苦しくて仕方ない
苦しくて仕方ない時が定期的に訪れます。
子どもの頃 親に虐待を受け、学校では いじめられ、最終的には養護施設で暮らしていました。
現在は、旦那もいて娘もいます。
幸せは常に目の前にあるのに、ニュースなどで虐待の末に死んだ子どもの事を知ったり いじめが原因で死んだ人、性的暴力にあった人、強盗に老人が殺された、などの事柄を知ると子どもの頃の辛かった記憶が全て鮮明に蘇り何も手につかなくなってしまいます。
以前は、気にせずに娯楽の一つとして観ていたサスペンス物のドラマですら観ていると動悸が激しくなってしまいます。
最近は、そういったものから自分を離そうとテレビを見なかったりSNSから離れたりしていますが、本当になんの前触れもなく色んなことがフラッシュバックして辛くて仕方ありません。
先月から今月にかけて自殺未遂を4回してしまいました。
全て運良く旦那に止めてもらい、なんとか生きています。
旦那の事は、大好きです。娘も凄く可愛いです。どんな風に成長するのか見守りたいです。
けれど、それ以上に苦しい気持ちが大きすぎて苦しさが溢れそうになると消えたくなってしまって気がついたら死のうとしてしまいます。
以前、心療内科に通っていましたが何度薬を変えても薬が効かず、お金もかかるのに何も変わらないなら通う意味ないなと行くのをやめてしまいました。
毎日が本当に辛いです。
何が辛いのか自分でももう分かりません。でも頭に浮かぶ全てが辛くてしんどいです。
少しでもいいから、この苦しさから解放されて落ち着いた精神になりたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
通院は継続を
心療内科への通院を「改善しないから」とやめてしまう人はけっこういますね。
ただ、通院の効果には、「改善するため」だけでなく「悪化しないため」もあるのではないでしょうか。
自殺未遂をするというのは、風邪にたとえるなら肺炎(命の危険がある症状)になっているようなものなので、まずは医療を利用しましょう。
さて、仏教では、私達が認識する物事は「空である」つまり全て実体がない幻のようなものであると説かれます。
フラッシュバックも、目の前の現実ではなく脳内の映像です。
頭に思い浮かんでも、それを追いかける必要(フラッシュバックに真面目におつきあいしてあげる必要)はありません。
フラッシュバックを無責任に途中放棄して、別のことを考えるようにしましょう。
たとえば、「なむあみだぶつ」と念仏を唱えて、阿弥陀仏があなたを極楽浄土に迎えてくれると思う、念仏の心に素早く思考を戻す。
なむあみだぶなむあみだぶ→風の音が聞こえる→なむあみだぶなむあみだぶ
と、日常生活の中で、なむあみだぶなむあみだぶの念仏から別のことに意識がそれても、また念仏に心を帰すという練習をしてみましょう。
質問者からのお礼
願誉浄史 様
返事が遅くなり申し訳ありません
悪化しない為の通院、確かにそうですね。その視点は今までの自分に無かったのでハッとさせられました。
今もまだ、精神が不安定で日中も最低限の事しか出来ず横になってしまう日々なのでやはり通院の継続はしようと思います。
また、仏教的観点からのお言葉もありがとうございます。
全ては、空でありフラッシュバックは脳内の映像にしか過ぎない、だから真面目に追いかける必要が無いと言って頂け気持ちが少し軽くなりました。
なにか、自分を不安たらしめるような事を考えてしまったら南無阿弥陀仏を唱えて思考の切り替えをしてみようと思います。
たくさんの悩みから私の事を見つけて下さりありがとうございます。
少しでも明るくなれるよう、頑張ります。