自分の人生なのに自分がそこにいない
私は現在母と犬と暮らしております。
幼い頃から親の顔色を伺って生きてきたせいか、今になってもそれが抜けず自分のやりたいことをためらってしまうことがあります。
また、自分のことにお金を使うことに罪悪感を感じます。
食事に行く時も好きなものより値段をまず見てしまいます。
仕事でも人に気を遣いすぎて空回りしてしまって疲れてしまいます。
仕事の内容や人間関係も上手くいかず、やめることもありました。
また、何か問題があったり悩みがあるとずっと考えてしまい仕事に集中出来ません。
いまの仕事を頑張りたいのに、誰かの何かを背負ってしまいます。
いっそ死んで楽になりたいと思うことがしばしばありますが、家族を置いて先に死ぬことにも罪悪感を感じます。
拙い文章で申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
欲望との付き合い方は非常に大事です。
全て欲望を払拭するのは精神衛生上あまり良くない。節制癖がついておられるようなので、非常にわかります。
もしコンビニでおにぎりを買えと言われれば高菜か鮭か。128円までにしよう。お茶もプライベートバリューの100円しないやつにしよう。いや、コンビニよりスーパーのおにぎりの方が税込80円までだしお茶も70円までですむな。。。など
しかして精神衛生を保つことは、ご自身の就労意欲にも繋がります。これはご自身への些細な投資です。
今日はイクラおにぎり150円とかちょっと贅沢してやろう。。。という適度な罪悪感もまた刺激になります。
僧侶としてありまじきアドバイスでは?と思われますか?
欲望は飼い慣らせば、一般社会においては原動力です。ここでいきなり7万円のステーキを食えというのは、むちゃくちゃです。しかし、ほんの僅かなワガママは誰にも迷惑をかけません。
今日はサイゼリアじゃなくてカプリチョーザで。
それもいいじゃないですか?
あるいは回転すしで300円の皿食べてやる!でもいいと思います。
できる範囲のワガママをちょこっとやるのは誰も咎めません。むしろ坊主が推奨します。
やり過ぎは注意ですが、ほんの少し...とご自身が許す程度でやってください。
ご自身のために出来ない!ならば、お母さんに贅沢を。それも厳しいなら愛犬にciaoチュールみたいな高いおやつを、ちょっとお布施してあげると気分が少し昇華されるやもしれません。
お力になれなければ申し訳ない。。。
質問者からのお礼
回答をしていただきありがとうございました。
コンビニのおにぎりのお話はまさにその通りすぎて笑ってしまいました。
実は家族にはお土産を買って行ったりなどお金を使っていましたが、自分のことになると途端に使えなくなるのです。
しかし、自分の為に何かしてあげることで自分の人生は自分の為にあるということがわかるようになるかもしれません。
少しずつ自分の欲望に忠実になってみようと思います。
本当にありがとうございました。