兄が死のうとしています。
兄(36歳)は父(76歳)と2人で生活しており、弟の私は他県で一人暮らししています。
以前にも電話で死にたいと言われたことがあり、その時は数時間話し合い、泣きながら何とか説得することが出来ました。
しかし、数日前に死を匂わすような文面がLINEに届き、その後は連絡がとれておらず、本日下記の文面がLINEに届きました。
「今絶望の中で生きる事を強いられてるわけやけど、まだ終わりが見えていて、ここまで耐えてくださいなら、まだ耐えれる。
でも先も終わりも見えない、ワクチン出来るのも、最低1年はかかる。正直今の生活のまま、1年以上も耐えるのは僕のメンタルでは無理。
だから、これからは賽に身を委ねようと思う。賽には神が宿ってる。毎月月末に賽を振って生きるか死ぬか決める。
1回目は明日。偶数が出たら1ヶ月生きる
奇数が出たら翌月中に死ぬ。」
父もパーキンソン病、白内障等で心身共に弱ってきています。
父が亡くなると兄が唯一の家族となってしまう私としては、絶対に兄を自殺させたくありません。
しかし、インターネット等で何個も検索しましたが、どんな言葉をかけたらいいかも何をしたらいいのかも分かりません。
このまま兄が自殺してしまったら一生後悔し続けるのは目に見えています。
何か兄が共感できるような本や詩を読んでもらったら良いのか、直接話すのが良いのか、直接話すとしたらどういう言葉をかけたらいいか、どういう言葉をかけては駄目なのか。
何か少しでもアドバイスを頂けたら幸いです。宜しくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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命は様々な繋がりがあります
初めまして、お早う御座います。
私も、順風満帆な人生からある日を境に・・突然、絶望に突き落とされ絶句をした日々がありそれらに耐え切れず、命を絶った事があります。幸い、大家さんが発見をしてくれ蘇生されてこの世に留まる事が出来ました。
自ら命を絶とうとする方は交通事故により彼岸に旅立つ方よりも多く、様々な要因により生きよう・・もう駄目だ・・・とその狭間を懸命に行き来をし追い詰められてそうなるのです。
人生にマニュアルがないように、本などはあくまでも参考にされてください。大切なことは、心と寄り添って想いに共感をして上げる事です。そして頑張るという言葉は絶対に使わないでください。心は身体の傷とは違って見えません。そして包帯や絆創膏を貼って治す事も、完治するのがこれくらいという事でもありません。
ご本人は耐え忍んで心を傷だらけになっても、充電がなくなっても・・頑張ろうとして大切な心と身体のコントロールが出来なくなって追い詰められてしまっている状態です。
全てに当てはまること・・”ほどほど”が何でも一番丁度いいのです。お兄様の想いを共感をして、頷いて、想いを聞いて上げてください。人に産まれる事も、比較的に恵まれた国に産まれて、過去でもない、未来でもない、二度とないこの瞬間を生きる事や、家族となったことは奇跡でありご縁がありこの家族と共に人生と言う冒険旅行を歩んでいるのです。
作り笑顔や作った有難うは、心に響かないのと同じです。いつも通りのあなたのままでお兄様と接して見ては如何でしょうか?純粋な祈りや想いこそが大切なのと一緒で、純粋な想いは必ず届きます。お兄様は必要な存在だという事、一人ではないということ、苦しい時は遠慮なくヘルプを出して甘える勇気と大切さも忘れずにお伝えください。
人生は自分で描き主人公を演じます。時に立ち止まることも大切です。向き合ってもう一人の自分に問い掛けると・・自ずと求めていた答えが訪れます。生まれた日や時間という宿命は変えられませんが、実体験をして人生も運命も自分自身はいくらでも変えられてリスタートが出来ます。困難と言う嵐も、時が過ぎるように留まらず動き出します。結果をすぐに求めようとせずに、丁寧に自分のペースで歩まれる事を切に私もお祈り致しております。
いつでも私で宜しければ、お寺のメールにメッセージください。
合掌
質問者からのお礼
初めまして、お早う御座います。
早速ご回答して頂き有り難う御座います。
自分でも何となく分かってはいましたが、お坊さんに言われることで改めて納得し、一歩を踏み出す勇気ができたように思います。
とりあえず今夜電話してみようと思います
。またご連絡させて頂くかもしれません。この度は丁寧にご回答して頂き、本当に有り難う御座いました。