運や縁という言葉が嫌いです
28年間、彼氏がいません。
結婚はしたいです。
周りの結婚に焦りを感じています。
人に対しては真面目に誠実に接しているほうだと思います。
ですが、浮気をしたり遊んでいる人の方が幸せとされる結婚や出産をしていきます。
真面目に生きていれば報われるというのはあり得ないと思っています。
あと、結婚は運や縁と言いますがそれを言ってしまえばわたしには運や縁がないということなるのでその言葉が嫌いです。
縁って何ですか?
頑張っていれば報われるって本当ですか?
苦しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「報われる」ように工夫をして「頑張」る
こんにちは。
前回も御縁ありました。
あなたは、前回このように書いていました。
周囲の友人が彼氏がいるのに浮気をしていることを知り、「人を裏切るような悪い事はしていないのになぜ幸せになれないのだろうと思い、苦しい」と。そして、「誰かと比べなくて良い、自分は自分と理解はしていますが毎日、涙が出てきてしまい気持ちを抑える事ができな」いとも書いていました。
今回も同様に「浮気をしたり遊んでいる人の方が幸せとされる結婚や出産をして」行くことへの不条理を述べています。
あなたの周囲の友人には、たまたまそういう浮気や不倫をしている人の方が多いという実体験があるのかもしれません。しかし、私は友人知人等の周囲にそういう人が多いという認識はありません。ごくごく少数派です。
また、それが統計上(おそらく正確なものは存在しないでしょうが)多数派だからといっても、「浮気をしたり遊んでいる人の方が幸せとされる結婚」ではない結婚をしてみせる、でよいのではないですか。
「人を裏切るような悪い事はしていないのになぜ幸せになれないのだろうと思い、苦しい」と書いています。しかし、「真面目に生きていれば報われる」つまり具体的に結婚ができる、ということではないと思います。
人は「真面目」なところをだけを見て好きになったり、結婚しようかと思うのではありません。相手の輝いているところ、人間味のある所、愛嬌のあるところを見て好きになるのです。その相手がたまたま「真面目」な所を長所として好きになるかどうかであって、「真面目」なところはあくまで人の長所ポイントの一つに過ぎません。
また、前回指摘したようにあなたは「一目惚れでしか人を好きになれず」という現状、つまり表面的なファーストインプレッションでしか男性を見れていない。これは、男性の内面を見るという所まで掘り下げた事がない、ということだと指摘しました。
これは同時に、あなたが男性からどのような長所を持って自分を見られているかの経験値が不足している、とも指摘しました。だから、経験値を積むための具体的な行動を起こしましょうとも。
「頑張っていれば報われる」というよりも、「報われる」ように工夫をして「頑張」るという方があなたの現状に即していると私は思います。自分の推すポイント以外の視点に気がつける要素を与えてくれるのが「縁」です(字数制限)
質問者からのお礼
ありがとうございました!