目標
人生は目標を持って生きて行かないと職業や精神に不安定を招くものなのでしょうか?人生設計で25歳や30歳までに結婚して子供を2、3人生んで新築一戸建ての家またはマンションに住み、旦那は部長、課長になって安定した収入で生活なんて70、80年代の頃ならそうだったかもしれませんが、2010年代先行きが不安でそう簡単には行かないと思うのですが、
それと不満を言う人間は怠け者でしょうか?僕も不満を言います。
ご住職さまの意見もお伺いしたいです。
母の介護、今は施設にいますが私は無職です。 年齢は45歳です。母は2014年4月から6月までデイサービス、7月からデイサービスと施設との両方、2015年4月から施設に完全な入居です。 兄との3人家族です。父は2006年に他界。 とにかく自分を否定されると気にしてしまう、その言葉が頭から離れず、 いつまでもくよくよしてしまう。他人と比較してしまう。 必要最低限の生活ができるだけで幸せだと思います。 自分の周りに人が集まってくる人物になりたいです。
私はもう10年、ふわふわめまいで苦しい日々を過ごしております。病院で頭や胸、血液検査などの確認をしても異常なしといわれ、正式な病名は一度も言われた事がなくどうすればいいのか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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火宅無常の世界における人生の目標とは。
はじめまして。亀山純史と申します。
まず、この世は火宅無常の世界(燃えさかる家のようにたちまちに移り変わる世界)です。「こうなりたい。」「あーなりたい。」「こんなことをしたい。」「あんなことをしたい。」と思っても、そういかないのがこの世の習いなのです。(有為転変は世の習いという言葉もあります。)ですから、安定した収入にしても、一生安定した収入でいられる保障などどこにもありません。新築一戸建ての家やマンション住まいであっても、自然災害で一瞬にして住めなくなるかもしれないのです。したがって、これらの目標は、常に修正を加えていく必要があるものなのです。
では、不変的な人生の目標なんてないのでしょうか。私はそうだとは思いません。少なくとも、仏教徒としての私はそうではありません。不変的な人生の目標、それは私にとっての人生の目標にもなりますが、それは、「転迷開悟(てんめいかいご)-迷いを転じて悟りを開くこと。」です。宗派によって転迷開悟の道は異なるでしょう。しかし、仏教徒であるならば、どの宗派においても、人生の目標は悟りを開くことにあります。社会的地位や収入等を人生の目標にしていた人生から、悟りを開くこと-転迷開悟-を人生の目標に据えたなら、私たちの人生の見方は大きく変わるのではないでしょうか。
以上が私からの回答です。少しでもお役に立てれば幸いです。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうありがとうございます。
2016年、熊本、大分地震、2015年、関東、東北豪雨、2014年、広島豪雨と自然災害で毎年どこかで苦しい思いをして人生設計がだめになっている人達もたくさんいる事を忘れてはいけません。
30年、40年ローンでのなかでの災害で家をなくして払い続ける!
本当に気の毒です。
ですが自然界の破壊でこれからも沢山の災害が増えているのは間違いありません。