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後悔・自己嫌悪
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罪悪感を消す方法とは?仏教から学ぶ罪の意識との向き合い方

罪悪感の正体に迫る

罪悪感に苦しむあなたへ——その気持ちは決して無駄ではありません 過去の行動や選択を思い返して、「あのとき、どうしてあんなことをしてしまったのだろう」と自分を責めてしまうことはありませんか?

 罪悪感は、心の奥深くから湧き上がる、とても重たい感情です。ときに自分を責め続け、苦しくなってしまうこともあるでしょう。 でも、その気持ちがあるということは、あなたが優しさや誠実さを持っている証でもあります。罪悪感は、ただ苦しいだけの感情ではなく、自分自身を見つめ直すきっかけを与えてくれるものでもあるのです。

だからといって、無理に「前向きに考えよう」としなくても大丈夫です。まずは、「今、自分は罪悪感を抱えているんだな」と、その気持ちを否定せずに受け止めてみてください。それだけでも、少しずつ心がほどけていくかもしれません。罪悪感とうまく向き合うことができたとき、あなたはより優しく、強くなり、大切な人とのつながりを深めることができるでしょう。

罪悪感とは何なのか?

罪悪感とは、心の中に生まれる深い自責の念のことです。過去の選択や行動に対して、「あのとき、違う道を選べばよかった」「あんなことをしなければ…」と、何度も思い返してしまうことはありませんか? たとえば、誰かに対して傷つけるような言動をしてしまったときや、本当はもっと良い選択があったのにそれを選ばなかったと感じるとき、人は罪悪感を抱くことがあります。 

この感情は、決して悪いものではありません。罪悪感があるということは、あなたが他者の気持ちを考えられる優しさや誠実さを持っている証でもあります。ただ、あまりにもその気持ちに縛られてしまうと、自分を過度に責めてしまい、心が疲れ果ててしまうこともあるでしょう。大切なのは、罪悪感を「ただの苦しみ」として受け取るのではなく、そこから何を学び、どう乗り越えていくかをゆっくりと考えることかもしれません。

罪悪感を抱く瞬間とは

罪悪感は、さまざまな場面で心に生まれます。たとえば、大切な人に対して傷つけるような言葉を投げかけてしまったとき、約束を守れなかったとき、あるいは後になって「もっと違う行動をすればよかったのでは」と後悔したとき…。中には、浮気のように信頼を裏切る行動をしてしまい、その重さに耐えられないほどの罪悪感を抱く人もいるでしょう。

罪悪感は、自分の行動が他者に与えた影響を考えることで生まれます。だからこそ、心の中で何度もその出来事を反芻し、「あのとき、こうすればよかった」と思い続けてしまうこともあるでしょう。それが長く続くと、心の負担が大きくなってしまうこともあります。

また、誰かを傷つけるつもりはなかったのに結果的にそうなってしまったとき、自分に期待されていた役割を果たせなかったと感じたときにも、罪悪感は生じます。しかし、こうした気持ちがあるからこそ、私たちは自分の行動を見つめ直し、より良い選択をしようと考えることができるのかもしれません。過去の過ちを悔やむ気持ちはつらいものですが、それがあなたの人生や人間関係をよりよくするきっかけになることもあるのです。

罪悪感がもたらすポジティブな側面

罪悪感は苦しいものですが、それだけがすべてではありません。この感情は、私たちに自己を振り返る機会を与え、よりよい選択をするための道しるべにもなります。過去の行動を見つめ直すことで、同じ失敗を繰り返さないための学びが得られるのです。

また、罪悪感は人との関係を深めるきっかけにもなります。誰かを傷つけてしまったとき、素直に謝ることで、より強い信頼関係が築かれることもあります。この感情があるからこそ、人は誠実であろうとし、よりよい行動を選ぼうとするのかもしれません。

罪悪感を消す方法としては、罪悪感をただ抱え込むのではなく、うまく向き合うことです。自分を過度に責めるのではなく、「どうすれば次に生かせるだろう?」と考えてみてください。そして、必要ならば誰かに気持ちを打ち明けたり、謝罪を通じて関係を修復することも助けになるでしょう。罪悪感は決してあなたを苦しめるだけのものではなく、成長のための大切なステップにもなるのです。

未来への学びと反省のきっかけ

罪悪感は苦しいものですが、それは過去を振り返り、学びを得る大切な機会でもあります。過ちを意識することで、次に同じことを繰り返さないように考えるきっかけになるのです。罪悪感を完全に消すことは難しいかもしれませんが、それをどう活かすかが大切です。

たとえば、過去の行動を冷静に振り返り、必要ならば謝罪や責任の取り方を考えることで、気持ちが少し軽くなることがあります。このプロセスを通じて、自分をより深く理解し、未来に向けた前向きな変化を生み出せるかもしれません。過去の経験が、ただの後悔ではなく、より良い選択をするための糧になるのです。

誠実さや人間性の現れ

罪悪感を抱くのは、それだけあなたが誠実で、他者を思いやる心を持っているからかもしれません。自分の行動が誰かにどんな影響を与えたのかを考えることで、より深い思いやりが育まれ、信頼関係を築くきっかけにもなります。

大切なのは、自分を責めすぎずに、その気持ちをどう整理し、行動に活かすかを考えること。過ちを素直に認め、必要なら謝罪し、これからの行動を見直すことで、罪悪感は成長のための力に変わります。自分を受け入れながら、少しずつ前に進んでいきましょう。

他者との協調を深める

罪悪感は、他者とのつながりを深めるきっかけにもなります。自分の行動を振り返り、周囲への影響を理解することで、より思いやりのある関係を築くことができるでしょう。

ただし、罪悪感を抱え続けると、心の負担が大きくなり、人間関係にも悪影響を及ぼすことがあります。そのため、必要以上に自分を責めるのではなく、問題を冷静に振り返り、改善のための行動をとることが大切です。誠実な対話や謝罪を通じて、気持ちを整理しながら、より良い関係を築いていきましょう。

人間関係の質向上に寄与する

罪悪感は、適切に向き合うことで人間関係をより良いものにする力を持っています。特に、誠実な謝罪や反省を通じて、相手との信頼を深めることができます。心から謝ることで、相手に誠意が伝わり、共感が生まれることもあるでしょう。

また、自分自身の罪悪感を整理し、それを前向きな行動につなげることで、互いに支え合う関係が築かれていきます。罪悪感を無理に消そうとするのではなく、それを通じて理解し合う機会と捉えることで、より温かく、深いつながりを生み出すことができるのです。

内面的成長につながる可能性

罪悪感はつらいものですが、それをきっかけに自己を見つめ直し、成長する機会にもなります。過去の行動を振り返ることで、自分の価値観や考え方を深めることができるでしょう。

大切なのは、罪悪感を抱え込むのではなく、「自分にできることは何か?」と考え、少しずつ行動に移していくことです。このプロセスを通じて、心が整理され、より穏やかで前向きな気持ちへと変わっていくかもしれません。罪悪感を責めるものではなく、自分を成長させるきっかけとして捉えていきましょう。

罪悪感のネガティブな影響

罪悪感は、心に重くのしかかり、ときに自信や自己評価を大きく下げてしまうことがあります。特に、浮気のような裏切り行為に関する罪悪感は深刻で、強い自己否定につながることもあるでしょう。このような気持ちが続くと、判断力が鈍り、問題に向き合う意欲さえも失ってしまうことがあります。

また、罪悪感が長引くと、不安や抑うつを引き起こし、人との関係にも影響を与えることがあります。たとえば、後ろめたさから素直にコミュニケーションが取れなくなったり、孤独を感じたりすることもあるかもしれません。

大切なのは、罪悪感を抱え込むのではなく、少しずつでも向き合い、解放に向けて歩みを進めることです。自分を責め続けるのではなく、「今、自分にできることは何か?」と考えることで、少しずつ気持ちが整理されていくかもしれません。自分自身を理解し、許し、前に進むことで、より健全な人間関係を築くことができるでしょう。

自己評価の低下

罪悪感が強くなると、自分を責め続けてしまい、自己評価が大きく下がることがあります。特に、浮気など重大な後悔を伴う場合、「自分には価値がない」と感じてしまうこともあるでしょう。過去の失敗を引きずることで、さらに自己肯定感が損なわれ、悪循環に陥ることもあります。

このような状態が続くと、自分を信じる力が弱まり、新しいことに挑戦する気持ちもなくなってしまうかもしれません。しかし、罪悪感を抱えているからこそ、あなたは自分の行動を振り返り、成長しようとしているのではないでしょうか?大切なのは、過去の行いを責めるのではなく、そこから何を学び、どう変わっていくかを考えることです。

孤独感の増加

罪悪感を抱え続けると、周囲との距離を感じ、孤独を深めてしまうことがあります。特に、浮気などに関する罪悪感は、誰にも話せず、一人で抱え込んでしまうことが多いかもしれません。自分の気持ちを隠すことで、周囲との関係がぎこちなくなり、ますます孤立してしまうこともあります。

しかし、あなたの苦しみを理解しようとする人は必ずいます。罪悪感を完全に消すことは難しくても、誰かに気持ちを打ち明けたり、少しずつ自分を受け入れる努力をすることで、孤独感は和らいでいくはずです。一人で抱え込まず、少しずつでも人とのつながりを取り戻していきましょう。

精神的ダメージの蓄積

罪悪感を抱え続けると、心が疲れ切ってしまうことがあります。特に、浮気などの過去の出来事を繰り返し思い出して自分を責め続けると、ストレスが蓄積し、不安や抑うつの原因になることもあります。

この状態が続くと、集中力が低下し、仕事や学業に影響が出たり、人間関係や健康にも悪影響を及ぼすことがあります。罪悪感を無理に消そうとする必要はありませんが、少しずつ心の負担を軽くする方法を見つけることが大切です。まずは、自分の気持ちを整理し、今できることに目を向けてみましょう。

持続する罪悪感が生む自己否定

長く続く罪悪感は、自己否定につながることがあります。特に、浮気などの過去の行動に強い後悔を抱えていると、「自分には価値がない」と感じ、自信を失ってしまうこともあるでしょう。

しかし、過去の行いを悔やむ気持ちは、それだけあなたが誠実でありたいと願っている証でもあります。罪悪感に押しつぶされるのではなく、「これからどうしたいか?」と考えることで、少しずつ前向きな変化を生み出せるかもしれません。自分を責めるのではなく、成長のための一歩として向き合うことが、心を軽くする鍵となるでしょう。

罪悪感を消す方法とその実践

罪悪感を手放すためには、まず自分を深く理解し、ありのままの自分を受け入れることが大切です。過去の出来事と向き合い、反省したうえで「これからどうすればよいか?」を考えることで、少しずつ気持ちが整理されていくでしょう。

また、罪悪感を消す一歩として、過去の過ちを学びに変え、前向きな行動にシフトすることも有効です。自分を責め続けるのではなく、「どうすれば成長につながるか?」を意識することで、罪悪感を建設的に活かせるようになります。

仏教の教えでは、執着を手放すことで心が解放されるとされています。罪悪感に囚われるのではなく、少しずつでも心のバランスを整え、穏やかな気持ちで歩んでいくことを意識してみてください。自分を許しながら、前を向いて進んでいくことで、より安定した心を取り戻すことができるはずです。

前向きな行動への切り替え

罪悪感を軽くするためには、前向きな行動を意識することが大切です。過去のことを考え続けると、自責の念が消えず、気持ちが沈んでしまうことがあります。しかし、小さなことでも積極的に行動を起こすことで、少しずつ気持ちが変わっていきます。

たとえば、誰かに感謝を伝えたり、日常の中で小さな成功を積み重ねることも効果的です。ボランティアや人の役に立つことをすることで、気持ちが晴れやかになり、新たな視点を得ることができるでしょう。大切なのは、自分を責めるだけで終わらせず、今できることに目を向けること。少しずつでも前向きな日々を築いていきましょう。

心の中で許しを得るプロセス

自分を許すことは、罪悪感を手放す大切なステップです。反省することは必要ですが、過去の自分を責め続けるのではなく、「あのときは仕方なかった」「これからどうすればよいか」と、優しく受け入れることも必要です。

心の中で過去の自分に語りかけるように、少しずつ感情を整理していきましょう。そうすることで、心の緊張がほぐれ、気持ちが軽くなっていくはずです。自分を許すことは、自分を大切にすることでもあります。少しずつ心を解放し、前向きな一歩を踏み出してみてください。

謝罪や償いの具体例

罪悪感を和らげるために、誠実な謝罪や償いを行うことも大切です。たとえば、浮気などで相手を傷つけてしまった場合、自分の過ちを認め、心から謝ることで、気持ちが整理されるだけでなく、関係を修復するきっかけになるかもしれません。

また、謝罪の言葉だけでなく、日々の思いやりや行動で誠意を示すことも重要です。相手が望む形で償いをすることで、少しずつ信頼を取り戻すことができるでしょう。過去の過ちをなかったことにはできませんが、誠実な態度を続けることで、より良い未来へとつなげることができます。

過去の経験から価値を見出す

過去の失敗を振り返り、そこから何を学べるかを考えることも、罪悪感を軽くする助けになります。誰にでも間違いはありますが、その経験をどう活かすかによって、未来が変わっていくのです。

「なぜあの選択をしたのか」「次に同じ状況になったらどうするか」と考えることで、過去の出来事が成長の糧になります。過ちを責め続けるのではなく、その経験を未来に生かすことで、自分自身を前向きに受け入れられるようになるでしょう。

仏教に学ぶ罪と向き合う智慧

罪悪感を手放すために、仏教の教えには多くのヒントがあります。それは自分を責めるためではなく、過去を受け入れ、より良い未来を築くための気づきとして大切にされています。 

そのための一つの方法が「許し」です。自分や他人を許すことで、罪悪感に縛られず、心を軽くすることができます。また、過去に執着せず、「今」を大切にすることで、未来へ希望をつなげることができます。 過去の行動を悔やむことは、それだけあなたが誠実に生きようとしている証です。その思いを優しく受け入れながら、少しずつ心を整え、前に進んでいきましょう。

許しと慈悲の実践

仏教では、許しと慈悲が心の平安を得るための大切な教えとされています。罪悪感を抱くことは自然なことですが、それに囚われ続けると、自分を苦しめる原因になってしまいます。

 自分を許すことは、自分を責める気持ちから解放される第一歩です。また、他者に対しても慈悲の心を持つことで、心の負担が軽くなり、人とのつながりが深まることもあります。許しと慈悲を実践することで、少しずつ心が穏やかになっていくでしょう。

執着を手放すことの効果

仏教では、執着を手放すことが心を軽くし、自由に生きる鍵だとされています。罪悪感や過去の出来事に囚われると、気持ちが重くなり、前に進むのが難しくなることがあります。

しかし、過去を悔やむのではなく、未来に目を向けることで、新しい可能性や成長のチャンスが生まれます。心が軽やかになることで、日々の生活の質も向上し、自分を受け入れることができるようになるでしょう。

罪悪感と向き合うお坊さん問答集

罪悪感をどう整理したら良いか知りたい

夫が仕事用のスマホを、お風呂に入る時も手放さないようになったことに気づいてから数週間。

夫の行動一つ一つに疑念を持つようになり、夫が飲み会と言って出かけるたび、夫がスマホを触るたびに不安に駆られてしまい、いけないことだとわかっているのに、とうとう自分を抑えきれずスマホをチェックしてしまいました。

人生経験上、スマホを見ても絶対に良いことはないし、余計に苦しくなる行動だと前々からわかっていました。見てしまった今は、真実の一部を知ったものの、自分自身の行動をとても後悔しています。自業自得ですが苦しいです。

この罪悪感を自分の中でどう整理すべきなのかわからず、アドバイスをいただけないでしょうか。

幸せを失う行為を自らしない

何に対してもそうですが、気になるから〜不安だから〜心配だから〜と、いろんな言い訳を理由にしても、人のものを勝手に見る行為は、信用を失くしますし、軽蔑されますよ。

真実を知りたいのなら、コソコソ泥棒のようなことをせずに、直接に聞かなきゃね。

罪悪感は、戒めとして背負っていくしかないと思います。
幸せを失う行為を、自ら犯さないように。

隠れて調べなくても、あなたの態度と言動で、夫さんに隠し事はナシよと きちんと示していきましょう。

元の問答:罪悪感をどう整理したら良いか知りたい

罪悪感に苛まれます

仕事の中でパソコンを使った私的利用をしてしまいました。
動機としてはシフト作成のために、プライベートのイベントの日程を確認するためですが、当然してはならないことだと思っており、クビになるのではないかと後悔しております。
気持ちを入れ替えるためにはどういう考え方をすれば良いのでしょうか?

人はつらいとき、はじめて大事なことを学んでいく


釈迦はこのように説いてくれます。
「人間の最大の名誉は、決して倒れないことではない。倒れる度に起き上がることである。」

わたしたちは、事の内容は変わるものの失敗を行います。学んでいてもです。しかし、なぜ同じことを繰り返してしまうのか?を考えるだけでなく、どうすれば改善できるのかを考えていくことが大切なのです。

『塵も積もれば山となる』は、仏教の経典のお言葉ですが、"善も悪"も少しずつでも蓄積していくことで、心は どちらにも貯金されます。

『善は急げ』も、釈迦の言葉です。その言葉の後にこのように説いています。
『善は急げ。善を為すのにノロノロしていれば、人は悪を楽しむようになる』と説いてくれています。

今回の後悔となる私的行為を掻き消すには、善は急げ同様に近くの先輩に素直に謝罪する。(食事などのときなど、時と場所を選んで)そうすることで、先輩などは叱ってくれたりするものの、理解ある人は「こいつ素直な奴だな」と、かえって信用に変わることもあるものです。これが世にいうピンチがチャンスに変わる境目となります。

大変とは大きく変われるときとして邁進していきましょう。

元の問答:罪悪感に苛まれます

罪悪感を乗り越えるために

罪悪感を手放すためには、まず自分の気持ちを理解し、受け入れることが大切です。「何に対して罪悪感を感じているのか?」を探り、過去の行動と向き合うことで、少しずつ気持ちが整理されていくでしょう。

次に、過去の失敗を乗り越えるために、前向きな行動を意識することが重要です。小さな成功体験を積み重ねることで、自己肯定感が高まり、罪悪感も和らいでいきます。

また、仏教の教えにある「許しと慈悲」を実践することで、心に余裕が生まれ、自分にも他者にも優しくなれるかもしれません。さらに、瞑想やマインドフルネスを取り入れることで、過去への執着を手放し、今この瞬間を大切にすることができるようになります。

お坊さんに相談してみよう

罪悪感に悩んでいるとき、お坊さんに相談してみませんか?仏教の教えに基づいた視点から話を聞いてもらうことで、自分の気持ちを整理し、新たな気づきを得ることができるかもしれません。

お坊さんは、苦しみや後悔を抱える人々の話を聞き、心の平安を取り戻すための知識と経験を持っています。相談を通じて、罪悪感との向き合い方や、自分自身を理解するヒントをもらえることもあるでしょう。

また、仏教に基づいた瞑想や心を整える方法を教えてもらうことで、少しずつ罪悪感を手放す手助けにもなります。気持ちを軽くするための選択肢の一つとして、お坊さんに相談してみるのも良いかもしれません。

ハスノハでは、お坊さんが悩みに寄り添い、心を整理するお手伝いをしています。 ひとりで抱え込まずに、あなたの気持ちが少しでも軽くなるきっかけになればと思います。

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温かい気持ちになるお坊さん説法

「罪悪感を消したい・罪の意識で苦しい」問答一覧

大切なものを守るために生きたいです

子どもが生まれてから幸せすぎて、自分が過去にした行いが、今の生活を壊してしまうのではないかと不安になり、過去を振り返るようになりました。 産後のホルモンバランスの影響もあるかと思うのですが、不安になるといてもたっても居られず、不安な出来事の相手方に連絡し、大丈夫かどうか確認してしまっていました。自分の行為が今の生活を壊していること、また壊す可能性があることはわかっていたのですが、不安感が強く、問い合わせをやめることができませんでした。 気づけば大切な家族との時間を、不安の解消に使ってしまっていました。 人に話したり、いろいろな本を読むなかで、不安は自分が作り出した妄想、そうなってから考えればいいこと、自分が不利になるようなことはしなくてもいいことを知りました。 今、一番大切なのは家族です。子どもとの生活です。幸せです。 その生活を守るためなら、過去に起こしてしまった間違いについて公にしなくても良いでしょうか。反省し、今後はしないように気をつけ、迷惑をかけてしまった方たちには思い出すたび心のなかで謝罪をしています。 ただ、本当にそれで良いのかとまだ不安になります。この考えで生きていっていいのか、どうか教えてください。 よろしくお願いいたします。

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罪悪感の乗り越え方

過去の行いの天罰が下ったのか、今とても辛いです。 私は過去人をいじめたこともあれば、悪口を言ってしまったことも、我儘を言って迷惑をかけてしまったこともなど、色々と沢山の人たちに迷惑をかけてしまった人生を送ってきました。その天罰が下ったのか、今とても辛く、消えたい気持ちがあります。今更になって、自分の過去の行いを反省しています。 人生やり直したいとも考えますが、やはりこんな自分は消えた方がマシだと思ってしまってます。私がしてしまった過去の行いはどうしようもないことばかりです。最近はその過去のことで自分がしてしまったことへの罪悪感が湧き、苦しいです。 迷惑をかけてしまった人たちへのせめてもの償いとして、消えようと思う日々を送っています。それに、人生何をしても楽しくないんです。もう毎日どうやって、息の根を止めようかと考えるばかりです。天罰だと思うほど苦しく、もう生きてて、辛いです。情緒不安定にもなり、落ち着きません。でも、この苦しみは周りの人たちが味わった苦しみと比べれば、小さいものなのでしょうか? いじめてしまった人、悪口を言ってしまった人、迷惑をかけてしまった人などには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。 この罪悪感やこの気持ちをどうやって乗り越えたら、いいのでしょうか? (※只今入院中のため、返信やお礼がかなり遅くなります。すみません。ご理解頂ける方のみの返信で構いません。帰ってくる日は分かりません。)

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名誉毀損をしてしまった過去を悔やんでます

昨年9月に、ある芸能人の匿名掲示板に、名誉毀損に該当するコメントをしてしまいました。 内容はその方とは幼い頃、知り合いでして、当時、個人間では優しくしてくれたものの、集団でいる時に周りの子たちと一緒に無視したり、仲間はずれにされてしまい、本人が活躍する姿を見ると複雑な気持ちになってしまうという過去の経験に基づいた本人に対する印象や感情を書いてしまいました。 実際、仲間外れにされてしまったりして悲しい気持ちになったのは本当の話ですし、未だに思い出すと胸が締め付けられます。 ただ、事実であるとは言え、公然の場では書いてはいけないことでした。 そのコメントはその界隈で1日だけ炎上し、「開示請求されても知らないよ?」と指摘を受けました。私はその掲示板に、「申し訳なかった。本人に酷いことをしてしまった。」と謝罪を入れ、すぐに弁護士に相談をし、該当コメントを書き込みから1週間後に削除して頂きました。(自分で削除できるような掲示板ではなかったため。) 対象者は今ではかなりの有名人となり、公式SNSは何十万人とフォロワーがいます。有名な分、容姿に対する悪質なコメントなど誹謗中傷はかなり多く見られます。私がしてしまった書き込みはそれらと比較するとそこまでのレベルではないと思いますが、罪悪感が消えず、本人に対して申し訳ない気持ち、そして訴えられて人生終わるのではないかという恐怖を常に感じてます。 弁護士3名ほどに相談しました。 1人目は、「そこまで悪質じゃないし、12月に入っても何も連絡なかったら大丈夫だと思うよ。」と。2人目は、「もう4ヶ月も経過してるとなると開示の可能性は低いと思う。」と。3人目は、「なんとも言えない。こんなパターンも考えられなくもないから、待つしかない。」と。 訴えられる不安と共に、有名人として頑張る本人を見るとごめんなさいと泣きたくなり、自分を責めて苦しくなります。きっと訴訟のリスクはないだろうと信じたくても信じきれず、最悪の事態を想定し、予期不安を感じ、罪悪感が永遠に残り続けます。ネットの発言には気をつけろと言われてたのに、なぜあんなことをしてしまったのだろうと。 今は、罪を二度と犯さないように、人に優しくすることを心がけています。このモヤモヤした気持ち、不安な気持ちに何かアドバイスをしていただけないでしょうか?こんな悪いことをした自分で申し訳ないです。

有り難し有り難し 5
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幸せになってはいけないと思ってしまう

私はこれまで、悪意なく多くの過ちを犯してきました。 かつて他者から「人として許されない行為」を受け、それを「自分は絶対にしない」と誓っていたにもかかわらず、気づけば自分も同じような、あるいはそれ以上の言動で他者を傷つけてしまいました。 過去と向き合う中で、かつて傷つけられた時以上の苦しみを味わい、自分自身への激しい憎悪を抱くようになりました。 そして、これが「罪を背負う」ということなのかと、ようやく理解しました。 頭では「償い、改心することが大切」と分かっています。 しかし、どう生きればよいのか、その具体的な道筋が見えません。 命を絶つことは責任からの逃避だと考えているため、それを選ぶつもりはありませんが、自分が生き続けることが周囲にとって害になるのではないか、また、償いの努力すら過去を帳消しにしようとする行為だと、特に被害者側から捉えられてしまうのではないかと思い、不安と罪悪感で押しつぶされそうです。 私は、自分が許されるべきだとは考えていません。 許されないからこそ、改心すべきだと思っています。 また、過去に人を傷つけた以上、今後どんな理由であれ、無関係な人から何かをされてもその人を許すべきだとも考えています。 その上で、過去の罪悪感を四六時中抱え続けながら、不便であっても生きること自体が償いになるのではないかと思ってしまっています。 それほどの覚悟がなければ改心などしてはいけないと思う一方で、この考え方自体が何か誤っているのではないかとも感じています。 それでも、私は人として誠実に生きる道を模索したいと強く願っています。 このような私に、どのように生きるべきか、何か助言をいただけましたら幸いです。

有り難し有り難し 23
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