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神社でお願いをした後、

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有り難し有り難し 11

つい最近、付き合っていた人に振られてしまい、復縁で有名な神社にて復縁祈願をしていただきました。彼と復縁できますように、と強く願ってきました。
その後、しばらく経って彼に連絡をすると、新しい彼女ができたと言われ、とてもショックを受けています。
そういえば、今まで付き合っていたひとと、初詣にまた別の神社に行っていたのですが、いつもその後しばらくして別れることになっています。その時付き合っているひとと、ずっと一緒にいられますように、と願っていました。
つい最近振られてしまった彼とも同じ神社に初詣に行ったことを思い出し、神社に行ったことと、別れたことと関係があるのだろうか、と気になっています。
つい最近振られてしまった彼には、結婚しようと言われていたので、結婚前ですが、子宝祈願にも行っていました。
願うことと逆になってしまうのはなぜなのでしょうか?
神社で願うことは、あまりよくないことなのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

神様はいるのか?いるならどういう存在なのか?

ご相談拝読しました。失恋は本当にショックで辛いですよね。

ゆっくりと冷静に考えていきましょうね。それまではご友人などにあなたの思いを語ってくださいね。人は語る中で自分の思いを再確認し、辛さを反復して嚙み締めていく中で受け止めていくものですから。

さて、ご質問に仏教的に答えるならば、そもそも人の運命を左右する神様のような存在などいないということになります。ものごとには原因があるものです。その原因と結果の因果関係を恣意的にコントロールすることはできません。

神道的にはどうでしょうか。もしも神様が本当にいるのなら、誰かの心を勝手に変えるようなお願いを叶えてくれるでしょうか?

神社本庁のHPにありますが、

https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/osahou/gokigan

これによると「神社では国家の安全や風雨順時、五穀豊穣など、公共性の強い祈願を行っていました。一方現在のような個人のために行う個人祈願は、平安中期頃の陰陽師による陰陽祓の活動によって始められたと考えられます。」とのことです。

お願いする事がよくないのでなく、どのような願いをするのか、そして何よりもその願いを通じて自分の姿を省みていくことが大切なのでしょう。

誰でも幸せになりたいし、不幸にはなりたくありません。だからお願いしたくなる心がなくなるということはないのでしょう。

しかしその時、その願いというのが一体どこに立って願っているものなのか?自分の都合にのみ立ったものでないかを気づかされていくところに真実への入り口があります。

別れには別れの原因があるものです。もちろんあなたがどんなに相手に尽くしていようとも、相手がどう思うかは悲しいかな相手次第。
そして相手自身も誰を好きになるか、好きになったらそのままの心でいられるかということを自分の思う様にコントロールできるわけではありません。

だからこそ、結ばれるというのは当然ではない「有り難い(そう有ることが難しい)」ご縁なのです。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

ありがとうございました。
今はまだ、気持ちが落ち着かないのですが、これから、彼に感謝できるくらいになりたいと思っています。
彼の幸せを願いたいと思います。
気持ちに寄り添っていただき、感謝申し上げます。

「神社・神様」問答一覧

神を信じられなくなって辛い。

カトリックですが、神父さんに相談しても解決しないので、こちらにおすがりしています。 数年前、ヒルティと言う偉人の書いた幸福論3部作に心酔しました。良い事も書かれていて非常に感銘を受けました。只、迷信も結構書かれていて、、書物や場合によっては人との出会いは導き、とか。人との出会いは導き、と言う事を信じてしまい、当時出会った人と結婚しましたが、タイプの方では無かったのですぐに苦しくなり、、やむ無く離婚を申し出て相手を非常に傷付けました。私もそんなひどい事を自分がした事に傷付きました。以来6年半経ちますが、神は何故こんな事をしたんだろうと、考えています。答えは勿論ありません。神を信じられなくなってしまいました。辛いです。神父さんとかは、その出会いにも別れにも意味があると言いますが、彼女の嘆きを見た私には、意味があったとは思えません。何でこんなひどい事を神はしたんだろうと悩み苦しんでいます。神は予定はしない、と神父は言うのですが、納得いきません。ヒルティが迷信を書いていたのを信じたのが悪かったと思っていますが、抜け出せません。どうしたらいいのかなぁ、、何卒宜しくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 38
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天部の神様と死について

こんにちは。表題の件について質問させて下さい。 忌中には、天部の神様を祀ってあるお寺に参ってはいけないという話を聞きました。 理由は「死は穢れで、特に聖天さんなんかは穢れを嫌うから」「天部の神様は人間に近いから、死を思い出させることで荒れ狂ってしまうから」「本当は神様はそんなこと気にしないんだけど、あなたが悲しいときに無理してお参りしなくていいよ、という意味だ」など、お坊さんによって様々なようです。 私も最近祖母を亡くしました。 祖母とは生前不仲でしたが、遺体を見ていると「生まれて生きて死ぬとは本当に大仕事で、この人はそれをやってのけたんだな。お疲れ様」と素直に見送る気持ちになれました。 死ぬのは怖いけど、それは死に際しての苦痛への恐怖が主であって、死自体はどんな生き物にも訪れるものですし、決して穢れではないと思うのです。 肉体が腐ることだって、微生物に分解され、本来なら動物や植物の糧になり、土に還るという尊い過程です。 何なら生きることより尊いと思うし、衛生管理のため仕方ないとはいえ、死んでまで化石燃料バンバン使って骨にして何の役にも立たない壺に収めて保管して、アホらし、とすら思いました。 そう考えると、「死は穢れだから」とか「天部の神様が死を恐れるから」という理由は、個人的にはあまりしっくり来ません。 人によって死への解釈や意見は違うものでしょうが、実際のところ、天部の神様にとって人間の死とはどういう扱いなのでしょうか? どうして忌中に参ってはいけないのでしょう? 現役のお坊さんの意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 1
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神を信じられなくなってしまいました辛い。

カトリックのクリスチャンですが、神父さんに相談しても一向に解決しないので、こちらにお縋りしています。 数年前に偉人のヒルティと言う人の幸福論と言う著作を読んで心酔しました。何度も繰り返し読みました。確かに良い事も書いてあったのですが、書物や人との出会いは導き、と書いてあったりして、当時の私は私の知らない宗教の神秘かと思い、信じてしまいました。当時出会った女性が自分のタイプでは無かったにも関わらず、運命の人だと信じて結婚しました。直ぐに苦しくなって耐えられない位になり、やむ無く別れをお願いして離婚しました。彼女は号泣して私の胸も引き裂かれる様でした。 以来6年余りが経過しますが、未だ神に逆らって離婚したと言う気持ちが無くなりません。どうして神はこんな事をしたのだろうと答えの出ない問いを続けて苦しんでいます。でも神を信じているから、答えが欲しくて。神父さんにも相談してみましたが、キリスト教も誤った解釈があるとかとは、絶対に言われないので、一向に楽になりません。地獄を彷徨っています。神が何故不幸になる様な事に導いたのかなぁ。どうか宜しくお願い申し上げます。死にたい位辛くてなりません。涙

有り難し有り難し 20
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稲荷信仰の宗教学民俗学的知見を求めてます

 最近、狐に呼ばれているような気がします。稲荷神社に参る必要性を感じているのですが、どこの稲荷神社に行けばよいのかわかりません。  20歳の時に初めて参り強く心惹かれ、なんとなく購入してきた狐のぬいぐるみを会社に居る間ずっとお世話させていただいていた京都の伏見稲荷大社が筆頭ですが、子供の頃に毎日通っていた千駄木の満足稲荷、今は両親の離婚に伴い縁のない実父の家が代々氏子を務める根津の根津神社内の乙女稲荷、生まれた病院の隣の湯島の花姫稲荷にも縁があります。現実問題として現住所が東京であるため、伏見稲荷大社以外でも失礼にあたらないのであれば、そちらに参りたくもあります。  また、昨年は自殺を考えるまで思い詰めたいた時期もあったのですが、その際に縁もゆかりもなかった女性に救われました。その方とは今は連絡が取れないのですが、不思議な人で、どうも今を思うと言動の節々や所作から、狐だったような気がしてなりません。ただ、この方は仏教系の荼枳尼天に近い気もしており、そうなると仏教系の豊川稲荷に行くべきかもしれません。  祀るにあたってリスクがあると言われる稲荷神ではありますが、それだけに失礼のないよう調査しており、また、この機会に一生祀る覚悟もあります。そうでなくとも、召喚には応ずるべきですし、もしも本当に自殺の間際から救ってくださったのがお狐様であるなら、お礼は言うべきだと強く感じています。故に、気軽に選択できずにいろいろ調べている現状です。  神仏には何かを求めるものではなく、あくまで個人の努力を応援してくださる存在として、私個人の思想と行動を中心に考えるべきということも重々承知しており、現実的な偶然を神秘的な問題と混同する危うさも理解しています。しかし、今回は、なんとなく重要な問題のような気がするので、心の問題というよりも、宗教学・民俗学的問題としての情報を求めています。  稲荷神の分霊に関して、総本宮である伏見・豊川の祭神と、それ以外の全国の稲荷神社の祭神は、神道系仏教系の同カテゴリの稲荷であればそれぞれが等しくどこからでもアクセスできるのか、派遣され憑いてくださるという眷属に関してはどのようなシステムで運営されているのか、全国の稲荷神社に参拝して信心を納めても良いものなのか、宗教学・民俗学に詳しい方がおられましたら、回答もしくは書籍の紹介いただけると幸いです。

有り難し有り難し 8
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ