好き、愛おしい、大切が芽生えない。
半年ほどお付き合いさせて頂いている歳上の男性が居ます。
彼に限ったことではありませんが、
お付き合いした方に対して愛おしさ、大切さがほとんど感じられず悩んでいます。
数年ほど前のことになりますが、
長年お付き合いさせて頂いた方に振られ、
きっと今も未練が無いということではありませんが、現実を受け入れる他が無いので断ち切っています。
この時の恋愛においては、
愛おしさや大切さを実感していたので、
そういった感情を知らないというわけではありません。きちんと覚えています。
その後、縁あって
何人かお付き合いしてきましたが、
お相手がどんな方であれ、私の気持ちは一定です。
相手に求めることも、ほとんど無く興味も無いのです。
ただ1人で生きていることに承認欲求が満たされず、孤独が辛いので出会い、付き合うということをしています。
当然、お相手は私に何かを求め
向き合おうと理解し、
大切にしようと心掛けてくれるのを実感しますが、
私からお相手に対する温度感が保てずに、
お別れしてしまいます。
結婚適齢期になってきたこともあり、
親や彼や先輩や友人と、
同棲やら結婚やら将来のことを話す機会も増え、
お付き合いしている彼のことを基準に考えるのではなく、
自分だけを基準に考えた時、
結婚を嫌悪しているわけではなく、憧れがあります。
結婚や家庭に憧れている気持ちがきちんとあるにも関わらず、お相手が誰であれ大切に思えないことが矛盾しています。
お別れしてしまうことは簡単で、何も解決策にならない気がしています。
最近では、長年連れそう夫婦の中に
双方が双方を愛おしく思っている夫婦の割合がきっと少ないことを自分の心の安定剤とし、
初めから愛おしく、大切に思えなくても
いずれ同じことになるならば、
孤独を糧に結婚に進んでも大丈夫なのではないかと正当化してしまいます。
お相手が変わっても同じ現象なので、
自分の問題だと思いますが、
どうしたら他人のことを少しでも大切に思えるでしょうか。
少しでも大切に思わないと、
何か決断をする場面で必ず自分本位になってしまい、妥協や我慢の出来ない恥ずかしい人間のまま成長出来ず、結局は自分が辛いので解決したいのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分を大切にすればよい
ある時ある王様がお釈迦様に言いました。
「この世で一番大切なものは何か考えたら結局は自分が一番大切だと思った。どう思いますか?」
お釈迦様は答えました。
「その通りです。誰もが自分が一番大切なのです。だから、あなたは自分を守るために悪いことから離れなさい。」
あなたも同じです。自分を一番大切にしたらいいのです。その為には1つは、悪いことに近寄らないようにすることです。
また2つ目は、あなたの周りの人たちを幸せにすることです。あなたが幸せでいる為には、あなたの周りの人たちが幸せでなければ維持できないのです。
例えば、あなたが一本の木だとすると、砂漠の真ん中にポツンと植えてもすぐ枯れてしまいますよね。しかし、森の中なら枯れることはありませんね。それはその木の周りにたくさんの木や草があり、日陰や水分など良い環境が維持されているからです。
それと同じです。
自分を一番大切にする為にも、あなたの周りの人たちを幸せにしてあげましょうね。
その過程で結婚することがあるなら、結婚すればいいと思いますよ。
好き、愛おしい、大切と思える心は、なくなっていません
好き、大切、愛おしさの感情を、身をもって体感しているのに、ここ数年間交際した相手には、まったくそれが湧いてこない.....
なぜなのでしょうか。
数年前にお別れした男性の事を、若干引きずられていると、私は感じましたが、それだけではないと私は思います。
私が思うに、その後交際した男性が、そこまで好きでなかったからではありませんか。
カンナさんは、寂しさ虚しさを埋めるため、目の前にいる、自分に好意を寄せてくれる男性を選んで、交際しておられます。
そのような選択の仕方では、運よく好きだと思える相手に当たるかも知れませんが、ほとんどは好きになれず、最終的にお別れとなります。
好きだとか大切だとかは、自分本位で決定するもの。
だから、お別れすることに罪悪感などは必要ありません。
相手の事を思えば尚更です。
恋愛やお別れを伝えるのが嫌なら、好きになってからの交際でも、私は遅くないと思いますよ。
いきなり意気投合するケースもありますが。
この世界には、必ず相性のいい人がいる。
少なくとも私はそう思い生きています。
カンナさんは、まだ出逢われていないだけでは、と思うのです。
焦らず、投げやりにならず、自分はこうだと決めつけず・・・
ゆっくりと構えられてはいかがでしょうか?
相手を決める時、妥協やガマンは必要ありません。
繰り返しますが、これは相手の人生にも大きくかかわることです。
諦めにも似た感情のせいであるのかも
カンナ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
やや虚無的、悲観的な傾向もあられるのかもしれません。
期待しない、希望しないという諦めにも似た感情でしょうかね。
しかし、全ては分かりません。因縁(原因と条件)次第です。初めから「無理」だと諦めるのではなく、この先の出逢いにおいては、ものすごく好き、愛する、大切と思える方との出逢いもあり得ないわけではありません。焦がれるような恋愛だってあり得ます。
愛は、その字の如くにお互いの心を受け入れ合って成り立つもの。
気持ちや思いに温度差があっても、受け入れ合えれれば良いのですが、それが難しいようであれば、やはり仕方のないものとなります。無理に合わせることもありません。
とにかく、受け入れる心の扉を自分で閉ざしてしまっていては、何も受け入れることができなくなってしまいます。最初から諦めずに、「次は、きっと」とトライしていくことも。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
人と人が良い意味でも悪い意味でもこざっぱりとした現代に、人一人の悩みに向き合って頂き感謝しかありません。
焦りから結論を急いでいたことを自覚しました。
故に諦めの感情が非常に強く、閉ざしていましたがまた恋愛で一喜一憂出来る日を夢見て自分の足元を固めていきたいと思います。