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「世の中・自然」を含む問答(Q&A)一覧

2025/03/22回答受付中

暗い未来しか導き出せない

人間と世界の限界を感じています。人間の欲望にこの世界が耐えられなくなっており、このままでは破滅が待っています。「分け合えば余る」を忘れているのはこの世界を動かしている権力者達で、彼等は裁かれないどころか生き残ります。強い者が生き残り弱い者が食い潰されるのが動物の法則です。 今この世界で起こっている戦争は歯止めが効きません。侵略側は「滅ぼす」「完全征服する」まで止まりません。中立仲介に立っていた(もちろんここにも議論の余地はありますが便宜上)米国が今やその立場を放棄し私腹を肥やすことに執心しています。そうした人間が生き残って力を得るのがこの世界なのです。 長い間、頭のどこかで「いつか戦争に巻き込まれる」という不安を抱えて生きていました。そしてその不安が正しかったと証明する方向に世界は回っています。これまでは戦争が誰にとっても利益をもたらさないから先延ばしになっていただけ。私達の生活はただのまやかしだったことに気づいてしまい、いつ核戦争が始まるかと怯えながら生きています。それでいながら、致命的な衝突が無ければ溜まりに溜まった国際問題も解決しないのだろうとしか思えません。対話で解決できる領域はとうに過ぎているのだと思います。そうでなければこんな事には。 「全て私が頭の中で考えているだけ」ごもっともです。ですが、仏様のお慈悲も、死後に導かれるとされている極楽浄土も、「頭の中で考えているだけ」ではないのでしょうか。今の国際情勢からすると、3年後も今の生活がある前提で生きることさえお花畑な気がしてしまいます。問題解決の糸口は見えず、侵略と暴力の可能性ばかりが生々しく浮かびます。墜落する事だけが確定している飛行機に乗せられているような気分です。 ・自分の人生が誰かに終わらされるのが怖い ・いずれ訪れる破滅的な人類滅亡が怖い ・様々な歴史的サイクルからして、「平和期」の終わりが近いような気がして怖い ・死んだ後、また生まれてしまうのが怖い ・生きているというのは全て偶発的な出来事でしかないため上位存在の調節など無く、どこまでも無慈悲で残酷なこの世界が怖い(隕石衝突による恐竜の絶滅など) ここ3週間近く、これらの感情で苦しい日々を送っています。どこに何をどう相談すべきかもわからず、そもそも問題の根本が解決不可能なのでどうにもならない絶望感。 あなたは未来を信じますか?

有り難し有り難し 19
回答数回答 2
2025/03/22回答受付中

将来が不安です。

 私は、10年以上前に、会社を辞職し(精神的な病気により)て、長いデイケアを経て、今は作業所に通っております。  障害年金も受けております。  最近の物価高や、T大統領の政治など、将来自分が生活できなくなるのではないかと不安に感じております。  せっかく、昔、私が自殺したくなった時期を乗り越えたのに、将来の生活苦から、生命を維持できないかと思い、最近、自殺関係の動画を見てしまいます。今現在、私は自殺を考えていません。  自殺すると、死後どうなるかは、動画によると次の4パターンに分けられます。  1. 自殺しても、一切の裁きはない。    光の世界に行く。  2. 自殺したら、霊界で苦しむことは    ないか、反省部屋に入れられる。    但し、現世での修行はやり直し。  3. 自殺したら、死後も、来世も苦し    むが、やり直す機会は与えられる。  4. 自殺すると、永遠の罰を受け、やり   直す機会は与えられない。  1〜4のどれだと思いますか。  私としても、自殺はなるべく避けたいと思います。4番が本当だとすると、自殺者の遺族が救われないと思います。私的には、2番かもしれないと思っています。  自殺じゃなくて『餓死』だと、また違うのでしょうか?  暗い話で大変恐縮ですが、ご回答いただけたら幸いです。

有り難し有り難し 18
回答数回答 1
2025/03/15

この世界の残酷さが苦しい

この世界に本当に仏様の慈悲があるのなら、どうして世界中の残酷な営みが今も続けられていて、全ての生命の恒久的平和が保証されないのでしょうか。 結局、生き物として生まれてしまった以上は飢餓や戦争、弱肉強食の世界に放り込まれるのが殆どで、私のように平和で衛生的な生活ができるのは一握りです。いつかはこれをお返ししなければならないのは良いのですが、この世界の苦しみを肩代わりするのは恐ろしくて嫌だと思ってしまいます。奪い合いでしか存在を保てない物質世界にもう産まれたくないのですが、世界中の残酷な営みは止まらずこれからもっと加速するだろうことを考えれば考えるほど、この世界には神も仏もおらず、ただこの地球が無くなるまで残酷な営みから逃れられない無限地獄でしかないと感じて苦しくなります。 どうしてお釈迦様はこの世界を肯定できたのでしょうか。人間でなくとも、野生動物の過酷な弱肉強食、遡れば隕石による避け難い絶滅。それなのに生き物はまだ生きることを選んでしまっている。私もまだ、「今死ねば絶対に御浄土に行くことができる」と誘われても少し躊躇してしまいます。だから私は御浄土には行けない。それもまた苦しい。 自分の生活に集中しようとしても、希望を持とうとしても、それが容赦なく砕かれることもあると知っている以上、難しいです。災害や戦争、犯罪によって無慈悲に未来を奪われた人達の中には、私なんかよりもずっと賢くて清らかな人だっていた筈です。安心して生きられるかどうか、命を全うできるかどうかなんてどこに生まれるかの運でしかない。宗教とは、物質的な苦痛に耐えきれない人間が頭の中で作り出したものに過ぎません。私も本当はお浄土の存在を信じたい。けれど「もしお浄土があるのなら、もし本当に神仏の救いがあるのなら、どうして世界は今も残酷なままであり続ける?」と思うと信じることができません。破滅的なものばかりが真実のように思えてしまいます。 私はただ、安心して生きていたい。誰からも傷つけられず、災害や戦争に巻き込まれず、死んだらちゃんと安らかな場所に導かれる。そういう「確固たる」保証が欲しいだけなのです。ですが今の世界では、残酷な中に放り込まれる確率の方が極めて高く、人間の行き詰まり感からしてこれからの世界はより残酷な弱肉強食の世界になるでしょう。次に生まれるときは、ひたすらに残酷な環境の中なのでしょう。

有り難し有り難し 23
回答数回答 2
2025/03/06

性欲に負けた両親

私の家はお金がないのに、子供が三人います。 幼いころ「みんなは毎日おふろはいれるのに、私はなぜ入れないの?」って聞いたら母が「お金がないから」といって終わりました。 教員してたから本当はそういうことはないのに それで、子供の私らはいじめにったり、悪口を言われたりした。 愛情もないし、面白みもない家だからある時統合失調症の姉に聞いた 「私ら望まれて生まれてきたわけじゃないよね?」っていったら「そうよ、跡取りが欲しかったんだけどできんかったけん」という真実を明かされた。 三人も子供をつくって性欲に負けて、生きたんだなって思う。 私が小学校の低学年ころ学校の勉強ができない、したくないっていったら母が突然切れて、私の服をつかみ廊下に引きずり出されてたたかれて、「だったら一人で生きてけ、なんであんたみたいな子に教育費を払わんにゃけいんの!?」「でていけ」とかいって罵詈雑言を言われた。 そんなんだったら、作らなければいいし性欲に負けておいて何をって感じ。私が「産んでくれ」「作ってくれ」と頼んだわけじゃないし 温かい家庭、望まれて生まれてた家庭の子供なら 「そうか、今はしたくないんだな。じゃあ、いつからでもいいから勉強したくなったときにしなよ」と言って抱きしめる。毎日お風呂がある。 頭をなでるなどがあったはず 私の家はつらいことがあったら罵詈雑言で返す、突き放す、面倒を見てほしい時に放置、親が嫌なことから逃げる。お風呂に毎日入れない。でも、外からの評価を大事にして、「いい親、いい先生」という風に見られたがっていた。 また、姉からも冷たくされてたから 精神的に幼い姉と冷たく要領がいい姉がおり彼らに看病されたことは一度もない。叱られたり責められたり利用されたり 次女は妹ならこうであるべきを押し付けられて、私に消えてほしいとかかわいくないとか言われて、勉強ができないと家の外に放り出そうとする次女 次女が性欲に負けてできちゃった婚をした。 この家庭だったから、祖母の介護の時は私は暴力をふるった。統合失調症の姉の面倒もみさせられてたから 気分転換してたら母から電話がかかり、気分転換をしてることを言ったら怒ってくる。 私が幸せを望んでなかった母、そして私のことを一切考えてない姉たち この冷たい家庭だったから結婚したいとか思わないし、子は、頭のめでたい男女が性欲の負けて作ったエゴの塊だと思う

有り難し有り難し 22
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2025/03/05

これからの世の中、どうなると思いますか

「また始まった」と思われるかもしれませんが、ここ数日の世界情勢に強い恐怖心を抱いております。資本主義社会や物質的世界に限界が訪れているのを感じ、奪い合いの果ての第三次世界大戦が遠くないもののように思えて仕方ありません。 それでいながら、神仏のご加護や救いを信じることもできません。もしそんなものがあったとしたら、この世界はここまでの惨状になってはいないはずです。そもそも、自然界の残酷な在り方を前に御仏のお慈悲をどうやって信じれば良いのでしょうか。 1人で考えていると袋小路に至るので、まずはこの世界がこれからどうなると感じていらっしゃるか、考えていらっしゃるか、率直にお聞かせください。私なんぞの絶望的な将来しかない世界が否定されることを望みますが、それに値する根拠がこの世界に無さすぎてどうしようもなくなっています。 私は、人類史の終わりがすぐ近くまで来ているかのように感じています。そうでなくても、今までの社会の維持はもう不可能で、奪い合うことでしか生きられない世界になっていると思います。これが思い込みだというのなら、今の世界情勢をどう捉えていますか? 恐らく私は老後を迎える前に戦争や災害に巻き込まれて死ぬでしょう。そう思いながら今まで生きてこられた、今もまだ生きている、ごもっともです。しかし、毎度毎度「もう終わりだ」思いながら生きてきましたし、その恐怖は軽減されるどころか更新され続けています。ずるくて欲深い人間が世界の操作権を握っている現状、どこにも安全地帯なんてありません。成仏できるなら、涅槃に至って物質世界から逃れられるなら良いのですが、結局はまた何か別の生き物の脳味噌が「自分」になって、物質世界で永遠に死と生を繰り返すだけです。本当は救われたいのに、物質世界の真実があまりにも強すぎて、仏教の教えこそ「人間が頭の中で作り出したもの」としか思えません。あまりにも無力。 自分の生活に集中するのが恐ろしいです。今の生活さえ世界から見ればかなり恵まれているという事実も、それさえ困難が避けられないという事実も、この人生が終わったらもっと過酷な世界に産まれるという事実も、物質世界の全てが恐ろしくてたまりません。けれど、ずっと同一の「自分」であるというのも無理かかかるので、いつかはまた餓鬼道や畜生道に生まれなければならないのでしょう。酷い殺され方をされる覚悟を持たなければ。

有り難し有り難し 18
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2025/02/20

姉の死をどう捉えたらよいかわかりません

 数年前に実姉が自死で他界しました。  姉は高校生のときからうつ病に苦しみ、死に向かう姉を家族で必死に止めていました。  就労支援施設を経て一般企業に就職を果たしたとき、社会復帰できたという安心感もあってか表情がやわらかくなって、症状が落ち着いてきたのかな、と家族で安心してしまっていた矢先のことでした。    私は姉の死についての感情を整理できず、まだ答えが出ていません。以下に詳細を書きますので、率直なご意見をいただけたら幸いです。    幼少期から私が成人するくらいまでは、とても仲のよい姉妹でした。でもある時(本当になんでもない瞬間に)私に限界が来てしまって、それから姉が亡くなるまでほとんど会話もできないまま死別してしまいました。    限界がきたというのは、生前の姉から度々性的な行為を求められることがあって、断ったら姉が死んでしまうかもと怖くて拒否できず、安心して眠れない時期がずっと続いていたからでした。  姉は繊細な人だったので、日常でのストレスが歪んだ形で発露していたのか、思春期によくある実験的な行動に巻き込まれたのか、はたまた本当に私を性的に愛していたのかわかりませんが、尿を飲まされたりプライベートゾーンをまさぐられたりといったことが、7、8歳くらいの頃から何度かあったと記憶しています。    でも、姉は普段はとても優しいお姉ちゃんで、私もとても素直な妹でした。だから病気になってしまった姉の介護として必要なのだと、努めて平静に振る舞いました。    でも、先述した通り、急に限界がきてしまいました。ある日、姉のことを突然気持ち悪く感じて、別室に逃げても姉の存在が怖くて疎ましくて涙が出ました。私が姉を避けるようになると、姉は支柱を一つ失い、危うさがより増しました。私は姉を苦しめている罪悪感をずっと抱きながらも、どうしても姉に近寄ることができなくなってしまっていました。その矢先に、姉は死にました。    姉を生かすには私が耐え抜くしかなかったのに、結局私は耐えられず、姉を生かすことに失敗しました。  でももし、姉が生きのびた世界線があったとしたら、逆に私が耐えきれず自死を選んでいたかもしれないと思うのです。    私が死ぬべきだったのだろうかと考えています。今更考えても仕方のないことですが、自分なりの答えを見つけたいです。

有り難し有り難し 12
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