神社でお願いをした後、
つい最近、付き合っていた人に振られてしまい、復縁で有名な神社にて復縁祈願をしていただきました。彼と復縁できますように、と強く願ってきました。
その後、しばらく経って彼に連絡をすると、新しい彼女ができたと言われ、とてもショックを受けています。
そういえば、今まで付き合っていたひとと、初詣にまた別の神社に行っていたのですが、いつもその後しばらくして別れることになっています。その時付き合っているひとと、ずっと一緒にいられますように、と願っていました。
つい最近振られてしまった彼とも同じ神社に初詣に行ったことを思い出し、神社に行ったことと、別れたことと関係があるのだろうか、と気になっています。
つい最近振られてしまった彼には、結婚しようと言われていたので、結婚前ですが、子宝祈願にも行っていました。
願うことと逆になってしまうのはなぜなのでしょうか?
神社で願うことは、あまりよくないことなのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
神様はいるのか?いるならどういう存在なのか?
ご相談拝読しました。失恋は本当にショックで辛いですよね。
ゆっくりと冷静に考えていきましょうね。それまではご友人などにあなたの思いを語ってくださいね。人は語る中で自分の思いを再確認し、辛さを反復して嚙み締めていく中で受け止めていくものですから。
さて、ご質問に仏教的に答えるならば、そもそも人の運命を左右する神様のような存在などいないということになります。ものごとには原因があるものです。その原因と結果の因果関係を恣意的にコントロールすることはできません。
神道的にはどうでしょうか。もしも神様が本当にいるのなら、誰かの心を勝手に変えるようなお願いを叶えてくれるでしょうか?
神社本庁のHPにありますが、
https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/osahou/gokigan
これによると「神社では国家の安全や風雨順時、五穀豊穣など、公共性の強い祈願を行っていました。一方現在のような個人のために行う個人祈願は、平安中期頃の陰陽師による陰陽祓の活動によって始められたと考えられます。」とのことです。
お願いする事がよくないのでなく、どのような願いをするのか、そして何よりもその願いを通じて自分の姿を省みていくことが大切なのでしょう。
誰でも幸せになりたいし、不幸にはなりたくありません。だからお願いしたくなる心がなくなるということはないのでしょう。
しかしその時、その願いというのが一体どこに立って願っているものなのか?自分の都合にのみ立ったものでないかを気づかされていくところに真実への入り口があります。
別れには別れの原因があるものです。もちろんあなたがどんなに相手に尽くしていようとも、相手がどう思うかは悲しいかな相手次第。
そして相手自身も誰を好きになるか、好きになったらそのままの心でいられるかということを自分の思う様にコントロールできるわけではありません。
だからこそ、結ばれるというのは当然ではない「有り難い(そう有ることが難しい)」ご縁なのです。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
今はまだ、気持ちが落ち着かないのですが、これから、彼に感謝できるくらいになりたいと思っています。
彼の幸せを願いたいと思います。
気持ちに寄り添っていただき、感謝申し上げます。