拗らせ 新社会人 童貞
自分が嫌いで死にたい。
彼女いない歴=年齢です。
男性 22歳 エンジニア 新社会人です
童貞 処女厨です
学生の頃、恋愛は社会人からでいいやと考えていました。それは学生では別れるタイミングが多いと思ったからです。高校は大学で、大学は就職で。進路に足枷になるかもと考えていました。
ですが、この四月に社会人なり、急に後悔と自責に襲われました。
私は生涯付き合うのは一人でいいと思いましたし、それも相手には望みます。
ですが、この歳で自身の好みの女性は誰とも付き合っていない人はおらず、私は付き合わなかったのではなく、誰とも付き合えなかっただけなのではと感じて来ました。
そう考えると今まで自分が信じて来たことが馬鹿らしく感じて来ました。
周りの同期も既に彼女がいるかたもいます。いない方にもこの話をして、どのように解決するべきか聞いてはいます。
こんな思いをするのであればはやく恋愛をしておけばよかったとも後悔しております。
そして、そんなことを考えてしまった自身の阿呆らしさ、後悔で、もう死にたいと感じています。
これだけで死にたいとは思いませんが、恋愛を考えている自分が嫌いです。恋愛できないことで死にたいのではなく、それすらもできなかった自分が嫌いであり、もう自分が自分でありたいとは思えなくなっています。
どのようにしたら自分を肯定できるのでしょうか?心を強く保つのは難しいです。死ぬことを考えてしまいます。(死ぬなら飛び降りで、場所も確保済み)
今はナンパやマッチングアプリ、出会いの場所に足を運んでいます。また、筋トレや服装、髪などの清潔感も学び、気をつけてはいます。
嫉妬や妬み 自己嫌悪によって死にたくなる
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今の調子でどうぞ頑張って下さい
こんにちは。
「今はナンパやマッチングアプリ、出会いの場所に足を運んでいます。また、筋トレや服装、髪などの清潔感も学び、気をつけてはいます」とのことです。もう、それで宜しいと思います。
過去の自らの足りなかったことを後悔しても、過去に戻れるわけではありません。
失敗や欠点は反省し、心機一転次に向かう。
それしかありません。
実際、あなたはそうしているのでしょう。
もし、あなたが現在の自分から過去の自分を見て、あるべき自分でなかったと嘆いているとするならば、それはあなたのプライドの高さ、結果論からものを見る思考、見方があなたを苦しめているのです。
結果論では何とでも言えます。
織田信長に討ち取られるのだから、桶狭間で今川義元は慢心すべきではなかった。
恋愛のタイミングを先伸ばしにすると後悔するのだから、早めにその機会を作っておいてた方がよかった。
これは、ジャンルも時代も違いますが結果論という点では同じことを言っています。
また、その結果論とともに、判断に自身を持っていた自分自身のプライドが傷つけられた、やり場のない複雑な心情を持て余してはいませんか。自分は間違うこともあるんだな、ま、いいかと力を抜く必要がありませんか。
いずれにせよ、少し心と考え方の軌道修正をしつつ、今の調子でどうぞ頑張って下さい。応援していますよ。
瞬間ごとに新しい心
あなたのようにしっかりと考えられ行動もできる人なら、社会人になってからでも良い出会いがあるはずです。
ただ、仏教では執着・こだわりは悩み苦しみの原因になると考えます。
恋愛経験のない女性だけにこだわらず、チャンスがあれば付き合ってみましょう。
そうすれば自信につながります。
なお、飛び降りについては、第三者に被害を及ぼす巻き添え事故を避けてくださいね。損害賠償請求されたらあなたの遺族にも迷惑がかかるでしょう。
仏教では、心は無常、心は瞬間ごとに浮かんで消えると考えます。
つまり、あなたという存在も瞬間ごとに新しいのです。
人生は、壮大なスケールで考える必要はありません。
ただ瞬間ごとに、今できることをできる範囲でやれば良いだけです。
過去はただの記憶データにすぎないのです。
後悔を手放し今に集中していれば、脳内で余計なアプリが動いていないようなもので、心身は軽やかです。
質問者からのお礼
ありがとうございます
言葉を聞いて少しトゲが取れた思いはします
とにかく毎日生きてみようとは思います