回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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リアルを追求しましょう。
前世、あの世といったものに興味がおありのようですね。
死んでこの世に戻ってきたものはいません。
全て、頭で考えられた世界の話、空想です。そうしたものを信じ、そのことに悩んでいる暇はありません。
今目の前が見えなくなり、地に足がつかなくなっています。
私たちは今を生きているのです。
私は、そんなリアルでない世界のことをかまっている暇はないと思いますが。
それは「今」の思い
前世がどうだ、こうではないかと取り扱っているのは、現世の、今、現在の思いではないですか?
そしてその思いで、今の現実をないがしろにしていると思いませんか?
人間がものを思うのは、念。念とは、今の心、今の思いです。
今という、一大事の時間の中で、前の事、先の事、あるかどうかも不確かな事、歩かないかが実証できない事にあまり時間をかけても仕方ありません。
ちゃんと今を生きましょう。(^<^)
不確かな事を、確かであろうと思いこんだり、思い込もうとするのは、妄想です。
妄想、空想の世界に旅立たずに、今を着実に生きることをお勧めいたします。
なぜ、好きなことがありますか?
まつなかさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺 觀音寺 中村太釈です。
前世の記憶と意識が気になっておられるのですね。
まつなかさんは、三度の食事を忘れるほど好きなこと、没頭できることはありますか?
なぜ、そのことが好きなのでしょうか。
好きなことに理由を見つけようとしても、特に理由はない、あるいは思い当たらないこともあると思います。でも好きなのです。
それは、私が考えるには前世の記憶ではないかと思います。前世の意識はないと思いますが、身体や意識の深いところで覚えているのではないでしょうか。別の言い方をすると業(ごう)ではないかと思います。
前世に積んだ技術や手放せなかったもの、大切にしていたものを覚えているような気がします。
そうでなければ、なぜ好きなのかと聞かれて答えられない理由が分からないですから。
前世の記憶は良いことも、そうでないこともあると思いますが、大切にしてください。
意味はあっても必要ないかも…
まつなかさん、こんばんは。
前世の記憶、だいぶ解けてきましたか?
前にも言いましたが、前世もあなたです。
時代や性別や生活環境は違っても、他人の前世ではないのです。
ただ、記憶が必要ならば同じ環境に生まれてくるでしょう。
しかしそうではないようです。
前世の方の意識はあるのかも知れませんが、忘れているということは、あるかないかすらも必要ないと考えた方がよいと思います。
前世への興味は、昨日の自分への興味と同じです。
昨日は良かった、一昨日は良かった、半月前は良かった、一年前は良かった…
なにか意味がありますか?
昨日おなかいっぱい食べても、今日はおなかがすくのです。
前世よりも今世、昨日よりも今ですよ。
質問者からのお礼
なるほど今を生きろとはいい言葉ですね!
ありがとうございます