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店内放送!と憧れの女性アナウンサー

回答数回答 2
有り難し有り難し 15

いろいろな方のご意見が聞きたいです

スーパー勤務です
先日と昨日!店内放送をしました。緊張しました

木曜日に
上司からこないだやった時、店長褒めてたし
女性上司も⚪⚪ちゃん凄いっと
言ってたよと聞きました

あと店内放送
みんな声で誰がやってるか?分かるし、みんな聞いてる。放送出来るって事は仕事のスキルがあってる証拠だよ 自信持って!って。
土日私いないから宜しくね 頼んだよ
店内放送もしてね
期待!してるからねと言って頂きました

土曜日
店内放送五回しました

店長 社員さん 他の部署のパートさん三人が
褒めて下さりました
有難いですo(^▽^)o

言って頂いた事は
今の良かったよ!
落ち着いててゆっくりで聞きやすかった。

今の放送誰がやった?っと
青果部のパートさんが飛んで来て

上手に出来てた 感じよかったよっと。

自分では 上手く出来てないっと思います
慣れてない為緊張もしていますし。。スラスラ読めません(^^;;

月曜日、他の部署のパートさんが

こないだ店内放送良かったわよって
言って下さりました(^^)
【私が店内放送した日に買い物してたようで、上司から⚪⚪部署のパートさんが
褒めてたよと聞いていました。】

ありがたいです。

本当に本当に!憧れの中田有紀さんと
伊藤綾子さんに!原稿の読み方など講師して頂きたいです

これで良いのでしょうか?

また、中田有紀さんと伊藤綾子さんにお手紙を書きたいと思います。

その際にスーパーで店内放送をしています

原稿を添えて!

お忙しいと思いますが
どうしたら?上手く出来るか?
伝わるか?などを教えて頂けたら
幸いですと書きたいと思います

どう思いますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大丈夫です。自信を持って!!!

皆さんが褒めてくださっているのですから、
それを素直に受け取りましょう。

もし批評ややっかみが聞こえたら、
それも素直に受け取りましょう。

場数を踏んだら、
自分自身っで改善点が見えてくると思います。

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有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

イイと思います。

お役に立てるってことは本当にうれしいことですよね。
緊張したって良いのです。
あなたがあなたをやる、やりとげる。
あなたでしかできないことをやった。
やれた。褒められた。
これは素晴らしいことです。
褒められるためにやる訳ではありませんが、素直に受け止めてください。
なかなか世間の人は誉めてくれませんから、スゴイことですよ。
おめでとうございます。
どんなことでも、どんな大きなことでも、どんな些細なことでも、誰かと関わり合っています。
謙虚な気持ちでこれからもいい響きを生み出していってください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

直ぐに回答頂きありがとうございます

嬉しいです

こんにちは

関係ないですが中田有紀さんが夢に出て来て

可愛いがって頂きました(^^;;

仲良くなって連絡先まで交換してました

現実になりせんが
楽しい夢でした

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ