4年前の流産の供養
初めまして。
丁度5年前の今頃、自宅にて初期の流産をしました。
先程なんとなく部屋で過ごしていたところ、あれ今日か明日って…ってふと流産した日を思い出しました。
当時のわたしは学生で、しかも自宅での流産も突然の腹痛に耐えられずトイレにて流してしまいました。
特に供養もせず毎年このように思い出すのですが、今年はとても供養してあげたい、許されないことをしてしまったという気持ちがとても強いのです。
今日はっと思い出したことも、あの時の赤ちゃんが怒っているからなのでしょうか…
5年前以来中々妊娠も叶わず、色々と考えてしまいます。
手元にあるのはエコー写真のみですが、供養できますか?
今更供養しても良いのでしょうか?
許してほしい気待ちでいっぱいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自然な気持ち
はじめまして。ご相談拝読しました。とても辛い体験をされて、様々な思いが浮かんでくるのですね。
仏教的に見るならば、私たちは因(原因)と縁(環境・条件・対象)によって条件づけられた存在です。思考や感情も例外ではありません。
今こうしている時に頭に浮かんでくる思いや考えも、自分の力だけで思うがままに思い起こしたものでなく、そう思う縁によって起こってきたものなのです。
だからそれ自体には本来的に「良い」とか「悪い」というものはなく、そうなるべくしてなっているというだけなのす。法則です。
例えば、ふとなぜか「ラーメンが食べたいなあ」と思ったとします。自分ではなんでかわからなくとも、何日か前にTVやネットでラーメンの情報を見ていたとか、町を歩いていてラーメン屋さんの前をとおって匂いを嗅いでいたとかという因と縁がそこにはあるはずなのです。
でもあなたは「ラーメンが食べたいなあ」と思っても「ラーメンの神様が怒っている」とか「ラーメンの食材にされた命が恨んでいる」とは思はないでしょう。
それは「ラーメンが食べたいなあ」という思いに「良い」とか「悪い」という評価をせず、ニュートラルに向き合えているからです。
では、「赤ちゃんのことを思い出す」というのは「悪い」ことなのでしょうか?赤ちゃんが恨んでいるのでしょうか?
そんなことはありません。それはやはり毎年来る流産なさった日などが因となり縁となりあなたに思い起こされる感情なのでしょう。それにあなたが何らかの評価をくだすことで、「赤ちゃんが怒っているのかも?」と考えるのかもしれません。
例えば、最近よくないことが続いてるとか、体調が悪いとか、そういうことと流産なされたことを関連付けてしまうとそのような評価にもなりやすいかもしれません。
もちろん自責の気持ちからくるのが大きいのでしょうが、けしてあなたのせいではありません。
赤ちゃんの事を思い起こすのは自然なことだととらえてください。そして供養したいという思いも悪いものでなく、とても大切なことです。供養とは亡きいのちに向き合う事、そのことを通して自分自身のいのちについて深く考えることです。
その大切なことを仏法に尋ねるのが仏教徒です。あなたも赤ちゃんを縁として思い起こされるその気持ちを大切にし、そしてよければ仏法に聞き尋ねて確かめてみてください。
あなたの純粋な祈りは必ず届いております。
初めまして、今晩は。
私たちのこの命は、様々な困難を幾度も、幾度も乗り越えて来られた先人・・ご先祖様の生き抜いた証でもあり、父母の願いや想いも重なっています。とても多くの命との繋がりがあるのです。
様々なタイミングと、チャンスが絶妙に重なって・・そして、この世に産まれるのです。それだけ・・命とは物凄い奇跡の出来事によって誕生するのです。
水子様はしがらみや苦しみ・・辛さ全てから解き放たれて、新たなストーリーを歩み次のチャンスを掴もうと、心と身体の傷を仏さまに抱かれ歩まれております。あなたの心と身体の傷も癒されて、共に過ごす命の時間を過ごし・・お互いにもう大丈夫とそれぞれの新たなストーリーを歩み出そうとする時に、お互いの為にもご供養をしっかりと行って頂きたいと思います。
水子様は、あなたを決して恨んだりはしていません。あなたが元の笑顔と自分らしさを取り戻して、笑顔で過去でもない訪れてもいない未来をふと・・思って不安になりよりも、今ある二度とないこの瞬間を自分らしく笑顔で過ごして欲しいと願っています。それが、一番のご供養です。小さなお子様や水子様を看取られたお母様は特に・・お辛い事は重々と承知ですが、未練と言う鎖で留めてしまう事をせずに命の時間を共に過ごされたら、お子さまや水子様を愛していらっしゃるなら、解き放ち新たなストーリーを歩み出せるように見送って頂きたいです。いつでも、心の中のアルバムには共に過ごした証が刻まれています。時々、その引き出しを開いて上げて思い出す事はとても良いことです。そして、心からの祈りは時空を超えて必ず届きます。
100円ショップで購入したコップやお茶碗等でもお仏壇を作る事が出来ます。私は妻を病気により看取り100円ショップの品物でお仏壇を作りました。立派なお仏壇やお金を掛けてご供養するよりも、純粋な心でお祈りする事が大切なのです。
証として残っているエコーの写真を持参して、ご供養をしっかりとされて・・それぞれが新たな人生と言う冒険旅行を仕合せに歩めることをお祈り致しております。
人生も運命も自分自身もいくらでも変えられます。与えられた大きな気づき、そしてこの人生を心奪われず、惑わされずに歩まれますように。
水子様に心から・・・南無大師遍照金剛
合掌 礼拝