hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

女性に生まれたことに恐ろしさを感じています

回答数回答 2
有り難し有り難し 43

私は女性の体に生まれ、女性としてのこころを持ち、
女性として育てられました。これに文句はありません。

しかし、20代になって、仕事や恋愛の面で「女性であること」を
求められることに恐ろしさを感じています。

たとえば就職活動でスカートを履かなければいけなかったとき。
ドレスコードで「落ち着いたメイク」や「ひざ丈のワンピース」を求められたとき。
とても窮屈で嫌な気持ちでした。

恋人が母親にすがるように甘えてくるとき。
母に「孫の顔が見たい」「こどもを産み育てるのは女性として最高の喜び」と言われるとき。
女性性のなんと不自由なことかと思いました。

世の中は女性に「働け」「女性らしくあれ」「家庭をもち子を産め」
「夫や親を支えよ」と言います。
私にはどれも上手にできそうにありません。

きっと多くの女性がこの呪いに苦しめられているのに、
世の中はまだ女性にとってちっとも優しくない。

ついに同じ年の女友達が結婚・出産したことがあり
自分のこれからの人生を考えました。

私は生まれつきの体の都合でセックスがどうにも苦手で、
男性とそういうことをするのがとても恐ろしいです。
男性の恋人と何度か試してみましたが、私が全然だめでした。

女体に生まれて女性としてのことがぜんぜんできない。
これは本当につらく、自分はだめなのだと感じ、
仕事も進まず、胸やおなかが痛むばかりです。

胸が苦しいので手を当てたりさすったりするくせがあるのですが
それも「胸を強調するのはやめなさい」と怒られます。
それでは私はどうやって自分のこころを守ればよいのでしょう。

もうつらいのに終わってほしいのです。
どうすれば生きやすくなるのでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

要求ははねのけてください

拝読させて頂きました。あなたがおっしゃる通り世の中や回りの方々が女性であるがゆえに様々求めてくることはあるでしょうね。
働け!子を産め!本当に今も戦時下の日本にいるような要求とも思いますね。
私個人はそのような要求に対しては反対します。
無理やりなんでもやらなきゃならない世の中の要求ははねのけて良いと思います。

人がそれぞれに自分なりに素直に生きられる世の中や社会を目指すことが望ましいと思います。
ですからあなたはご自身が思う望ましいと考える生き方をなさることがよいと思います。

どうぞこらから自分が素直に生きていかれます様に人生を歩んでくださいね。

あなたを心から応援させて頂きます。
無理な要求や圧力はどうぞはねのけて自分らしく生きてくださいね。
あなたの未来がこれから開けて明るくお健やかに生きていかれます様にと心よりお祈り申し上げます。

{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

人間に生まれるのは恐ろしいことです。

初めまして。本多清寛と申します。

呪いの言葉を受け続けるのはさぞかし辛いことであろうと思います。胸が苦しくなるのであれば、胸だけをさするのではなく、一旦坐って手から肩にかけて、ゆっくりさすって見て下さい。出来るだけゆっくりがいいです。それを反対側もやったあとに、胸をさすりましょう。少し時間がかかるので、人前ではなくトイレのような個室でやった方がいいかもしれません。

では、呪いの言葉について考えてみます。
「落ち着いたメイク」「ひざ丈のワンピース」「孫の顔が見たい」「こどもを産み育てるのは女性として最高の喜び」「働け」「女性らしくあれ」「家庭をもち子を産め」
「夫や親を支えよ」「胸を強調するのはやめなさい」
これらはマチネさんが書いた呪いの言葉ですが、言葉だけを見れば悪い言葉は一つもありません。落ち着いたメイクや服装の注意は、就活を成功させるためのアドバイスでしょうし、子どもを産む関連の言葉は、きっと子育てをした女性たちの実感を伝えたい言葉なのだと思います。夫や親を支えるのも悪いことではありませんし、胸を強調すると無闇に興奮する人間が現れると考えるとやめた方がいいかもしれません。

しかし、これらは実際にマチネさんを苦しめる言葉として具現化してしまっています。この呪いの根源は、マチネさんに対する理解がないのに、ただ「社会的に正しいこと」として発言してしまった人間達です。マチネさんの状況を理解した言葉ではなく、単純な正しさしか持っていない言葉だからこそ、心が傷つけられているのだと思います。

正しさが人を傷つけてしまうという点では、女体や男体、その他の身体であっても同じ恐ろしさがあります。もし、女体に生まれたから(社会的な)女性として生きなければならないのならば、王子として生まれて乞食の身として生きたお釈迦様は、永遠に責められるべき存在になってしまうでしょう。

心を守るのは自分自身です。女体が女性に、男体が男性に、そんなことはどうでも良くて、人間として生まれたマチネさんが、何者になっていくのかということこそが重要です。それがたまたま、女性らしくなったりするのかもしれませんが、所詮「らしさ」は「らしさ」であって、「そのもの」ではありません。マチネとして生きるにはどうしたらいいかを考えられれば、きっと生きやすくなります。だから終わらなくて大丈夫です。

{{count}}
有り難し
おきもち

本多清寛
本多清寛と申します。 答えではなく、応えを出して行きたいと思っております...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

未来がひらけて明るく健やかに生きていかれますようにと祈られたことなど、これまでなかったように思います。

ありがとうございます。
できるだけ自分のこころに素直に生きていきたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ