最近、政治や選挙に関心を持つようになって生まれた悩みがあります。 それは歴史の認識についてです。 SNSなど歴史に関する様々な情報があふれ、多くの解釈に触れることが多くなっています。日本が過去にしてきたことや海外がしてきたこと、それぞれの国の言い分、また『やった側』と『やられた側』の立場による主張など、さまざまな見方があって、どれが真実でどれが解釈なのかがとても分かりにくいと感じています。 学ぶことや知ることが大切だというのは理解していますし、事実を正しく見極めたいという思いもあります。 しかし、情報が多すぎて、しかも立場によって主張が食い違うため、どれを信じてよいか迷い、心が疲れてしまいます。 人と歴史の話をするときも、それぞれが異なる視点や価値観を持っているので、正解のない議論のようになってしまい、余計に混乱します。 こうした『歴史認識の複雑さ』と、どう向き合えばよいのでしょうか。 真実を突き止めようとする姿勢は大切だと思う、また、学び続けていくことは大事だと考える一方で、そこに執着すると心が乱れてしまう気もします。 「自分が触れているこの歴史の情報は本当に事実なのだろうか」と、ふと学ぶことに対して不安になってしまうようにもなってきていると思います。 歴史の事実や解釈の多様さに直面したとき、私たちはどのような心構えを持ち、どう向き合い学び、今後に活かしていくことが望ましいのでしょうか。
変な質問なのですが駅やスーパーなどの洗面台って使った後水滴とか拭きますか。その場ふきん、ペーパー何使いますか? ゴミ袋とか携帯してたりするんでしょうか?
何度も同じような質問を申し訳ございません。 以前、「地震が怖い」ことについて相談させていただいた者です。 今月に入ってから、去年「南海トラフ臨時情報」が出た時のことを頻繁に思い出すようになってしまい、日常生活に支障がでております。 具体的には体調面ですと胸が苦しくて呼吸がうまくできない・下痢や腹痛が続く・めまいがする など その他ですとスマホやパソコンの文字がスムーズに打てない・やるべきことに集中できない・判断を誤る などです。 ちょっとした風などの振動も地震かと思いビクビクしてしまいます。 生きるのがつらく、将来に希望が持てません。 いいことや幸せなことがあっても「どうせこの幸せも地震で全てなくなってしまう」と思ってしまい、幸せを受け取れません。 心療内科と、併設のカウンセリングにかかっているのですが、心療内科では頓服の薬をもらうのみ、カウンセリングは日頃の体調の報告と最近の気持ちを話すのみで、正直良くなっている自覚が持てません。 来年の3月に引っ越す予定なので、心療内科を変えるにしてもそれ以降になると思います。 ずっとこちらのhasunohaでお言葉をいただいているのに、改善できず申し訳ございません。 どうか今回も何かお言葉をいただければと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。
どの政党かは書きづらいので直接の名指しは控えさせていただきますが、外国人差別やデマを撒き散らし、人権を軽視する憲法草案を公開している党が、参院選で法案を提出できるくらい議席を伸ばしたことで、人権を無視した法案が成立したり、日本の政治が独裁的な政治になったりしないか不安です。今も政治家として、政党として民主主義を壊すような行動をしているのを見て怒り狂う毎日です。参議院の任期は六年と長いので、その間ずっと不安だったりその政党や党首にキレてるのかと思うと、虚しくなります。 また、このような政党を支持したり、吟味せずに投票した人にも腹が立ちます。少し調べれば、どういう政治家なのか、党なのかわかるはずなのに、それでも投票したと思うと、正直、言い方は悪いですが、話が通じる人なのかしらと思ってしまいます。このような人たちのせいで住みづらい国になると思うと、腹立たしいです。向こうもこちら側をそうだと思っているかもしれませんが。 他にも腹が立つのが、こんな中でも政治のことは目に入れたくないと言っている人です。日本は政治や人権に無関心な人が多いように感じていて、パブリックコメントを投稿したりなど、政治的な活動をしている身からすると、仕事をしている横でだらけているのを見せられているような気分になります。 これから先、どのような心持ちなら、安らかに自分のしたいことに向き合えるか、ご教示いただきたいです。この先国会が開かれたらもっと不安になるんじゃないかと、いまから憂鬱です。全てが自分の思う通りにはならないことはわかっていますが、安心して生活したいという最低限の願いが叶えられないかもしれないというときに、そう割り切っていいのかと思ってしまいます。 また、正直日本を出られるように準備した方がいいかなと思って、語学の勉強や、仕事のスキルを上げようとしているところで、不安に足を取られている暇はないと思っています。本当は日本を出るためにしゃかりきにならずに、自分の夢を追いたかったですが。 相談と愚痴が混ざってしまって申し訳ありません。お盆の時期でお忙しいと存じますので、何卒ご自愛ください。
人間不信で、就職する事ができません。 誰かに嫌な目で見られたり嫌われたり噂や悪口を言われるのが怖いです。 また、例えばクルーズ旅行とかにも行ってみたいのですが、貧乏人が来てると周りに思われそうで行く勇気がありません。 まあ今は行くお金ないですけど…。 実際には仲良くなれたり好かれたり一度も嫌なことをされなかったりすることもあるんですけど、ちょっとしたことが気になってしまいます。 一人挨拶しに来なかったなとか。 そんな事で酷く傷ついてしまいます。 私は一生就職できないのでしょうか?
以前何度か相談をさせていただいた者です。 現在参議院選挙期間中ですが、一部の政党から吐かれる陰謀論的・排外主義的な言説やヘイトスピーチ、それらが大きな支持を集め始めている現状に胸を痛めています。 子供の頃から社会問題やニュースには敏感な方で、リアルな場やSNSで抵抗なく発言をしてきた方ではありますが、これまでそれに共感してくれた友人はあまりおらず、嘲笑されたり距離を置かれたりすることがほとんどでした。 それでも「言わずにはいられない」という収まりのつかなさが勝り、ここまであまり態度を変えることはありませんでしたが、今回ほど絶望的な状況に向き合わされ、気持ちが参ってしまったことはありません。 すでに自分の周囲や、好きな音楽アーティストまでもそういった一部政党の態度に共鳴してしまっているのを目の当たりにし、「選挙に行こう」という投稿ですら、「実はこの人もそういう政党に共感しているのでは」と思ってしまい、恐怖感を感じてしまいます。 かねてからこの国に未来はない、あと数十年で滅亡するだろうと思っていますが、それでも声を上げるのは、この国が本当に滅びるようなタイミングで「もっと声をあげればよかった」と後悔したくないからです。 それでも、そんな微かな原動力すら折れてしまいそうな時勢に、生きる気力すら落ち始めています。 この気持ちを吐き出せる/共感してもらえる友人もおらず、一人でどうすればいいかわからずただただ重い体を引きずっています。 全てを失う覚悟で発言を続けた方がいいのか、それとも自分を守るために一生隅で縮こまっていた方がいいのか、あるいは第三の道があるのか、ご意見をいただけると嬉しいです。
私には大好きな声優さんのアイドルグループがいます。声優さんがアニメの歌を歌うライブがあり、何度か行っていました。行くたびに大好きなアニメの曲を聴くことができてアニメの感動も呼び起こされて感動していました。 そしてついにこの前、そのアイドルグループの最後のライブがありました。そこで声優さんが「ライブは最後だけど、思いは残って永遠になる」と言っていました。その時は確かに楽しかった思い出は残り続けるし、全てが終わるわけじゃないな、むしろ終わりこそ始まりかもなと思いました。 しかし、仏教の考えでは人の想いは残り続けると言う考え方はあり得るのでしょうか。諸行無常ですので、このアイドルグループに対する思いもいつかは無になってしまうのでは、と不安になります。 人の思いなどはずっと残ると言うことはあるのでしょうか。
この世界はもう終わりです。私達は殺されます。核戦争でこの地球は死の星になります。人間の肥大化した欲望から来る不足感が被害者意識を生み、その結果が今の軍事大国による侵略時代です。道徳は非人道的世界に飲み込まれます。私達に未来などありません。 到底受け入れられない、受け入れてはいけないものですが、解決方法もないので私達には死しか残っていません。それも惨たらしい死です。全国の仏教ネットワークを駆使して全国規模で人類への生前葬を行いましょう。 まだ間に合うかもしれない、ちゃんと天寿を全うできるかもしれないと感情では思いたいのですが、もうそんな可能性は日に日に小さくなっていくばかりです。世界は毎日毎日「最悪」を更新するばかりです。 例え運良く戦争にならなかったとしても、どちらにせよ人間社会の未来が暗いことは確定しています。 まだ気づいていないなら一緒に絶望してください。もうこの世界に未来など無いという真実にお目覚めください。私よりも賢くて徳のある貴方がたなら簡単なことだと思います。戦争は止められないこと、私達に未来は無いということ、死んでも結局はまたこの世界に生まれて苦しむだけの生が永遠に繰り返されるだけだということ、どこにも安息の地など無く、神仏の救いなどこの世界には存在しないということ。私でもわかることなのですから、貴方がたももうお分かりかと思います。私達には絶望するしか無いのです。人を救ったって仕方ないのです。どうせもうじき戦争で殺されるのだから。 絶望と怒りで心が埋め尽くされています。私が生きられないのは、私が苦しむのは完全にこの世界のせいです。生きても死んでも地獄から逃れられない。「存在」の強制力からは誰も逃れられないのです。もしも死んだ後の行き先が選べるのなら、日本は少子高齢化になっていないし家畜も戦地で死ぬ赤子も生まれていません。でもそうではないということは、死んだ後の安息など無く、死んでもまたこの世界の何かに生まれてしまうというのがこの世界の真実です。次は家畜かもしれません。どうして世界のほとんどの人間はこの真実に気づいていないのでしょう。 無惨に殺されるのはごめん被りたいのに、世界のあらゆる情報が「私たちは無惨に殺されるしかなく、しかも死んだ後もそれらが無限に繰り返される」という事実を指し示します。心が壊れて狂っています。
いつも心強いお言葉をありがとうございます。 早速ですが、今回は虫についてご相談させてください。 昨年末引っ越しをしました。しかし新居で度々小さいものから大きい羽虫まで出るようになり、毎日怯えて過ごしています。 度々と言っても、週に1回ほどで、一番出会いたくない黒いやつ(名前も打てません)は未だ現れていませんが、以前住んでいた家より築浅で、階数も一つ上でしたので、虫に怯えることなく過ごせるだろうと思っていたのに全く予想外でした。 以前住んでいたところより暖かい地域で、かつ周辺に少しだけ植物があるせいかと思いますし、大量発生しているわけではないので、人によってはそんなこと程度かもしれません。 ただ私にとってはノイローゼになりそうなほど大きな問題となっています。外から帰る際は、虫が体にくっついてないか異常なほど服や髪をはたきますし、毎日白い壁を隅々まで見渡して虫がいないか確認してしまうほどです。 こんな日々にとても疲れてしまいました。どうしてこんなにノイローゼになりそうなほど虫に抵抗があるのか、どのようにしたら乗り越えられるのか、アドバイスをいただけないでしょうか。 家は心安らぐ場所にしたいです。こんなことで悩んだり大事な時間を潰したくない、と心では分かっていても、脳の中でずっと虫のことを考え、体が震えてしまいます。この弱い心にどうか喝を入れていただけないでしょうか。
いつも親に何でもやってもらって生きてきました。高額なお金を使わせたり。 でも最近、もうこれからは誰も何もしてくれないのだと気づいてしまいました。 自分には何か頑張る気力もありません。 働いてませんし。 一人で旅行とかする気にもならないし。 友達も恋人もいません。 基本、すぐに呆れられて愛想を尽かされます。 みんな自立した大人だから。 いつも誰かに頼ってた自分は分かってもらえません。 これからは何の楽しみもなく生きていくんでしょうか? いつも誰かがお金をくれたらいいのにとか旅行に連れてってくれたらいいのにとか妄想してばかりで辛いです。
最近のニュースや時事問題の意見を見るたび落ち込んでしまいます。日本学術会議に政府が介入しやすくなったり、障害年金の意図的な不支給などの暗いニュースが多かったり、排他的な政党が躍進したり、障がい者や老人、女性、外国人など、弱い立場の人を叩いている風潮が怖いです。 自分はプロフィールにあるように、マイノリティーや弱者とされるカテゴリーに入ることが多いため、「このままディストピア的な世の中になって、子ども産むだけの機械にされるのかな」「また働けなくなったりしたら、今度こそ死ぬなぁ」「いっそ海外に亡命する準備しようかな」とか暗いことを考えて不安になってしまいます。ずっと不安な妄想があたまのなかに回っていて辛いです。こういう妄想するのは、ディストピア系の作品を読むこともあるのもあるかもしれません。 ニュースは新聞やラジオ以外にもXから得ていて、Xが悪影響を及ぼしているのはわかっているのでやめた方がいいのはわかっています。ですが、Xで趣味関連の情報収集や創作活動の宣伝をしているのでやめづらいです。趣味の情報がXにしかなかったり、他のSNSでは拡散しづらいので…。 あと、政治の話はずっと離れていても、新聞などに情報が載らないまま法案が通ったりするのが怖くて、ずっと情報を集めてしまいます。 今の風潮を過度に恐れず、自分のすべきことや、やりたいことに集中するには、バイアスのかかっていない情報を見極めるにはどうすれば良いか、SNSとの距離の取り方はどうすればいいか。また、もし日本や世界がディストピア的な世界になったらどういう気持ちで生きていけば良いか、ご教示いただけると嬉しいです。たくさんお願いしてしまってごめんなさい。 気温の寒暖差が激しい季節です。どうかご自愛なさってください。
最近のテレビのニュースなどをみて、なぜか気分が落ち着きません。T大統領の強権的なふるまいとロスでの暴動とか、日本で障害年金が不支給になる人がいるとか(私は障害年金をいただいていますが、いまのところ大丈夫です)オーストラリアの銃乱射事件などが要因です。 あとだいぶ前になりますが、私の親族がある本を出して、『いじめられて学校を中退するからオウム真理教に入る』と書かれていて、私は腹が立ちました。私は、長い間いじめに遭った事があり学校を中退しようと思った事があるため、その文章に大変傷つきました。直接、本を出した親族に抗議したことはなく、その人もすでに亡くなっているので、今さらどうすることもできませんが。私自身は、オウム真理教と関わったことはありません。 その本を出した親族の人には激しい怒りを感じます。 本当に、オウム真理教の犯罪に関わった人全てが『いじめらて学校を中退した人』ではないと、私は思います。ちょっと調べてみましたが、ある、いじめに遭っていたオウムの幹部は、高校、大学を卒業したそうです。 私の率直な観察では、いじめをした側は、のうのうと生きており、罰など当たらず、人生を楽しんでいるように見えて、激しい怒りを感じます。自分も学校ではうまく立ち回って、『いじめる側』になればよかったのではないかと思うことがあります。できませんでした。そう考えることもいけないことかもしれませんが。自分の経験では、因果応報があるとは、とても感じられません。それともいじめられる方に悪いカルマがあるのでしょうか?自分の場合、元いじめられっ子に、ひどいいじめを受けたことがあり 、どんな卑怯な手を使ってでもいじめる側に回らないと学校生活が送れないと骨身にしみました。『いじめられるほうが悪い』という風潮があるから、人はいじめる側に回るのだと思います。 何か、人生が嫌になってしまいました。今すぐに死にたいとかは思いませんが、将来の不安もあります。 Zoomによる相談も考えましたが、今回はテキスト形式での相談にします。 まとまりのない文章で申し訳ありませんが、回答いただけると幸いです。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6541159 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6541204 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6541192 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6541178 世界はどんどん破滅に向かって進んでいくだけです。こんな世界に希望や将来の前提を持つこと自体が間違いなのです。こんな世界の何に感謝しろと。しかも死んでもまたこんな世界に生まれてしまうのです。極楽浄土なんて科学的に実証されていないということは、結局はこの世界で死んで生きて死ぬしかないのです。 人間がこの世界をもう改善できないことは上記のニュースだけで十分すぎるほどに証明できます。だから日本人も危機感を持たなければならない。とりあえずここではレスポンスが得られる、確実に読まれているのでまずはここから始めています。後々になって「安楽に滅びる道を本気で追求すべきだった」という私の主張が正しかったことが発覚しても後の祭りですからね。いずれ日本も戦争に巻き込まれてしまうのだと予言しておきます。人間の行き着く先がこれしかないので。私が絶望しているのは、その日が私が思ったよりもずっと早く訪れそうなところです。 もう私達は安穏と生活することはできません。絶望的な未来しか残されていないと覚悟すべきです。 いじめが常態化し、教師と生徒が互いに見下し合う環境で育ってきました。委員会や部活などの組織は悉く崩壊し、強くて利己的な人間だけが幸福になる世界でした。冷戦終了やキューバ危機回避を知らないので、人間という生き物は組織になると碌なことにならない、衝突を回避することはできないという認識が強いです。そして国際社会はいま、未曾有の危機に直面しています。人間は今の危機を回避する方法を得ることはできません。残されているのは破滅のみです。だからまともに生きるなんて馬鹿らしい。道徳はすでに踏み躙られています。こんな世界の何を信じているのですか?どうしてこんな世界に仏教を信じられているのですか?私達に未来がある根拠なんてどこにもない。破滅の根拠だけが積み上がる。この人生はもう終わりだし、次の生命はどうしたって非人道的世界です。こんな中で存在規模の被害者意識を持つなという方が不可能。
インドパキスタン間の軍事衝突が始まりました。核保有国である両国の対立激化により、この世界が死の星になる可能性が更に大きくなりました。ロシアウクライナ戦争もガザ地区の虐殺も止まらず、ここがもう人間の限界です。正義なき暴力が世界を支配する時代に逆戻りしてしまいました。もう未来はありません。 日本は平和ボケしたまま米中露に侵略されて分割統治されます。日本人の大半は虐殺されます。私達に未来はありません。人間に未来はありません。 極楽浄土もないので、殺された後は過酷な生存競争の中に生み出されます。死と虐殺しかこの世界には残りません。 馬鹿馬鹿しいと思うなら今の国際情勢と人間の本能を見てください。世界最大の軍事力を持っている米国が自国第一主義、覇権主義に走っていることで、人間の欲望の蓋は完全に外れてしまいました。奪い合いの世界です。 未来なんてない。平和な世界なんてもう妄想の産物でしかありません。どうしてこんな世界になった。どうしてこんな世界に生まれてしまった。
一年程前から友人がスピリチュアルに傾倒し始め、私自身のメンタルに支障をきたしています。 最初は紹介された占い師に占ってもらったら当たっていた!程度の話だったので近況として聞いていましたが、ここ一年くらいは“いついつに災害が起きる“ “去年生まれた子供はその災害からお母さんを助けに来た“、しまいには根拠不明の“○○(私のこと)は結婚できない“など吹き込んできます。 そう話す本人も子供はおらず、その理論でいくと助からないのに何を言ってるのか?と思います。 私自身、昔からそういった予言やネガティブなニュースや情報が凄く苦手で、一回見るとなかなか頭から離れず、“本当に起きちゃうのかな…“と不安になり、先述のことを言われて以降ずっと怯えています。何をするにしてもそのことが頭をよぎります。 気にしなければ良いのですが、なかなか頭から離れません。どうすれば気にせず楽に過ごせるのでしょうか?
生き物の本来の姿とは、闘争と弱肉強食です。自分を存続させるために他者を食らい攻撃するのが生き物です。日本においてはこの80年が奇跡のようなものでしかなかったと、昨今の国際情勢が物語っています。 枯渇する資源を巡って奪い合いの世界では、力による現状変更が正当化される時代に逆戻りしてしまいました。いつどこで世界規模の軍事衝突が発生してもおかしくない、どこで核兵器が使われてもおかしくない世界になってしまいました。 しかし、私はこの仮初の平和に固執してしまいます。この命が終わった後に、またこの争いの世界に生み出されると考えると恐ろしくてなりません。しかし極楽浄土が現世に存在せず、私の命などといったものは脳味噌をはじめとした身体の生体反応でしかないという事実の上では、どうあがいてもこの絶望的な結論から逃れられず、狂いそうになります。 戦争に巻き込まれて無残に死ぬのは、これまで家畜や虫などを殺してきた報いなのかもしれませんが、どうしても受け入れることが難しいです。これはいけないことでしょうか。これまでの罪の報いとして受け入れなければならないのでしょうか。 今の国際情勢のすべてが、人間としての限界、人類史の終わりに向かって真っすぐ進んでいるとしか思えません。欲望を剝き出しにする権力者が己の行いを反省する頃には、この地球は焦土と化しています。今の国際情勢を見ていると、10年後、5年後があるとはとても思えません。少し調べれば、もうすべてが破滅に向かっていることがわかります。それに対し希望や問題の解決策が存在せず、希望と絶望を天秤にかければ大きく絶望に傾きます。 「平和とは、戦争と戦争の間の期間だ」という言葉があります。そして今、その通りの時代になっています。そして、人間は地球のすべてを破壊してしまえるほどの兵器を手にしています。身勝手な理論で戦争をしている国があります。生き物には元来いたわりや慈悲などというものは備わっておらず、あるのは自己保存のための闘争本能です。そして死んだあともまたこの世界の脳味噌、生体反応の何かが自分として存在してしまいます。つまり、私達は無残な死から逃れられません。それが恐ろしいのです。 「耐えきれなければちゃんと死ねる」かもしれませんが、死ねないまま生きてしまう可能性もあり、また、死に至る痛み苦しみは避けられません。これを恐れるのは良くないことですか?
マンションに住んでるのですが、毎日必ず夜に上の階がうるさくて困っています。 大家とかに相談するのは、恨まれて殺されたり(大袈裟ですが)何かされると怖いので、泣き寝入りするしかないと思っています。 前に住んでたとこで大家に対処してもらってもやめてくれない人もいましたし…。 毎日悔しいし不快だし辛いです。 相手は面白がっているのか、嫌がらせなのか、非常識なのか…。 何にしても気分が悪い。 本当に誰かに相談する気はないので、ただただ引っ越すまで耐え続けるのでしょうかね。 すごい屈辱というか泣けてきます、どう思えばいいですか?
いつもhasunohaの皆様の回答を拝見し、参考にさせていただいております。今回は、私自身の将来への漠然とした不安について相談させてください。 2月から新しい職場で働き始め、2ヶ月が経ちました。仕事には少しずつ慣れてきましたが、給与と家賃のバランスが悪く、生活は楽ではありません。都営住宅への申し込みも何度もしていますが、なかなか当選せず、経済的な不安が募るばかりです。結婚する人ばかりポイント制で優遇されていて、単身者は死ねばいいのねと言われているような気がします。独身には辛い世の中ですね。 また、このまま一人で生きていくのかと思うと、心細く、将来への不安が押し寄せてきます。かといって、私自身、結婚できるような魅力的な人間だとは思えず、どうすれば良いのか途方に暮れています。 実家が東京の人はやはり強いな、と思いますし、実家から出ない分家賃がかからないのは羨ましくなってしまいますし、昨今の新入社員の給料が30万超えなどを見たりすると、生きている意味がないなあとなります。死にたい。 仕事、経済状況、将来への孤独感、様々な不安が入り混じり、どうすれば前向きに生きていけるのか分からなくなってしまいました。何かアドバイスをいただけると幸いです。
こんばんは。いつもお世話になっております。ありがとうございます。 新年度ですね。光陰矢の如しで、小学校入学から40年、統合失調症発症から20年経ちました。 就職氷河期世代だったので一度レールから外れると、なかなか元の道には戻れないですね。一時は、再チャレンジ社会といったワードもありましたが、今はそれもあまり聞かれなくなりました。 でも、今は時間だけはありますし、その時々でベストを尽くしてきたので、あまり後悔はありません。 僕が学生だった1990年代はバブルの果実の残りもあり、今よりもおおらかさがある時代だったと思います。 時代の空気はそれぞれ違いますが、今は今で厳しい社会情勢もありますが、まだ日本にも良さが残っていると思います。 このハスノハさんもその一つかなと思います。僕自身、この年齢になっても暗中模索ですが、仏教を一つのよりどころにして生きていきますね。 また、おおらかさがある時代が来て欲しいですが、自分自身もそんな社会の一助が出来ればと思います。 質問や相談とは外れてしまい、貴重な一枠を使わせて頂きまして、申し訳ありません。 新年度なので思うところを書かせて頂きました。ありがとうございます。
人間の欲望はもう抑えられず、誰もが「足りない、足りない」と不満を感じながら生きる時代です。その結果として、破壊的な軍事力を持つ大国が他国を力で支配することを正当化する時代になっています。このままでは人間が我欲を反省して分け合える生き物に進化する前に第三次世界大戦が起こって人類は滅びます。世界中の諸問題に対して抜本的な解決策が出せない、誰もが納得する正解がもう存在しない現代では、他者へ攻撃の矛先をずらすしか対処法がなく、力による支配がこれからより強くなるでしょう。 そもそも、人間も物質世界に囚われている動物のひとつでしかありません。野生の在り方を見ればそこに思いやりや慈悲などというものはなく、あるのは残酷な生存競争だけです。人間も物質世界を超克できず、それどころか物質的欲望で世界を滅ぼそうとしています。数々の悲惨な戦争を経験して尚独裁者は未だ権力に縋り虐殺を肯定し、世界の恒久的平和など夢のまた夢です。 人間でも動物でも、どうして生まれただけなのに踏み躙られなければならないのかという怒りでいっぱいです。これを諦めるのが一切皆苦の教えだというのも理解はできるのですが、実際のところは極楽浄土などなく、ただ死と生と暴力が、地球が無くなるまで繰り返されるだけです。そうでなければどうして戦争地帯や独裁国に今でも子供が生まれ続けるのでしょうか。どうして自然災害があるのでしょうか。全ては物質的世界に支配されているにすぎません。 人間はもう終わりです。戦争があるにしろないにしろ滅びます。そして次の脳味噌によって自分が作られたときは、今よりも絶対に過酷な環境です。この世界のありとあらゆる残酷なことが自分の身に降りかかるとしか思えません。ありとあらゆる情報が世界の終わりへと繋がっています。日本は火の海になる、世界は核兵器によって滅びる。これを止める手立てはどこにもない。今の世界情勢を見ていると、もう自分の命も長くないことが素人でもわかります。 永遠に自分の尊厳が踏み躙られる世界を受け入れたくなんてないのに、現実は容赦なく破壊へと向かっています。恐竜も隕石の前に成すすべなく滅びました。人間の脳味噌が発達したのは良かったのか悪かったのかわかりません。もう物質世界に存在していたくない。けれど物質世界以外でどうやって存在できるのでしょう?自分の意識や考えは脳味噌にしかありません。気体になりたい。