先日は夫のことで相談に乗ってくださって本当にありがとうございました。 その夫のことでまた相談なのですが… 現在、夫が休職したために一人職員を補充しなくてはならない状況になりました。 その後釜に、まさかの夫を適応障害に追い込んだ教師が非常勤講師として働いていることが分かりました。 そのパワハラ教師は昨年度末に退職したので、おそらく管理職が依頼したのだと思います。 その非常識さに呆然としました。 また、夫が勤務している都道府県は休職後3年以内に復職できないと自動的に解雇になるそうです。 さらに、主治医が復職許可を出しても、教育委員会が復職許可を出さなければ復職できないそうです。 つまり、教育委員会が3年間復職許可を出さなければ解雇にできる…という恐ろしい規則になっています。 夫の場合、パワハラをした教師が教育委員会から表彰されたことのある人(=教育委員会から信頼されている)なので、その教師と折り合いが悪かった夫に非があると思われています。 3年後に解雇されるかも知れない。 でも教師の再就職はとても難しい。 「人生行き詰まりだ」と夫は言い、自殺を考えています。 私ももう辛くて仕方ありません…
宗教・宗派を超越して、宗教家・僧侶は、決して自殺はしてはいけないと俗人に「説教 説法」しますよね。 否定しません。その通りです。 しかし・・・・・ チベットのラマ僧侶は、中国共産党の悪行に抗議するためと称して、よく焼身自殺しますよね。 軍事政権下にあったビルマ・ミャンマーでも、タイでも、ベトナム戦争時の南ベトナムでも、仏教僧が支配者・独裁者・軍部の悪行に抗議すると称してよく焼身自殺をしていました。 日本では、昔は「生き仏」になると称して、僧侶が穴倉にこもり、すべての飲食を断ち、「御陀仏」するという『挑戦」をしていたこともありましたが、これも自殺ですよね。 僧侶の皆さん、仏教では、仏陀は、自殺を認めている・奨励しているのでしょうか? 俗人の自殺は許されないが、僧侶の自殺は許されるのでしょうか? いかがでしょうか。
あれは雨の日の10月27日午前10時15分の銀座での出来事でした。いつものルートをトラックで走っていると20メートル先に駐車している車の間から人影が見えました。それからは本当に一瞬の出来事でした。その人は突然持っていた黒い傘とペットボトルを前方に投げ出したかと思うと左前方のミラーの辺りに顔が当たったか思うと同時に身体は姿を消しトラックの下あたりで衝突を耳にしました。すぐにトラックを停車し下を覗きました。偶然にも被害者の頭は前方のラジエーターを越えていなかったので、すぐに下がり路肩にトラックを停め直しました。その後の警察の実況見分の結果、明らかに被害者がトラックに向かってきた事と、道路を渡るにも渡る先には壁越しの地下車道、目撃者(ミキサー車、トラック、それぞれのドライバー)が複数いた事もあり、聞き取り調査もその日の夕方には終え、解放されました。 そのあと不思議な事が起こります。事故当日はいつも乗っているトラックが車検でレンタカーだったんです。それも覚えやすいナンバーでした。数か月過ぎた頃に踏切の前で停車していました。何気に前のトラックのナンバーとレンタカー会社のステッカーを見るとなんと事故を起こした時に乗っていたレンタカーでした。その場から事故現場までは約2~3キロの距離だったと思います。わかりません。単なる偶然ではないような気がします。
つい最近 「hasunoha」 をみつけて登録したものです。 早速ですが、 仏教では自殺を悪いことだとは言わないのでしょうか。 自分の肉体の生命を自分の意志で終わらせることを自殺であると定義したとき、仏教では、自殺はとがめられる行為ではないのでしょうか。 私は、キリスト教徒ではありませんが、自殺はしてはいけないとする意見に賛成するものですので、たとえば意識を失うほどの肉体の苦痛が私のところにやってきたとしても、その苦痛に忍耐するつもりで生きています。 そもそも、釈迦がいうところの「空」を素直に学べば、自殺は起こらないのではないでしょうか。 ご教示お願いいたします。
お世話になります。 今すぐに死にたい、ということではないのですが、 私は、かねてから「自殺してはいけない理由」が分かりません。 遺族や他人に迷惑をかけるから、というのは理解できます。 しかし、生きているほうが周りに迷惑をかけてしまう者もあると思うのです。 私は同性愛者で、家族や伴侶はおらず、 将来、いわゆる無縁死や孤独死を迎えるのは、 ほぼ間違いないと考えています。 交通事故に遭うなどすれば別ですが、 そうそう都合よく、ぽっくりとは死ねないでしょうから、 体力が衰え、あるいは何かしら病を患うようになった頃からは、 例えば地域の民生委員や、市の高齢福祉課などに、 多少なりとお世話になってしまうでしょう。 そのような方々の手を煩わせ、 また、一般の方々が収めた税金を費やすべき価値が、 私の死にあろうはずが無いのです。 さらに、私は低所得者で、蓄えもございません。 つまり、死を迎える年齢の頃には、 金は無いわ身寄りは無いわ、 ただただ扱いづらいだけの年寄りになるのは、目に見えています。 これで認知症を患おうものなら、さらに厄介な存在となるでしょう。 だから、まだ体や頭が動くうちに、 無価値な自分自身に、落とし前をつけたいと考えてきました。 こちらの相談サイトで、 自殺を肯定するアドバイスなど頂けないのだろうと思います。 では、こんなクズでも生きていかねばならない理由を、 私に教えて頂けますでしょうか。 宜しくお願いします。
以前友人を自死で亡くした事があります。 だいぶ乗り越えてはいますが、ふとした時に急にものすごい悲しみにおそわれる時があります。 でも、それは仕方のない事と受け入れていましたが最近また違う感情に悩んでいます。 今とくに悩みや死にたいと思う事があるわけではないのに、自分が死ぬ事ばかり考えてしまいます。自分が首をつっている所や胸に包丁をつきさしたり、そのような事が頭にうかんできます。 死にたいわけではないのに、そうしたくなるんです。 とくに疲れている時や、自死した友人の事を思い出すときに。。 鬱なのかなぁ、と思いますが自分が突発的に死んでしまうのではと不安になります。だけど、深い悲しみからか心が壊れてしまい、死ぬ事に対して怖いとか感情もなく無の感情になる時もあります。 自死した遺体も見ていますので、その光景が頭から離れない時があります。自分が認識しているより心のショックが大きいかもしれません。 どのように心をもっていっていいかわからず、早急になにか心を変える言葉をいただきたく書かせていただきました
わたしの周りには、3人自ら命を絶ってしまった友人、従姉妹、友人の娘がいます。思い出すと、とても悲しく心が苦しいです。 自ら命を絶ってしまった人の魂は、いつまでも苦しんだままだというような事をよく聞きますので、死んでもなおその3人が苦しんでいるのだろうか? と考えただけで自分の心も苦しいです。 仏教では、そのような魂についてどのような教えなのでしょうか? また、自分の悲しみの癒し方、もっと身近にいるご家族の悲しみをどうやって癒したらよいのか、なんと声をかけたらよいのか、教えをいただきたいです。病気などで身近にいる人を亡くした時とは違う、ものすごい喪失感と心の痛み苦しみが身体まで蝕んだような日々を過ごしています