人はなぜ苦しむのですか?
病気が苦しけど、治療費もありません。
二度死にかけました。
家は金持ちなので、生活保護も頼めません。
本当の母親に子供の時に捨てられ、ワガママも言えないし、おそらく言っても迷惑がられるだけで、家族に治療費だしてとは言えないです。
友達もいません。恋人もいません。
そもそも助けてという言葉自体、言えないです。
それでも周りの人は病気になったら消えていきました。
迷惑かけてないはずなのに。
捨てられることに慣れました。
20歳の頃に落ちるとこまで落ちて悲しいとかはなくなりました。
1人は当たり前で誰にも期待はしていないはずなのに、生きてる意味を感じないです。無の状態です。
今までの経験も病気も裏切りも、これも人生の魂の試練と思い笑って過ごしてました。
無な自分がなんだかわかりません。
泣きたいのに泣けません。
開き直ったはずなのに、最近は苦しいような気がします。
眠れません。
人はなぜ苦しむのですか?
愛とか悲しみとはなんなのでしょうか?苦しむ私は贅沢なのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
苦しい時は苦しいと言おう
人はなぜ苦しむのか
それは思い通りにならないから苦しむのです。
思い通りにしたい…そう思うことは悪い事ではありません。当然のことです。みな自然とそう考えます。でも実際にはそうならないので苦しいのです。それは生きている限り続きます。
ですから仏教や宗教はその思い通りにしたいという人間の考えとどう付き合うかを問題にしています。
それを無くすのか、減らすのか、こだわらないようにするのか…色んな方法論があります。
さて、大変苦しい心中をお聞かせいただきました。状況がよくわかりかねますが、現在は育ての親御さんのお宅におられるのでしょうか?ずっとワガママも言えずに気を遣って過ごされてきたのでしょうか?
苦しい時に苦しいと思うのは贅沢ではありません。「助けて」と言っていいんですよ。叫んでいいんですよ。本当の心の思いをさらけだしていいんですよ。
そういう場所がないならここhasunohaも活用してあなたの思いを語ってください。状況を相談してください。あなたの人生に代わることはできないけれど皆一緒に何かできないか、どう考えたらいいのか問題を共有したいと思います。一人で考えるより心強いでしょう?
人生が魂の試練や修行ならいったいその辛さはいつ報われるのでしょうか?死後でしょうか来世でしょうか?
宗教とは生きている人を救う教えです。この人生の今救われるのです。
個人的には愛と自由に出会うのが人生の喜びであると思います。あなたのそのままを認め、あなたの苦しみを共有し、あなたの喜びをともに分かち合う…そんな人や場所との出会いを求めましょう。
そのために苦しい事を認めて、「苦しい、助けて」と素直にSOSを出しましょう。
色んな相談の窓口もあるでしょう。色んなアドバイスにも出会う事でしょう。でも最終的に自分を救うのは自分です。その自分に気づかせてくれるのが仏法です。
本当のあなたの願いにあなた自身が気づくように、ずっと願いをかけているのが仏様です。私たちは願う前に願われている存在なのです。仏様の願いは私の願いを呼び覚ましてくれます。
あなたは本当はどう生きたいですか?
私なら苦しい時は苦しい、助けてと言いたいです。ここはそれが言える場所です。いつでも何回でも相談ください。
生きることは苦しみに反応すること
仏教では、眼耳鼻舌身や意識のセンサーに入ってくるあらゆる刺激・情報の本質は、苦であると説きます。
刺激に強いか弱いかの違いはあっても、全ての刺激は苦なのです。
たとえば、眼球をレーザー光線銃で撃たれたら苦痛ですよね。
で、実は、眼で視ているあらゆる映像、つまり眼に入る光は、眼球を撃つ光線が、ただ弱いだけなのです。
眼の細胞を光エネルギーで常に撃たれていることに変わりはないのです。
舌で感じる味も、舌に物体がぶつかって打撃を加えられたり、舌の上でさまざまな物質の化学反応が起きたりしていると考えれば、実は苦痛の刺激なのです。
確実に、舌はダメージを受けているはずです。
しかし、脳がその刺激を「甘さ」「辛さ」とか分類して「おいしい」「まずい」とか情報を変換しているから、私達は味が苦痛だと気づいていないのです。
人は、息を吸ったら「息を吐きたい」という苦しみが生じ、息を吐いたら「息を吸いたい」という苦しみが生じます。
息を吐きたい苦しみが大きくなったら、息を吸う苦しみに飛び移る。
しかし、今度は息を吸う苦しみが大きくなってくるから、再び息を吐く苦しみに飛び移る。
家にいれば旅行に行きたくなり、旅行に行ったら早く帰りたくなる。
起きていたら寝たくなり、寝ていたら起きたくなる。
これも、こっちの苦しみからあっちの苦しみへ、あっちの苦しみが大きくなってきたら別の苦しみへ、苦しみから苦しみへ動き続けていく生き物の性質です。
生き物には、何をしていても必ず苦しみがあるのです。
どっちみち苦しいのです。
どうせ苦しいなら、助けを求めてみてはどうでしょうか。
ダメ元でもやれることをやってみてはどうでしょうか。
愛は、執着心や欲望です。
「◯◯したい」「◯◯を失いたくない」という苦しみです。
悲しみは、怒りの一種です。「◯◯は嫌だ」という苦しみです。
精神的な苦しみや悩みは、ものの考え方が変わればある程度軽減できるはずです。
苦しむのは贅沢ではないと思いますが、必要以上に悩むのは、不器用(悩みを減らす方法にうとい)のかも知れません。
悩み苦しみを軽減させるコツである仏教を、学んでみてください。