人を気持ち悪いと思ってしまう
ネガティブで人間不信気味な自分を治したいです。
私は中学生のころ、何度か同じ人からの痴漢に遭ったことがあります。ただ尻を触られてるだけだしと危機感を持つこともなく、電車に乗る時間や車両を少し変えたりするだけだったのでターゲットにされていたんだと思います。両親や先生にはそのことは相談しませんでした。何となく恥ずかしかったのと、自分の容姿が大嫌いで、「こんな顔でも痴漢されるんだ」と思われたりしたら嫌だという勝手な妄想が理由です。
仲の良かった同級生には冗談まじりにネタとして痴漢のことを話しました。すると驚くことに同級生の中にも痴漢にあったことがある子が多くいたのです。ショックでした。私は、自分が痴漢に遭ってしまったのは、私が超絶運悪くたまたま変な奴に目を付けられてしまったからだと思っていたのですが、実際には満員電車に乗る子の多くがそういう被害に遭っていたのかと衝撃を受けました。この時「もしかして人間って結構気持ち悪い?」と思い始めてしまいました。
その後も、自分の学校の最寄駅で盗撮カメラが見つかるだとか、知り合いがストーカーに遭うだとか、嫌なニュースとか、自分に直接関係はなくとも、そういった情報を聞くたびに他人が嫌になって、自意識過剰だとは思いつつも「他人は気持ち悪い、近づかない方が身のため」と考えてしまいます。
周りを歩いている人が何を考えているか分からなくて怖いです。ただ道を尋ねてきただけのおじさんにビビって身構えてしまう自分が嫌です。親しくない人間と積極的に関わろうとすることが減りました。自分で自分の世界を狭めているような気がします…
コロナによる自粛生活でよりマイナス思考になっているせいか、この「人が気持ち悪い」という考えが自分の中で巨大化しているように思います。この思考は思春期特有のいつか解消されるものでしょうか。
大した被害にあった訳じゃないのに、人間不信のような状態の自分をどうにかしたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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バランス感覚
こんにちは、初めまして。
痴漢の被害に遭われたとのこと。
ご心中に複雑な思いが交錯することと思います。
被害をきっかけに、身の回りに危険があること、そして危害を加えんとする人間が居ることに気が付かれたのでしょう。
私は、このような思い自体を「ネガティブ」とは思いません。事件、出来事は現実ですから。「人間不信気味」と自らを責める必要もありません。悪意を持って近づく人間がいることも現実ですから。現実を知る、このこと自体はむしろ必要なぐらいです。
逆に考えてみましょう。
皆が善意しかもっておらず、世の中の事件、出来事は自分に関係のないことだ、と思って生活しているならば、突然の悲劇が起きた時に対応できなくなります。生きること自体が挫かれる事態に遭遇することを回避するのは社会人にとって必須です。
ただ、人間に関わらないで生きるということは不可能です。人間と人間は、助け合って補い合って生存できています。今のこのコロナの状況でも、働いてくれているスーパーの人や、医療関係者、役所の人などがいて社会が何とか形を維持できています。その方たちの善意があってこそ、あなたも私も生活が出来るという現実があります。
要はバランスです。
注意すべきは注意する、無防備にならない。
人のやさしさや、誠実さは現にあり、私を助け豊かにしてくれる。
このバランス感覚を養うことが社会人になっていくことだと思います。
極端に走らず、現実を見極めながら、豊かに楽しんでいって下さい。
ご参考になれば
質問者からのお礼
お返事が遅くなってしまい本当に申し訳ありません。相談したことが恥ずかしくなり逃げてしまいました。お言葉ありがとうございました。
この世には怖い人や悪い人も確実にいるけれど、優しさや誠実さもかならずあるということを意識しながら、怖がりすぎず生きようと思います。
ありがとうございました!