努力の動機
こんばんわ!
サラリーマンをしているあきと申します。
こちらへは2回目の投稿です。
私は理想の自分に近づくため、
・資格を取ること
・理想の体型になること
・禁煙
・常に人に感謝をすること
を今年の目標にしています。
ただこの目標を立てたのは、
過去に傷つけられたことへの見返したい、
自分を証明したい、
という動機です。
一時期は怒りを伴っていたこともありますが、
虚しさを感じ、
今は負の感情は持っていないです。
同様の問答がないか検索をしていたところ、
似たようなものがあり、
そのアンサーでは、
怒りを消化して、正しい努力をしなさい、
とのことでした。
そこで質問なのですが、
見返したい、自分を証明したい
と言った動機は間違った努力なのでしょうか。
この動機でも達成した時には、
自身の成長を喜び、その事象へ感謝をすることが出来ると感じています。
拙い文章で申し訳ございませんが、
お返事いただけると嬉しいです。
良い会社に勤めたい お金を稼ぎたい 将来幸せな家庭を持ちたい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ですね
拝
成る程
私も若い時は人に認められたくてというのが目的で
音楽やってみたり仕事も頑張ったり
自分のアイデンティティを確立するのに必死でした
坊主になって
囚われることは無くなりましたが
誰かに認められたいと思うことは坊主の私も同じ
当たり前の事です
綺麗に掃除したら師匠に褒めて貰いたいものですが
私を師匠は絶対に褒めません
何故なら褒める事が危険なことを知っているからです
言ってみれば今アキさんが欲しているものを私が求めるようになるからです
承認欲求の否定はしません
特に今のあきさんには必要なのでしょう
素敵な人や同僚に「すごいね」って言われたり
あまり褒めてくれなかった親に認められたり
出来ればこうした成功体験は子供時代に沢山積んでおきたいものですが
大人になってから必要になる方は実際多いものです
決して恥ずかしくないことと存じます
ただ誰かを見返したい褒められたいという優越感の本質は奢りであり
人の内面的成長を阻害し
更に非凡な名声や実績を欲しがるようになります
こうした承認欲求の本質はしっかり知っておくべきです
特に人に認められた時に出る快楽物質は強いです
内面的成長を阻害し「また褒めて貰いたい」という
依存性がある事を知っておいて下さいませ
さて「見返したい」という感情の処理方法ですが
この話は出来る限り沢山他人に話すべきです
同じ問題を感じている人は多いです
ただ話す経験を積み重ねる事で
承認欲求に対する見方にいずれ変化が訪れるでしょう
例えば私もいじめられて少年時代を過ごしました
これらの経験はあきさんのおっしゃるように
自分の努力で自信を取り戻すものと考え
必死で努力しました
ただ評価は発する側にとっても
受ける側にとって一過性です
パチンコと同じです
ジャラジャラ出て
気持ちよくなります
でまた感じたくなります
そういうものなのです
間違いではないのです
ただ達成した喜びに仕返しの感情は不要
頑張って頑張って
達成した喜びを本当に認めて欲しい方と
噛み締められると良いですね^ ^
合掌
質問者からのお礼
丸山 様
お返事いただきまして、
ありがとうございます。
人に褒めてもらいたいという感情が、
悪いものではないが、
危険性を伴っているということをしっかりと理解できました。
また今後どのように進めば良いかまでお教えいただきありがとうございます。
自分の努力ではなく、先ずは周りの方との対話を大切に、
きっとその中で仕返しの感情が消えていくことを信じ、
精進しようと思います。
お忙しい中、とてもご丁寧なお返事いただき、
本当にありがとうございます。