苦しいです
こんにちは
成人した子供2人と高齢の母と同居しています
下の子は中学からの不登校でしたがこの春無事通信の高校を卒業しました
今はアルバイトをしていますが時々自分の将来に不安を感じて暴れます
先日も壁に穴をあけました
上の子は数年前同居していて、その時には仕事がなく私のお金を盗んでいました
そしてこの家を出ていき、在宅勤務の仕事を始めて落ち着いたので最近戻ってきました
やっと家族がそろって楽しくなると思っていた矢先、母が仏壇に置いておいた10万円がなくなりました
母がどこかに片付けて忘れてしまったのではと思い母に聞きながら考えられる場所を探しましたがありませんでした
上の子にも確認しました
そして本人も、自分の過去の行動で疑われても仕方がない、部屋を探してもいい、と言うので部屋中探しましたが、ありませんでした
下の子は精神的に不安定ですが、あまりお金には興味がないです
上の子が戻ってきたらなくなった10万円
子供を信じてあげたい
どうか母がどこかにしまい忘れてますようにと思っています
今、家族全員が傷ついています
なぜいつも私はこんなに嫌な思いばかりするのか
なぜ人生に安らぎがないのか
私の何が悪いのか
私は周りの人を幸せにできないのか
とてもとても苦しくてつらいです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人生は一生自他のご教導
人が持つべき心は「心をより豊かにしよう」、そうなろうとする心です。
人は人の持つその心が自分の心でありながらも、その心を幸せ、豊かにする力がない、作用、方法、エネルギーがない。そんな悲しく貧しいことはないと思いませんか?
たとえば、チョー✨立派なサイフがあるのに、中身はカラッポ。それでは立派な残念なサイフです。あるいは、チョー✨立派な水槽があるのに中に魚がいない。それも立派な残念な水槽です。あくまで喩えです。
あなたもおこさんたちもチョー✨立派な人間、立派な命ならばこそ、心を豊かにするべきです。仏教というものは人間は生まれたままでは自分の心の働きがそのまんまなので、その心そのもの自体をより高めようというアクションでもあるのです。
土地を沢山持っていても、雑草ボウボウでは土地の持ち腐れ。もちろん、森林や山はそれはそれで立派なことですが。
ですが、人間の心というものはちゃんと豊かさを求めれば向上できます。
物質や経済だけ高めようとしても、それは人類の歴史がすでに実証済みです。
エゴい人間が自分のエゴだけを高めようとするだけになる。
だからこそ、人間というものそのものを大きく見極めるのです。
人間にはそれぞれの命があり、それぞれの欲望があり、それぞれの生き方、考え方、価値観、人生観、性格、ビジョン、受け止め方がある。
ですが、それらを統治するのは心。脳。
その心を高める、脳のアクションが不具合がないように生きる。
たとえお子さんがそのお金を手にしたとしても、それも人間の真実のサガ。
あるいは、留守中にプロ泥棒が入り込んでそれだけ持ち去ったのかもしれません。おばあちゃんが忘れちゃったのかもしれません。それを疑えばあなたも心がけがれる、濁る。人間不信になる。ならばこそ「ご教導」「より豊かな心を目指してあゆんでいこう」とする精神を爆起動させるのです。私ならばそうします。あ、アタシ、なにやってんだろ!(# ゚Д゚)と自分をペチペチします。
貧しい国で心が渇いている人が目の前に食事があればつい手を伸ばすのは盗みの心理ではなく、単に心が餓えているということ。
ご家庭内でもいろいろ山あり谷ありでお辛かったのはあなただけではなく、お子さんも、みんなが。
一度、みんな傷ついたよね、みんな大変な思いをしたよね、という弱者の立場で反省、見つめなおし、立て直しをすることをお勧めいたします。
質問者からのお礼
お礼が遅れて申し訳ありません
またたくさんのアドバイスありがとうございました