新興宗教の勧誘や不信感に思うこと…。
「○○を買わなかったせいで親戚が癌になった(△宗教)。」
「(連れてこられた△宗教で、友人に恥をかかせたくなくて従ってお祈りをしたら)モカママは△宗教の素質がある。今すぐにでも入会すべきと幹部からもしつこく勧誘」
「退職金の半分以上×宗教に…」
「×宗教は他の宗教と違って科学的根拠がある。」
「お坊さんのお経は嘘の固まり。だから×宗教である私たちが唱えた方が全ての死者は喜ぶ」
「デートはいつも×宗教系列の場所。マインドコントロールが目的?」
「火葬場にて、4組中×宗教である1つのグループが参加者全員で泣きながらの大声でお経。うるさすぎてわたしたちのお経がきこえず…」
「先祖のお墓参りに行かないからモカママは鬱になった。家で感謝の気持ちや手を合わせるだけはおかしい」
上記のことを新興宗教の3人の方に言われました。1人は友人、一人は元彼、もう一人は職場の先輩です。
宗教に入るのもどれを信じるのも自由かと思います。でも他人を否定する、その宗教にお金を払わないと悪いことがおこる、また周りへの配慮を考えずに全員でお経、神の思し召しなど神の言葉を利用して宗教戦争…そういう宗教に私は宗教って何?と不信感を覚えています。そういう私も新興宗教を否定していて最低と自覚しています。でもなんでもかんでもお金お金お金…あと自分の考え以外を認めていないように感じます。自分たちだけが絶対正しいという考え。実は弱いから新興宗教に入るのでしょうか?また×宗教の信者のお経をきくと息が苦しくなるのはその方のお経には邪念が入っているからでしょうか?
その点仏教はなんて暖かくて素晴らしいのだろうといつも思います。けして見返りを求めていません。4年前妹が39歳で亡くなったとき、葬儀の場所はお寺だったんですが故人の希望で自由葬に。その前日安置されていたお寺の和室で家族で談話中にそこのお寺の住職さんが突然いらしてお経を唱えて下さったんです。驚きました。涙があふれました。今でもそのときのお坊さんの暖かい配慮が焼き付いています。納骨の際もお経や残された家族への言葉にいつも心から暖かくなります。無償の愛を感じるんです。近所の大きなお不動尊もそうなんですが誰でも自由にお護摩の時にお経や住職さんのお話をきくことができるんです。どなたに対しても無償の愛を注ぐ仏教。またここのサイトを知って本物の愛情をいつも感じています。
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信仰とは
拝読させて頂きました。
あなたのおしゃるとおりかと思います。
宗教つまり信仰は人を救い幸せにするためにあります。それは亡くなった方でも今生きている方でもそして新たに生まれてくる方の為にもです。
信仰は個人の自由意志の上にあります。
が、しかしあなたがおっしゃるように、人を非難し攻撃し貶める思いや言葉や行いは本当に悪しきことです。信仰としては罪です悪です。そのような排他的行為は必ず相手を傷つけて争いを起こします。
私個人の考えで申し訳ございませんが、そのように他者を一切認めず貶めて攻撃することはもはや信仰や宗教とは言えないと思います。単なる暴力です。世界を見回すとそのような争い事が沢山あふれており、あまたの人々を不幸のどん底に貶めています。
あなたはこれから正しい信仰をもち深められそして仏様のお導きを受けて心清く生きていってくださいね。いつでもあなたに仏様の光が差しご先祖様があなたを永遠にお見守りなさってくださいます。
これからもあなたが心清くご信仰なさいます様心から仏様にお祈り申し上げます。
質問者からのお礼
お忙しい中コメントしてくださり心から感謝しています。本当にありがとうございました。「人を救い幸せにするためにある」そのお言葉に心が浄化されます。また相手に対して攻撃的な宗教のお言葉を読んでホッとしました。
つい過去の経験や恐怖から身体が新興宗教に対して拒否感(心臓がばくばくしたり、吐き気を感じるほどその×宗教のお経をきくと苦しくなります)がでてしまいますが、その個人をけして否定しないよう認める心をもちながら、でも自分自身はどうありたいべきか気をつけていきたいと思います。本当直接お話をして私の黒い心に渇をいれてほしいぐらいです。新興宗教の人はなぜ勧誘がしつこいのかな~なぜ鬱になったのを新興宗教に加入しなかったせいにするかな~(実際なったのは15年前でそれ以降全く鬱になっていません)人の弱みにつけこんでくるかな~、マインドコントロールがこわいな~と悲しくなります。実際結婚を前提に相手の親にあったときも、入信ためらっている私をみて彼の両親が人格否定してきました…。まあ別れたおかげで今の主人と出会えたことには感謝ですね。
またまたすみません。無宗教ではありますが、人を幸せな気持ちにしてくれる仏教が私は大好きです。このお言葉を胸にこれからも、堂々と胸をはって生きていきたいです。また新興宗教のことを考えてマイナスな気持ちになることより、自分はどうありたいか、どう生きていきたいか、どう深めていくかの方がずっと大切であることを気づかされました。沢山の感謝の心をこめて…本当にありがとうございました。