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神様の前で誓ったことを破ってしまった

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こんにちは。初めて相談させていただきます。

私は今年、本厄の年です。
ネットで過去に本厄を経験された方のお話を読んだところ、嫌なことがたくさん起こったとか、自分だけでなく家族にも被害が及んだなど、とても怖い内容ばかり書かれていました。

でも数年前からパートも辞め、変化のない引きこもりに近い生活を送っている私は、特に気にすることもなくこれまで過ごしてきたのですが、今年の初めに、叔母さんが倒れたから来てという緊急の電話が親の元にかかってきたことから、やはりキチンと厄払いに行っておくべきだという考えに至ったのです。

親はひどく落ち込んでいて、これは全部私が厄年だからだ…と改めて恐怖を感じました。

久しぶりに外に出て、近所の神社に向かいました。厄払いのあと、叔母さんの体調がよくなるようにと絵馬を書き、賽銭箱の前で手を合わせ、『これから頑張るのでどうか叔母さんの体調を良くしてください』と神様の前で誓いのようなものをたてました。

その後叔母さんの容態は安定し、自宅で過ごしていたのですが、数カ月前に再び緊急入院することとなってしまいました。

私はその時、『これは私が神様との約束を守らないでいつまでも引きこもっているからだ、今からでも動き出せば間に合うかも』と思い、いつ働きに出てもいいように、髪を切りに美容室と、ワクチンも打ちに行きました。

叔母さんは、いつ亡くなってもおかしくないと家族へ医者から告げられていたようでした。
親は動揺して、たまに泣いているところも見たり、常にそのことが頭を離れないようでした。

でも私はあと一歩がどうしても踏み出せませんでした。数年のブランク、そもそも人付き合いが苦手でまともに仕事も出来ない、働きに出るのが怖くて怖くて仕方なかったのです。

そして一昨日、叔母さんが亡くなったと親のところに連絡が来ました。

これは私のせいですか。約束を破ったからですか。そもそも神様の前で簡単に約束してはいけないのだということも知らずに、出来もしない誓いをたててしまったせいですか。ネットで調べたら神様がひどく怒っているのだと書かれていました。

私が頑張って動き出していたら、叔母さんは死なずに済んだかもしれないと思うと親に申し訳なくて言葉になりません。私はこれからどうしたらいいですか。

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

厄のおかげで気づけたこと。

神様は喜怒哀楽があるようですね。
機嫌を損ねては大変だから、いろいろ世話しなきゃいけない。

でも、ちひろ様のご質問文を拝見すると、
悲しみや不安だけでなく叔母さまの健康を我が身のことのように願う優しい心があらわれましたね。

どんな理由であろうが肉体が滅びることは仕方ない。とお釈迦さまは言ってます。
肉体への執着より死を通じての悟りと教えを大事にと説いてます。

ワクチン打って偉かったです。
神社に行けて偉かったです。
ワクチンや神社に行けたのは誰のせい?
その視点で考えると、『せい』より『おかげ』という言葉を使う方が仏教的かな。

叔母さまのおかげで一歩踏み出せた。

ちひろさまが案じ想ってくれたおかげで、孤独な旅立ちは避けることができた。

それも事実かなと思います。

叔母さまはもう少し生きたかったかもしれないですね。
生きていろいろなことをしたかったなら、ちひろさまがほんの少し叔母さまの分を背負ってあげるのも選択肢です。

無理することは叔母さまも望んでないと思います。
でも、叔母さまの病と死がちひろ様の人生にきっかけを与えてくれるなら、活かさないではないです。

叔母さまの死が教えてくれたことを大切に。。

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有り難し
おきもち

僧侶として長い時間を過ごしてきましたが、 四十年以上経った今でも、言葉や文字にできない思いはあります。 どんなに経験を重ねても、 世の中で起きる出来事や、自分の中に生まれる感情のすべてを きれいに整理して表現できるものではないと思っています。 だから、うまく書けなくても安心してください。 ここでは、無理に言葉を整えることよりも、 いったん息を整えて、静かに耳を澄ますことを大切にしています。 まとまりのない文章でも、途中で止まってしまっても構いません。 言葉になる前の思いが、そのまま置かれてもいい場所でありたいと考えています。
特別な準備や、上手に話すことは必要ありません。 このオンライン相談の時間は、あなたのために差し出された時間です。 話すことだけが人生の目的ではありません。 言葉が浮かばないときは、 ただ呼吸に耳を澄ませる時間として過ごしていただいても構いません。 日常の中で受けている外からの抑圧やストレスから、 ひととき身を離れるための「避難の時間」として この場を使っていただくこともできます。 僧侶である私は、何かを答える人というより、 あなたがこの時間を安心して過ごせるよう、 静かに同席する存在でありたいと考えています。 話がまとまらなくても、途中で止まっても大丈夫です。 この時間が、あなたのペースを取り戻すきっかけになれば幸いです。 なんまんだぶつ。

質問者からのお礼

泰庵様
質問に答えていただき感謝します。
私のようなものには勿体ないお言葉と思いつつ、涙が出てしまいました。
また何かご縁があれば、よろしくお願い致します。ありがとうございました。

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