自分がおかしいのは解っているけれど
おひさしぶりです。
前回質問した時に、あれだけ親身なご回答をいただいたにも関わらず、お返事も返せず申し訳ありません。
自殺はなんとか踏みとどまり、子どものトラウマになりたくない一心で生きています。
行き詰まりを自分なりに考えているなかで、気がついたことがあります。
私は物心ついた時から人を信頼したことがないのです。
例えば、学生時代に友人から飲み会に誘われた時に、真っ先に思い浮かぶ考え方が「人数あわせか何かかな。私が行かなくてもいいだろう。」と断り、テストの過去問題集をコピーしてもらえば、「模範解答を作って欲しいのか。」と思い、作ってやる。感謝はされましたが。
社会人になって、院に進学した同期に食事に誘われたら「おごって欲しいんだな」と判断しておごります。何故か二度と声がかかりませんが。「たいした物をおごってくれないし、もう、用済み」と思っているのかもしれません。
これが友人関係ならたいした問題ではありませんが、家族となると事は深刻で、例えば家族で外食に行くとすると、「お母さんは留守番するよ。」と家に残ります。人数が少ない方が、同じ予算でたくさん食べれると思い、出かけないのです。
子どもから母の日のプレゼントをもらえば、「おこづかいが欲しいの?それとも買って欲しい物があるの?」と聞いてしまいます。
また、セレモニーでも、私より夫が行ったほうが良いのでは、と子どもの入学式を夫に任せようとしました。「私は喪服はおろか、フォーマルな服を一着も持っていないし、買うのはもったいないと思う。家にいた方が子どもが恥をかかずに済む。」と夫に言うと、怒られ、服を買わされました。
この前は夫に「好きな人が出来たので別れて欲しい。」と言われました。私は「良かったね、おめでとう。」と祝福し、「離婚届は後で書くけど、とりあえず出て行くね。」と荷物をまとめました。そして、子ども達に「新しいお母さん、若くてキレイな人だって。良かったね。幸せにね。」と言って出ていこうとすると、夫にメタクソに怒られました。子どもは泣き出すし、さんざんでした。
夫によると、別れ話はウソで、私の態度を見たかっただけらしいのですが、なぜこんなことをするのか解りません。
「なぜ家族を信頼してくれないのか。なぜ心を閉ざすのか。」と言われるのですが、私以外の人々が幸せなら良いじゃない、と考えてしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
皆さんが幸せを感じることは
拝読させて頂きました。読ませて頂きあなたのお気持ちもわかります。それぞれ皆さんが幸せに生きていけばいいのではないか、確かにそう思います。
同様にご家族の皆さんのお気持ちもわかるように感じます。ご家族の皆さんにとってはあなたはかけがえのない大切な方だと思っていらっしゃるでしょうから。
人は独りで生まれて生きているわけではありませんからね。
親子兄弟ご家族のつながりの中で生かされております。ご家族皆さんは共に生きる中で幸せに生きたいと願っていらっしゃるのではないかと思います。
幸せを感じることは共に実感できる方がいらっしゃることで初めて感じることができるのではないでしょうか。
人がどんなに満たされた生活の中でも共に生きている方がおられなければ本当に幸せを感じることはできないでしょうし、辛く苦しい生活の中では共に頑張り乗り越えてくださる方がいるならば乗り越えていく力になります。
ご家族の皆さんもあなたとの生活を共に過ごす中であなたと一緒に様々な苦難も乗り越えて幸せを噛み締めながら生きいきたいと思っていらっしゃるのかもしれません。
あなたにその様なご家族がいらっしゃることは私はとても素晴らしいことと思います。
あなたがこれからの人生をどの様に送られるかはあなた自身のご判断にて良いと思います。その中でじっくりとご家族の皆さんとも穏やかにお話なさりながら見つめなおして頂きたいと思います。
あなたもご家族の皆さんも共にお健やかに生きながらそれぞれに幸せを感じ充実した人生を歩んで頂きます様にとお祈り申し上げます。