バツイチ子持ちの彼とのことで困っています。
いまお付き合いしている人はバツイチ子持ち(幼児)です。
離婚した経緯は、奥様から一方的に言い渡されたと聞いています。
元々、お互い気持ちの冷めていたところに、子どもを授かったので結婚したとのことでした。
奥様への愛情はなくとも、子どもは愛しくてたまらないようで、親権、養育権ともに奥様がお持ちですが、毎週末は会っています。
また、離婚後も奥様のご親戚の方々とは親密なお付き合いがあることも聞いています。
それら全てを知った上でお付き合いすることに決めました。
全てにおいて、子どもが優先される。
分かっていたはずなのに、理解しなければならないのに、彼にとって私は必要ないと感じてしまうことが最近多くなってきました。
また、彼から結婚も視野に入れていると言われていますが、先々を考えた時に、その子どもがどのように私の人生に関わってくるかを考えると、心の狭い自分に出会ってしまいます。
奥様は来月再婚されるそうで、これまでのように毎週末会うことはなくなると聞かされました。
そのことでひどく胸を痛めている彼の姿を見ると、やるせなく、また振り回されている子どものことを考えるといたたまれません。
でも、そのことでどこか安堵している醜い自分がいます。
今後、私が彼と結婚し、私と彼との間に子どもを授かれたとして、平等に愛してくれるのか、奥様との子どもの方に比重が大きくなるのではないかなども考えてしまいます。(例えば、お金の無心をされても、子どものためと言われれば我々のことよりも優先する可能性など)
いっそのこと、その子どもを引き取って一緒に育てたいとすら思います。
彼はとても私のことを大切にしてくれています。
彼自身も、私に対して負い目を感じているのだろうというのも分かります。
それなのに、自分のことばかり考えてしまい、自分がこんなに浅薄でさもしい人間だと思うと情けなくて仕方ありません。
どのような心持ちでいれば、穏やかに彼を愛し、子どものことも受け入れられるようになるのでしょうか。
どうぞお知恵をお授けください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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未来は未だ来らず
当たり前の話ですが、「将来どうなるか」は未定です。「もし…だったら」を考えるのは、我々が持っている言葉の機能として可能ですが、それが将来を言い当てている訳ではありません。せめて「そのようにしたい」という希望…現時点における希望!を表現しているだけです。「永遠の愛を誓います」と言っても、「誓ったのは確か」ですが、それを完遂するかは未定、ですよね。
貴女が彼について心配されている諸々は、もちろん本人も心配でしょう。けれど彼にもきっと分かりません、今の時点では。というか分かるより先に実際に事が起こります。
ですからご精進。何かにあぐらをかく事なく、過去にすがるでもない。実際、できることは「今日もよろしくね」と「今日はありがとう」だけなのです。「あの時、一生愛すって言ったじゃない」というのは女性のセリフですが、「あの時、そう思ったのは真実だよ」と答えるしかないのが男性です。
きっと、全てが貴女の思い通りになるのが人生じゃない。けれどせめて、この人とだったら。今そう思える・信じられるのか、それよりないと思います。
そうそう、このページを下にスクロールすると、機械的に類似の過去問答が表示されている筈です。その辺りもご一読のほどを。