hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

うーむ...

回答数回答 1
有り難し有り難し 10

どもどもーー
浄土真宗の中学生です
僕は今日死んでからのことについて少し考えていて
死んだら地獄とかあるんかな?と思い地獄とか無間地獄とかってどんな感じなんかなと思い
僕は地獄には落ちたくないのですが
地獄ってどんなところなんかもきになるし、地獄に落ちてみたいな落ちたいなみたいなことを軽く考えてたしそれを仏様に考えてたかもしれません笑
そのことを友達に話したらそれ矛盾じゃねみたいな感じになり仏様は地獄に落としたりなんかしないやろってみんなで笑っていたのですが
仏様や阿弥陀様はどんな悪い人も見捨てないと思うし、どんな人も地獄には落ちないと思います
まず僕は地獄はあるかないかわからないけど、多分地獄は仏様が人間が生きている時に悪いことをしたらこうなるから悪いことをしてはいけないという意味で作ったと思うのですがどうなんですかね?笑
もし仮に地獄があったとしたら僕は
死んだらそういう落ちてみたいとか落ちたいとか考えてしまったけど僕は本当は地獄になんか落ちたくありません
なら浄土真宗ではないどうすれば地獄に落ちないのでしょうか?
僕は基本仏壇で毎日夜お参りをしていますが
そこで南無阿弥陀と唱えれば地獄に落ちないのですか?
お参りの内容は今日やってしまったことの反省や善いことをしますという誓いなどをしています
なので今日は本当は地獄に落ちたくないです
ということを伝えたいと思います
それで伝わると思いますか?
あともし仏様などを信じていなかったり仏様に無礼なことをした人でも助かるのでしょうか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

地獄とは今生きている自分の状況のことです

浄土真宗なのですね。
真宗の内部でも、真宗の宗派によって受け止め方が違うのですが、私は真宗大谷派なので、大谷派の立場から書かせてもらいます。

一般的に、地獄とか三悪道(地獄、餓鬼、畜生)とは、死んだあとに、罰として行かされる、刑務所のようなものととらえている人が多いと思います。

大谷派では、そうは考えないのです。

今、あなたが、自分の正当性にしか気がついてない状態にあるとします。
相手の欠点にしか目が向かず、相手を嫌い、見捨てているとします。
そういう状態には誰でも陥るのです。

自分の正当性には気がつくけれど、自分の欠点や虚偽性には気が付かず、相手の欠点や相手のしたことの悪い部分しか見えない。
その結果として、お互いがお互いを、嫌い、見捨てる状況。

こういう状態は、生きている限り、必ず起こります。

大谷派では、こういう生存状態を地獄ととらえます。

だから、地獄は自分には無関係なところではありません。

誰しもが、今、生きながらにして地獄を経験しているわけです。

必要以上に欲しがる心に支配されて、自己を苦しめ、他者を苦しめる状況も、どんな人でも必ず経験するでしょう。
そういう生存状況を大谷派では餓鬼といいます。

主体性を失い、仏法の道理を忘れた状況も必ず経験することでしょう。
こういう生存状況を、大谷派では畜生といいます。

つまり、地獄、餓鬼、畜生の三悪道は、自分とは無関係な話ではなく、まさに自分の問題なのです。
死んだあとのこと、でもなくて、まさに今行きている自分の問題なのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

浄土真宗、真宗大谷派です。
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

なるほど
わかりました
丁寧なご回答ありがとうございます

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ