好きだと言われると首を絞められているように感じます
私は誰かに好きと言われると、プレッシャーとその人が見ている私と私の内面との乖離で苦しくなってしまいます。
現在付き合っている方には付き合ってすぐにあまり好きと言われるのは好きじゃないと伝えてありました。
それでも向こうは言わないと気が済まないらしく、「ごめん、我慢できない好き」や、「寂しい」とLINEが来ます。
その度に好きと言われて喜ばない、寂しいと言われてそうだねと思えない自分がどんどん嫌いになってしまいます。
しかも私は肉体的な接触があまり好きではなく、ハグくらいなら良いのですがどんなに好きな相手でも性対象として見られると嫌悪感を覚えてしまいます。
本当に好きな人に出会えてないだけでしょと言われるのですが、どうしてもダメなのです。あの雰囲気に耐えられない。
1人の時間とスペースがないとストレスで気が狂いそうになります。泣きたくなります。
現在の彼は歩くときも常にべったりくっついたり、座ってても隣で常にくっついてきたり、とにかく一緒に何かしたいタイプだし、接触もしたがります。私はそれが大多数の人の普通ということは理解してても身体と心が拒否します。
こういうことが積もり積もって連絡を取りたくなくなり、この人は私の嫌なことをする人だと認識してしまいます。そして、連絡を取らなくなるとさらに向こうが寂しいや好きを連発。連絡を取らなくなった自分にこんなに言ってくれる人にすら応えられないという自分を完全に嫌いになってしまいました。日々、じりじりと首を絞められている気がします。
私は彼が思い描くような付き合い方は到底できそうにないのと、このままでは私は自分が嫌いになりすぎてどうにかなりそうなので申し訳ないですが本日別れたいという旨をお伝えしました。返事はまだありません。
一体どうすれば好きと言われても自分を嫌いにならずに済むんでしょうか。
どうやったら好きな人を好きなままでいられるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
多数派=正解ではない
「好き」と言われて喜ばない。
「さみしい」と言われて共感できない。
それの何が悪いのでしょうか。
確かに考え方としては少数派なのかもしれません。
しかし
「少数派」=「悪」
と考えてしまうのは早計です。
まずはここを改めましょう。
なぜなら考え方に正解はありません。つまり、どの考えも正解だということです。
好きな人を好きでいるのはあなただけの問題ではありません。相手だけの問題でもありません。2人にとっての問題でもあります。
2人にとって、付き合うということに対する考え方が違ったのでしょう。
2人の正解がずれてしまっては、どちらかが不正解な気がしてしまいますね。
だからあなたは自分が嫌いになってしまう。
多数派の考え方が正解だと考えてしまえば、少数派であるあなたは不正解に感じる。そうなれば自己嫌悪に陥ってしまうのも無理はありません。
だから考え方を変えましょう。
押し付けられた他人の正解は、数あるうちの1つの正解にすぎません。
あなたの正解=考え方を、あなたは信じて良いと思います。
同じ考えの人、または考え方を理解してくれる方は必ずいます。
それに違うタイプの人と出会って考え方が変わる可能性もあります。
つまり自分にとっての正解は、時間とともに変わるということですね。
ですので、気楽にいきましょう。
人生はいつだってこれから始まります。