聞いてもらえないこともあり、誰かに褒められても調子に乗るなと言う顔でした。ただ、他の子のことは褒めていました。 よく言われたこと ・そんなことも、そんなことしか ・何も出来ないな、みんな◯◯なのに ・他人にテスト結果を話して”みんな引いてた”とわざわざ言ってくる ・◯◯さんこんなことも出来るのに ・視力が低下して取り柄がなくなった ・友達いないのか 等々 また、容姿、学歴や学校で人を判断していました。 ・◯◯校に行ってほしかった(未だにその学校名や制服を見聞きすると気分悪くなる) ・あの子太い、◯◯さんかわいくない ・◯◯校は一目で頭悪そう ・◯◯勤めの人すごい 等々 今30代ですが、全て鮮明に残っているし引っかかっています。 特に学歴、職歴はコンプレックスです。私は短大卒ですが、妹や従姉妹(年下)は進学校、国公立大学卒だからです。私は頭が悪く点数も順位も下位でいつも咎められていました。就職は転々としました。 2年前に結婚しましたがコンプレックスのせいで後悔、離婚ばかり考えてしまいます。原因は義妹(年下)です。義妹は私が受験すらできなかった高校出身、国立大学卒業後、大企業勤めだからです。さらに義妹の旦那はその親会社勤め、母親の◯◯勤めの人すごいと言った企業だからです。彼らは悪くないとわかっていますが嫌悪感ばかり抱きます。先日義実家で不機嫌が態度に出てしまい、義妹には機嫌が悪いと思わせ、旦那には二度と来るなと言わせるほどでした。義妹の結婚、出産も喜べませんでした。ほぼ身内に対してですが、成功やおめでたいことを喜べない、祝えない、受け入れられません。 自分はなぜ努力できないのか、頑張らなかったのかと考えても仕方のないことばかり考えます。全てネガティブで生きているのが辛いです。性格もあると思いますが、もし親から否定とかされていなければと思う毎日です。

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自分の容姿が愛せない

子供のころから、自分の容姿が愛せません。母や祖母が可愛いと言って愛してくれましたが、6つ離れた兄がしきりに私の外見をからかったことが、根強く心の傷として残っている、そのコンプレックスを抱えたまま、学生時代に他の子が自分の側で外見を褒められていると、劣等感と悲しさで潰されそうでした。大人になってからはプチ整形もしましたが、それでもコンプレックスは解消されず、次はメスを入れる整形を考えています。 「人は中身が大事」という教育を家庭で受けてきたので、それはもちろんだと思い、人への思いやりや気配りや、人の痛みに寄り添うことのできる人間だと自負はしています。でも、長年の呪いが私を縛るのです。「どんなに優しくても、品性があっても、あっちの厚かましい美人が優しくされもてはやされ、、私は放置される」と。実際にそのような経験を何度もしてきました。頼りになる・優しい・品が良くしっかりしているという評価を友人知人からよくされますが、それは自分の容姿で世渡りをするために必死で身に着けたものだというやるせなさもあります。 人に優しくするときは、一切見返りは期待していないので、たとえお礼を言われなくても不平不満は言わず、後になって恨み言を言うことも無いです。ですが、「自分は見返りがなくても人に優しくできる。なのにどうして周りの人は私が悲しんだり悩んだりしている時に声をかけたり、優しくしたりしてくれないんだろう。私が醜く、そこまでする価値のない人間だから?」と思ってしまうことが増えました。 あさましく、卑屈な私は整形したら自尊心を取り戻せるのでしょうか。 優しい心をもったまま美しくなれば、変われるのでしょうか。

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