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記憶

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毎日すみませんいろいろと疑問があるもんで

前世の記憶があるというのはなにか意味があるのでしょうか?

また、前世の方の意識はあるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

リアルを追求しましょう。

前世、あの世といったものに興味がおありのようですね。
死んでこの世に戻ってきたものはいません。
全て、頭で考えられた世界の話、空想です。そうしたものを信じ、そのことに悩んでいる暇はありません。
今目の前が見えなくなり、地に足がつかなくなっています。
私たちは今を生きているのです。
私は、そんなリアルでない世界のことをかまっている暇はないと思いますが。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

それは「今」の思い

前世がどうだ、こうではないかと取り扱っているのは、現世の、今、現在の思いではないですか?
そしてその思いで、今の現実をないがしろにしていると思いませんか?
人間がものを思うのは、念。念とは、今の心、今の思いです。
今という、一大事の時間の中で、前の事、先の事、あるかどうかも不確かな事、歩かないかが実証できない事にあまり時間をかけても仕方ありません。
ちゃんと今を生きましょう。(^<^)
不確かな事を、確かであろうと思いこんだり、思い込もうとするのは、妄想です。
妄想、空想の世界に旅立たずに、今を着実に生きることをお勧めいたします。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

なぜ、好きなことがありますか?

まつなかさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺 觀音寺 中村太釈です。

前世の記憶と意識が気になっておられるのですね。

まつなかさんは、三度の食事を忘れるほど好きなこと、没頭できることはありますか?
なぜ、そのことが好きなのでしょうか。

好きなことに理由を見つけようとしても、特に理由はない、あるいは思い当たらないこともあると思います。でも好きなのです。
それは、私が考えるには前世の記憶ではないかと思います。前世の意識はないと思いますが、身体や意識の深いところで覚えているのではないでしょうか。別の言い方をすると業(ごう)ではないかと思います。

前世に積んだ技術や手放せなかったもの、大切にしていたものを覚えているような気がします。
そうでなければ、なぜ好きなのかと聞かれて答えられない理由が分からないですから。

前世の記憶は良いことも、そうでないこともあると思いますが、大切にしてください。

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おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の月例法話の他に、地域の出張法話の依頼もあります。 出張法話で寺のある地域の特産品「梨」を紹介するので、「梨のおじゅっさん」として有名になりました。 ホームページ http://houwa-kanonji.com/

意味はあっても必要ないかも…

まつなかさん、こんばんは。

前世の記憶、だいぶ解けてきましたか?

前にも言いましたが、前世もあなたです。
時代や性別や生活環境は違っても、他人の前世ではないのです。

ただ、記憶が必要ならば同じ環境に生まれてくるでしょう。
しかしそうではないようです。

前世の方の意識はあるのかも知れませんが、忘れているということは、あるかないかすらも必要ないと考えた方がよいと思います。

前世への興味は、昨日の自分への興味と同じです。

昨日は良かった、一昨日は良かった、半月前は良かった、一年前は良かった…

なにか意味がありますか?

昨日おなかいっぱい食べても、今日はおなかがすくのです。

前世よりも今世、昨日よりも今ですよ。

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質問者からのお礼

なるほど今を生きろとはいい言葉ですね!
ありがとうございます

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