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恋愛の在り方について

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20代中盤 男です。

長く彼女がいません。彼女がいたのは十余年も前の中学生の時、一度きりです。

それ以降、散発的に好きな女性は出来るのですが、ことごとくその女性にはパートナーが居て、私の恋が成就した事がありません。

私は、女性にパートナーになってもらうということは、その女性を限定的ながら他の男性から独占する事になると考えています。
なので、お付き合いするだけでもそれなりの責任を伴うと考えています。だから、女性にアタックするときは凄く慎重になります。(=着手が遅くなる上に手数が打てないというハンデを自ら背負っています。)

過日、数年ぶりに本気で恋をしました。
出会いは、私が大切にしているサークルで一緒になりました。ものすごく好みで同い年、正直運命かなと思いました。触れ合ううちに非常に魅力的であることがわかり、結婚できるなら是非!!と思うくらいでした。
しかし、その女性にパートナーがいました。

勝手ながら運命だと勘違いしたことに加えて、そこそこ歳を食っているので、次のチャンスがあるか不安で仕方がないです。
心の整理もつけられていません。

近頃、おひとり様とか言って独身を肯定するような風潮がありますが、私は互いに尊重できる人と家庭を持ちたいです。

でも、もうそんな女性と出会えるチャンスがもう無いように思えて不安です。怖いです。
私から見て魅力的な女性は誰から見ても魅力的です。そんな女性を世の男が放って置くはずはなく、結婚して"枠"は減っていくばかりです。

人は「次がある」とか「きっとほかにもいい人がいる」とか慰めっぽいコトを言う人はいますが、実際に女性を紹介してくれた人は誰もいません。こっちは真剣に悩んでいるのにみんな無責任だと思います。

上記踏まえて、男女の縁をどう考えればいいのでしょうか。
結局、恋愛は早い者勝ち?
それとも「最終的に一緒になるべき人」がいて、その人に行き着くまでは、あっても無くても同じ?
どんなに好き、相手の全てを受け入れたいという人がいても、何かしらの理由で結ばれないのであればそれが"縁"?
運命(という言葉が仏教にあるか分かりませんが)は自分で変えられる?好きな人を引き寄せられる?
パートナーと幸せに過ごしている人達と自分を対比して不公平だなと思うのは思い上がり?
然るべき所に縁は用意されている?

以上、ご意見いただきたく。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

運命とご縁

こんにちは。慰めの言葉はお嫌いな様ですのでハッキリいいますが、たしかに「次がある」とか「きっとほかにもいい人がいる」というのは分かりません。
事実、一生を独身で終えていく人もたくさんいらっしゃいます。

しかし、運命と縁は違います。

運命は「これまで」も「これから」も全部決まってしまっているということ。それこそ努力しようがしまいがもうストーリーが決まっているということです。

一方、縁は「これまで」はそうだったかもしれないが「これから」は「変えられる(かもしれない)」というものだと私は考えています。
何人お付き合いしようがあってもなくても同じではなく、出会いや別れを通して人が学ぶことは多いでしょう。そうした経験により、人生から投げかけられる物事に対しこれからどういう態度を取るかで「これから」は変わってくるものだと思います。

それは「好きな人を引き寄せる」なんてことではなく、好きな人に対し現実的なアプローチをすることです。結ばれることもあれば結ばれないこともありますが、いただいたご縁からのお育てによってそのアプローチも変わってくるでしょう。

「パートナーと幸せに過ごしている人達」はラッキーな運命だったわけでなく、ご縁の中で自らの行動を選択する意志によって、たまたま交際というご縁が整っているのです。
私たちに与えられた自由というのはその「意志」であって、その意志を実際に行動できるかどうかはご縁によります。
目の前の物を一つ掴むという行動すら、「掴もうとする意志」は自由であっても、「掴むという行動=事実」はたくさんのご縁に支えられています。
 動く手が「ある」とか、掴む瞬間に地震がおき「ない」とか。「ある」「ない」というご縁が整って事実が生まれます。しかしその事実と私が「掴もう」と考えた「意志」は無関係ではないのです。

出会いは有り難いご縁です。求めなくとも降りかかってくることもありますが、求めようとするとしないとでは整うご縁も違うのではないでしょうか。
もっとも求めた所でたしかに望む結果となるかどうかは「わからない」のですが。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

意志と縁の巡り合わせが合致する必要があるということですね。
一組の男女が結ばれることが非常に尊いことがわかりました
もし、いい縁があれば、次はないものと思い、それを大切にしたいと思います。

ご意見ありがとうございました

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