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上司との事です。いろいろなご意見頂けると嬉しいです

回答数回答 3
有り難し有り難し 14

女性上司【既婚、子供いない】とお出かけしました。
ご一緒させて頂いたの私が初めてらしく、他の方とは
会社だけのお付き合いだそう(^^;;

⭕⭕ちゃんと言って下さったり、目がクリッとして可愛いっと褒めて頂きました。

自分では薄化粧で黒髪
容姿コンプレックスだらけです。

メールの返信を長文で頂いた事もあります。

そしたら、応援してる!
もっと自信を持って貰いたい!
頑張って欲しい!
と言って下さりました。

職場では、あまり話す時間ないけど
⭕⭕ちゃんの事は気にかけてるからと言って下さりました。

あとは
声をかけて頂いたり、
誕生日メール頂いたり、
帰りに手を振って下さったり。

どう思いますか?

お気に入りなんでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ワシには分かりません。

すいませんが、その回答はあなたと仲の良い、気の置けない仲間に相談しましょう。下手にその上司の判断はワシにはできません。他を当たってください。

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有り難し
おきもち

目指せ!となりのお坊さん あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのではありません あなたの悩みを解決するお手伝いを私がするのです ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
ここだけの話し  どんな些細な質問でも回答します! ・私の目指す僧侶は一休さんのようなちょい悪坊主です。時には常識にとらわれずとんでもないことを言いますが、しっかり受け止めて下さい。私もしっかりとあなたの質問を受け止めたいと思います。 ・先ずは30分からで、システムに慣れたら時間を延ばしたいと思います。

こんにちは、ショコラさん。

ショコラさんの文章を読むかぎりにおいては、年上同性の上司に気に入られ、応援されているようにしか見えませんが。
それはそれで素晴らしいことかと思います。

ただすこし心の距離が近すぎるように感じるのであれば、あくまで仕事上の上司として尊敬していると暗に伝えるなど、距離をとってみてもいいかもしれませんね。

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おきもち

真宗大谷派(東本願寺)僧侶 東京品川 日夜山正徳寺 住職 主な活動 ・正徳寺声明会(しょうみょうかい:お経の練習と法話)月一回開催 ・こども囲碁道場 月一回開催 講師:日本棋院 王唯任五段 ・こども すみえ おえかき道場 隔月開催 講師:墨絵画家 本多豊國 ・「対話する夜」 月一回 都内のいろいろなお寺で平日夜にお坊さんを交えて対話する会 この他に、寺社フェス「向源」のお手伝いなど

感謝

あなたの事を良く見守って下さる方がちゃんとおられるということです。
あまりご自分には自信が持てないかもしれませんが、そういうときは素直に受け止めて良いのです。
ありがとうございます。(*´▽`*)
ウレシイですって、素直な気持ちをお返しされてはいかがでしょうか。
ご自身に自身が持てない最大の理由として、過去に於いて人から否定的な事を言われたり、ということがおありだったのかもしれません。
私はこう考えるようにしています。
「それも、結局、自分にとって、望ましいことが起きなかったからブーたれていただけなのかも」って。
人生、自分の都合よくばかりじゃありません。
世の中は、自分の願いや求めとは無縁なありかたで存在しているのです。
いいですか?
世の中は、自分の願いや求めとは無縁なありかたで存在しているのです。
大事なことなのでもう一回。
世の中は、自分の願いや求めとは無縁なありかたで存在しているのです。
だから、どうしろって?
この道理をキチンと弁えれば、あなたのなかで、過去のアナタが、あの時、こうあってほしかったっていう願いを持っていた自分の執着が外れて、コンプレックスの解消にもなるということですよ?
過去を否定する、反発する自分が無くなれば、あなたはもっと安心して大いに自信を持って生きられるということです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ