この先ずっと一人かもしれない
私の悩みは、誰にも選ばれないまま死んでいくのが怖いことです。
現在二十代半ばの女性です。
彼氏はいたことがなく、現在好きな人もいません。
職場には既婚者かすでに相手がいる方しかいません。
もともと男性と接することに恥ずかしさがあり、大学時代にやっと男友達ができたほどです。
皆で話したり遊べたりする男友達ができたのが嬉しくて、恋愛感情までは至りませんでした…
同級生が同棲をしたり、結婚の話がでたりする中、自分は相手すらいない。
そんな状況がつらいです。
以前コロナが少し落ち着いたとき、友人に誘われ街コンに行ってみました。
しかし「自分なんかより、可愛い子と話す方が楽しいだろうな」と卑屈なことを考えながら過ごしてしまいました。
そこで出会った人に誘われてご飯に行きましたが、マルチまがいに勧誘されて終わりました…
自粛ムードが広がり、ただでさえ出会いの場に行けない中、出会っても私は選ばれないのではないか。
そう考えるうちに、誰にも選ばれないまま一人で老いて死んでいく恐怖を感じるようになりました。
自分がつらい気持ちだからなのか、周りの人が余計に幸せそうにも見えます。
選ばれない恐怖をどうやって心の中で対処していけばいいのでしょうか。
まとまりがなく恐縮ですが、ご助言をいただけるとありがたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
花を見る 花も見ている
こんにちは。
以前聞いたある詩(出典不明)が思い出されます。
花を見る 花も見ている
子を見る 子も見ている
仏を見る 仏も見ている
自分からの視線だけではなく、向こうからの視線もある。
この2つのバランスが取れてこそ、物事は豊かに見えるのだと思います。このいずれか一つに偏ると、それは物事が半分しか見えていないことになるからです。
自分が「見る」だけを意識していると、反対側からどう見られているかが見えなくなる。かといって反対側から見られていることだけを考えると自分がどう見ているかが置き去りになる。やはり、双方向でバランスが取れることこそが、柔軟な姿勢で物事を考え、感ずる良い方途なのだと思います。
あなたは、「選ばれない」ということに悩んでいるようです。
「自分なんかより、可愛い子と話す方が楽しいだろうな」と考えてしまうのは、見られている、選択されているという一方向の見方になってしまってはいないでしょうか。
「もともと男性と接することに恥ずかしさ」があるのだと思います。
いきなり、アクティブにグイグイと攻めることは現実的ではないと思います。
しかし、少なくとも自分は見る側でもあり、選択する側でもあるという意識の持っていき方は少しづつ持つほうが良いと思います。
これは、対男性だけの話ではありません。
あなたは、景色を見たり、絵画を見たり、音楽を聞いたり等々日常の中で、何かを見て、素直に心で、言葉で表現できていますか。見る人生に喜びを感じていますか。人間は、評価される側であり、評価する側でもあるのです。
そういった日常で、様々な物事に向き合い、それをどう見て、どう捉えようかと目を輝かせる生き生きとした人には、男女を問わない魅力があると思います。
あなたは、今バランスが取れていますか。
よかったら一度考えてみてください。
質問者からのお礼
お返事いただきありがとうございます。
一方向だけの視点になっているというご指摘、ごもっともです。
選ばれる自信がないから、選ぶ(いいなと思う)ことは無駄ではないかと思っていました。
自分の想いが受け入れられず悲しくなるのが怖いのだと思います。
趣味を楽しんでも、どんな風に感じるのか積極的に表現していなかったと気づきました。
まずは身の回りのことや趣味に対して、見る側に立って表現できるようになりたいです。
メモに少しずつ書いていこうと思います。
考えるきっかけをいただき、ありがとうございました。