愛や恋がわかりません
人がよく言う愛や恋がわかりません。
理解よりも実感が湧かないのです。
私は生まれた直後に両親が離婚。父親はそそくさと再婚し、母親は実家に帰りましたがうつ病を患い、男遊びに興じました。実質母親から育児放棄された私は祖父母の戸籍に入ることになりました。祖母は丁度その頃更年期真っ盛りだったので幼少期の私にそれは凄まじい暴言を吐きました。児童相談所に追いやるだの、死ねだの、育てたくないだのと。
ある程度大人になった今はしょうがないで済ませる事ができます。私の父がろくでなしだった。皆、被害者だったと割り切れます。
ですが夜寝る前にふと思うのです。
私を一番に愛する人は居ないのだなと。
悲観的な訳ではないのです。
祖母も母も私に暴言を吐いた後は泣いて謝ってました。ごめんね、仕方なかったのと。
実親達はろくでもないですけど、祖母はちゃんと家事もこなし、大学まで行かせてくれてます。
祖母は決して人間のゴミではありません。
しかし、どんなに母親でも辛さに負ける事はあるのだなと。
酒を飲んで頭が痺れている際にでる育てなければよかったという言葉がどうも本音の様な気がするのです。
子供のためなら何でもする親なんていないんだなと。
利他の心なんて物はないんだなと、思ってしまうのです。
そして、母親にさえも一番に愛されない私が誰を愛し、誰に愛されると言うのでしょうか。
わかりません。
どうしたらいいのでしょうか?
どうしたら人を愛せますか?
どうしたら愛を感じる事ができますか?
煩悩こそが全て。怒りにすがって生きていく
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ひととの出会いですよね
人間がどう生きるかって、ひととの出会いですよね。
私自身について言いますと、どうしようもないくらい僧侶の世界に信頼が置けない時期がありました。このサイトでよく申す実例としては、私たち夫婦の紹介者でかつ仲人でもある住職夫婦はウソとカネをよこせ以外のことは言いません。あと何かあるとすれば私を全面否定する暴言です。ホントこれだけ。
また、私が属する浄土真宗の場合は基本的に世襲制ですから、ようは身分社会なんです。大きくて由緒のあるお寺の人たちは、同じくらい大きなお寺同士で親戚関係を作って固まっちゃうんで可視的にも不可視的にも封建制みたいな因習がいまも残っています。
こうした世界で生きていくには奸智に長けている必要がありますが、私にはそれがないんでずいぶんと苦しんできましたし、今も苦しんでいます。だから、僧侶の世界に愛みたいなものは感じられませんでした。
しかし、そんな世界にも本当に立派なお坊さんはおいでになり、そうしたごく稀少な方々と出会えたから、私はいまも住職をさせてもらえているんです。
私の場合は、たまたまそんな方々と出会えたのですが、待っててもかならず出会えるとは限らないので求めてあなたに愛を注いでくれる方と出会っていこうとなさることでしょうか。
私は会ったことのない人たちですが、谷口仁史さん、野口義弘さん、奥田知志牧師、藤藪庸一牧師などの方々と接していくのが第一歩かなぁ、と思います。この方々は有名なのでインターネット上だけでもかなりの情報を得ることができます。コンタクトも容易に取れるでしょう。直接お会いにもなれるでしょうが、あなたのお近くでずっと一緒にいてくれる方を紹介してもらうこともできると思います。
インターネット上のやりとりでは温もりまでは伝わりません。「一方的な愛を注いでくれる(藤藪牧師のお言葉)」誰かと出会ってください。