人生の修行なのでしょうか。
6月、正社員として就職して順調に歩み始めた頃から社内のパワーハラスメント行為を受け続け、心体とも限界が近づき欠勤を繰り返し僅か1ヶ月余りで退職しました。
昨年来の緊急入退院から生活は厳しく、社会福祉のご支援を頂きながらの生活を現在も続けています。
7月、退職して以降に支援金だけで生活が厳しく日雇いのアルバイトを繰り返しながらの生活。
食費、生活費の大半を日雇いアルバイトの収入を充てていて、アルバイトを休むと収入が無くなる分、生活は更に厳しくなっています。
この数ヶ月、安定した収入のメドが立たず日雇いアルバイトを繰り返しながらの生活、さすがに気持ちがまいってしまうことが増えました。
パワーハラスメント行為を受けた当時と比べ気持ちは精力的にはなっていますが、就職活動を続けながらいつまで同じような生活が続くのか不安です。
その不安を1日中、思ったり心配かけまいと思い高齢の両親、兄弟、数少ない友達にも打ち明けていません。
取り留めもない文章ですみません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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エサを探して旅をするライオン家族
野生動物の場合、まともなエサにありつけずに何週間も旅をするのは普通です。
あばら骨が浮き出た飢えたライオンの群れが獲物を求めて旅をしているのを、テレビで見ました。
人間も動物だから、本来、ギリギリの生活で生きながらえるのが普通なのです。
少なくとも江戸時代くらいまでは、ほとんどの日本人は腹いっぱいお米を食べた経験もなかったはず。
つまり、いつまでも同じような苦しみが続くのが、普通なのです。
命の電池が尽きるまで、死ぬまで生きる。
それは修行ではありません。
むしろ、前世で修行が足りずに成仏できなかったから、再び苦しいこの世で生きるハメになったのかもしれませんね。
仏教を学び、貧しくても、仕事がつらくても、心はいつでも幸せな休憩時間を挿入可能であるという、心の性質をつかみ取りましょう。
心の変化速度はかなり速いので、苦しい毎日の中にも秒単位で無数の幸せを挿入できる。
仏教は、そのテクニック(修行方法)を教えてくれます。
質問者からのお礼
有難うございます。