あのお騒がせの占いを超えた何か、、、
私は、3年間の大殺界から抜け出す2018年がやってきました。42歳の厄年と大殺界のダブルパンチの時は、地元のスーパーマーケットで並ぶ順番で、年配の警備員に、知り合いでもないのに、おい、後ろに並べ、、、と、何も悪意があって抜かしたわけでもないのに、馴れ馴れしい言い方に、むかっときました。今日は、バイクでの遠出はやめよう、、とふと思いましたが、それでも、無理して希死念慮を気分転換に、出かけた山奥での転倒、、そして、誰も助けてくれない、田舎道、、仕方がないので骨が折れたまま、1時間と少しの時間家に帰宅、、それから病院で、鎖骨遠位端骨折と診断され、手術をすぐしないとなかなかつかない部分と言われ、気力もなく嫌だったので、6月下旬から12月上旬まで何とか骨が付きました。未だに違和感がありますが、一応、付いてるようです。ここの過去の質問を見ていますと大殺界は無いと言いますが、あれはよくできた、悪人が気づいてしまった、人間のデーターみたいなものだと思います。今の状態を覚えておいて、来年は、気分がよくなるのか今の気分と気持ちと不安の状態と周りの反応を比べたいと思います。あいつは気づいてしまったんだと思います。人間には何か法則がそれぞれあって、何かに、影響があるのかってことを、、、、以上です。2018年で引退する歌手もあれを意識してると思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あると思えばある
2017も終わりますねえ。
この3年は大殺界とやらだったのですね。
人間は自分の思いや考えの中で生きようとして、思いや考えがそうならない現実に打ちのめされ、そしてまた思いや考えの中に沈んでいきます。どこまでも「私の納得・私の正しさ」を求めるものです。
大殺界というものがあると私は「思い」ませんが(これも私の思い)、見れば影響を受けそうなので見ません…。
しかし、あると思う人にとってはあるのでしょう。大殺界のせいにする人間の思いや考えがある限り大殺界という概念も成り立つ。
前回のご相談では禅・道元禅師に興味を関心を持っていただいたようで、あるいはプロフィールには宗旨も書いていただいておりますが、せっかくハスノハにご縁をいただきましたので、そうしたところからでも仏教の教えに自身の在り方を学んでいただけたら幸いです。
自分の思いや考えで質問をし、回答をまた自分の思いや考えで解釈する。それではいつまでたってもループの中でしょう。
いや、人間である限りループの中にいるのでしょうが、ループの中にいることを本当に自覚するならば視点は変わってきます。
人間の思いや考え以前の普遍の道理が仏法です。人間が考えたもので人間が苦しむのなら、占い的なものは見ないほうがよいかもしれません。人間の心は弱いですからね。
まあ、何があっても運勢のせいにしてスッキリできるというならそれはそれでアリかもしれませんが…。
「それって結局こういうことなんでしょ?」
と自分の思いや考えに納得する。それが幸せのように思うかもしれませんが、実はそれが破られて開けた時に不思議と人間は満たされた何かを感じるのかもしれません。
ちっぽけな自分の殻が破れて広い世界とつながるイメージでしょうか。
どうぞまた来年もよろしくお願いします。
質問者からのお礼
吉武文法様 よいお年をお迎えますように、、、ご意見ありがとうございました