死を考えてしまう
以前友人を自死で亡くした事があります。
だいぶ乗り越えてはいますが、ふとした時に急にものすごい悲しみにおそわれる時があります。
でも、それは仕方のない事と受け入れていましたが最近また違う感情に悩んでいます。
今とくに悩みや死にたいと思う事があるわけではないのに、自分が死ぬ事ばかり考えてしまいます。自分が首をつっている所や胸に包丁をつきさしたり、そのような事が頭にうかんできます。
死にたいわけではないのに、そうしたくなるんです。
とくに疲れている時や、自死した友人の事を思い出すときに。。
鬱なのかなぁ、と思いますが自分が突発的に死んでしまうのではと不安になります。だけど、深い悲しみからか心が壊れてしまい、死ぬ事に対して怖いとか感情もなく無の感情になる時もあります。
自死した遺体も見ていますので、その光景が頭から離れない時があります。自分が認識しているより心のショックが大きいかもしれません。
どのように心をもっていっていいかわからず、早急になにか心を変える言葉をいただきたく書かせていただきました
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
本当は死が怖いんじゃない、という考えを、持つべし、持つべし。
(^o^)私も、学生時代に自殺を考えた男であり、どん底から這い上がり立ち直った男です。
あなたの心のサポートとしてボクシングでいう所のセコンド的な立場(丹下段平風に)としてアドバイスいたします。
ジョークをを交えて申し上げていますが、貴女に明るくなってもらうためですので容赦ください。(^o^)
あしたのために結論その1
私が死を恐れたときに最終的に気づいたことは「死が恐ろしい」のではなく「①死に関することを考えた時に②オプション的に付随する暗い思いがキライ」なのだ、と気が付きました。←コレ、ホント大事なのヨ。
多くの人は、死が嫌だ、死はいけない、死はダメだ、死は終わりだ、とか言って遠ざけますが、①死、そのものは良いも悪いもありません。それよりも②のネガティブな、ダークな、おぞましい、暗い悪い思いこそが私たちが一番おびえているものの正体ではないでしょうか。
「恐れるのは死ではない、死が不明なるモノゆえにそれに付随する暗い思いに恐怖するのだ」という丹下の格言(名はかくげん)です。
あしたのためにその2
そもそも死なんて、日常、毎日そこらじゅうにあります。
米を食べれば、コメの命も死にます。サンマ食えば、サンマは死にます。
納豆食えば、ひとパック何万もの納豆菌が胃液によってホトケ?になります。
ヨーグルトを飲めば、体の中の何億もの悪玉菌を殺すことになります。
心も悪玉菌はやっつけなければならない。
だからこそ頂いた命を「活かす」生き方が私たちに問われているのです。
花は決して自ら命を断たない。花が頂いた命を全うするように咲き続けること。
「死」というもの自体には良いも悪いもないのです。
「❝死❞に関して、オプション的に付随する、悪い思いこそが、あなたを今、暗い思いで支配する最大の悪玉菌なのではないでしょうか」というあなたの心のセコンド、丹下の格言(名もかくげん)でした。
あしたの為にその3
つまり死が悪いのではなく、死に対する暗い思いこそが恐怖するものの正体であると悟れば、あとはその思いだけを寄せ付けない生活をすればよい。
僕もよく自分が死ぬ事を考えます。バスタオルで首つれば楽なのかなぁとか、練炭中毒って苦しくないのかなぁとか。自死しても阿弥陀様怒らないかなぁとか…
でもいつもその時に思うことは死にたく無いのに死が迫ってきている病気と戦っている友人のことです。
彼とは高校1年からの付き合いでもう30年以上の友達です。
彼は発病するとだんだんからだが動かなくなり、寝たきりになって最後はアルツハイマー病のようになり発病して10年で必ず死ぬ病気にかかってしまいました。
彼のそばにいて見守っているのは彼と20年近く一緒に暮らしている一人の女性です。
僕はいつも彼の事を考えて生きる事を考えています。
明日、僕は久しぶりに休日に休みを取ることができて、高校の時の友人と7年ぶりに彼に会いに行ってきます。
そして彼に友人でいてくれる事を感謝して、出逢えた喜びをもう一度伝えて、彼の素晴らしい生きざまを決して忘れずに彼から学んだ事を伝えて生きて行く事を誓ってこようと思っています。
答えになっていませんが取り急ぎ書かせていただきました。
御仏の慈悲にいだかれて安らかでありますように
tae様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
自死なされてしまわれたご友人のことで、PTSD(心的外傷後ストレス障害)でお悩みのご様子、皆様のご回答にありますように、一つは、心理カウンセリングを受けられるか、または、心療内科へ受診なさられるか、あるいは、浦上様もおっしゃられている「自死・自殺に向き合う僧侶の会」の「いのちの集い」に一度参加なさられるのも良いのではないかと存じます。
やはり、それだけご友人の自死がショックで、心に大きな動揺が生じたのであろうかと推察申し上げます・・
どのようにしてご友人の死を受け入れて、そしてご供養していくべきであるのか・・
仏教では、業論・輪廻論という難しい思想がございまして、この肉体の死後も、心(相続)が続いていくものであるとして、「死=終わり」とは捉えません。
問題は、死後も続いていく、その心(相続)のありようとなります。心(相続)のありようで、死後の次の様態が決まっていくこととなります(厳密には、業・カルマが大いに関係して参ります)。代表的には、六道としての天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄とありますが、これはあくまでも心(相続)の様態における象徴的・代表的な一つの分類となります。いずれにしましても、輪廻の中にある限りは、迷い苦しみの中にあることに変わりがありません。この迷い苦しみの輪廻から離れるためには、悪い行いをなさずに、善い行いに勤め励み、心を清らかに保ち、確かなる仏道を歩むことが望まれることとなります。
私たちにできることは、何とかそのご友人の心(相続)のありようにおける迷い苦しみが、少しでも和らぎ、癒されて、更に、確かなるご仏縁を戴くことで、迷い苦しみから離れるための悟りを目指すことができますようにとして、ご供養申し上げることが大切になるのではないかと存じております。
どうか、ご友人のために、お墓参り、お仏壇参り、お寺参りなどを成さられる際には、ご友人のお心がどうか安らかにありますように、大慈大悲の御仏様の御心にいだかれて、仏道を歩まれておられますようにとして、手を合わせてお念じ頂けますことからでも構いませんので、ご供養して頂けましたらと存じております。拙生もtae様のご友人へ日々のご供養を向けさせて頂きたくに存じます。
川口英俊 合掌
心をコントロールする手法
言葉ではありませんが、鍼のツボを指でタッピングして
精神をコントロールする手法があります。
簡単な精神的不安を取り除くに効果があります。
簡単にどこでもすぐできます。
個人カウンセリングを行うともっと深い問題も解決されます。
http://www.jatft.org/
私も森川綾女さんのカウンセリングを受けました。
私はこれで先端恐怖症が克服できました。
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少々トラウマでしょうか?
taeさま。
なごみ庵の浦上哲也と申します。
以前、ご友人を自死で亡くされたとのこと。「自死した遺体もみています」というのは、その友人のことでしょうか。ご質問を拝見して感じたのは、taeさんはそのことがトラウマになっているのではないか、という事です。
現代の日本では、死はあまり身近にありません。けれど親しい方のそれを見てしまった。そのストレスが心に残り、おりおり自分自身の死について考えてしまうのではないか、という気がいたします。
自分でどうにか解決する、というよりも、人に対してその思いを吐き出した方が良いように思います。カウンセリングを受けるのも良いでしょうし、傾聴をする僧侶でも良いでしょう。どうぞ、おひとりで溜め込んでしまいませぬように。
私が所属する「自死・自殺に向き合う僧侶の会」では、自死に関する手紙相談や、分かち合いの会などを開催しています。よかったらHPご覧下さいませ。
http://www.bouzsanga.org