夢を諦めたくないが、過去の事などに躊躇
私は絵を描く仕事に就くという夢をずっと持って生きてきました。
自分のクズさ加減にその夢を叶える努力をすることに躊躇してしまいます。
病気の問題もありますが、過去のこと、そして自分の悪い部分を思うとなんだか良くない気がして努力すら出来ません。
体も心もつらく、ただ日々を生きること、目先のことで一杯一杯になってしまいます。
自分には夢におもう資格もないのだ、と責めてしまいます。
責める以前に夢を追いたいなら努力をしなければいけないのですが、体調が悪いときは何も出来ず、体調が良い時は考え込んで心が苦しくなり出来ない。
他に優先してやるべきこともあり時間をとれない、なんてことが多々あります。
夢を叶えることが出来たとき、素の自分、過去のことは何も言わず、関係ないと思っても良いのでしょうか。
仕事や夢と自分自身を切り離して考え、夢を追って良いと考えても許されますか?
これから先を誠実に生きていくなら、過去の自分を気にして夢を諦める、なんて選択は取らなくてもいいのでしょうか。
同じことについてばかり質問してすみません。
夢について明かすことすら少しこわいと思ってしまいます。
それでも夢を諦めたくないため、一人で思い悩んで抱え込んでも、何も良い方には転ばないと思ったのでまた頼らせていただくことにしました。
お力添えいただければ幸いです。
ご回答よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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出来る範囲で「努力」するために
こんにちは。
以前にも、一度ご縁があって回答しました。
前回は、ご自身の過去のことについて、心の持ち方をご案内しました。
このため、今回は「夢」と「努力」についてお話します。
あなたは次のように書いています。
「夢を追いたいなら努力をしなければいけないのですが、体調が悪いときは何も出来ず、体調が良い時は考え込んで心が苦しくなり出来ない。他に優先してやるべきこともあり時間をとれない」と。
基本的に「体調が悪い」ときに無理に「努力」する必要はないと思います。
心に鞭打って、心と身体を関係の距離を開けてしまうことは望ましくありません。
心を無視した、体を考えない「努力」は続かないものです。
しかし、「夢を諦めたくない」という気持ちもあるのですよね。
私が提案したいのは、出来る範囲で決まった時間にする、というルーチンワークにすることです。
「他に優先してやるべきこともあり時間をとれない」と書いていますが、「時間」はとれるかとれないかではなく、作るものだと思います。これは、「努力」においては鉄則です。「他に優先してやるべきこと」に「時間」が取られにくい、早朝や深夜など時間を決めて実行するのです。
人間は、習慣化すると自然とできる、というところがあります。
やる必要がある、と心と体に覚えさせるということです。
あくまで自分の経験上のお話ですが、やろうかやるまいか心と相談して、結果、心と体とが一致した時、初めてよっこらしょ、と立ち上がる。これは続きにくいのです。
ご自身の過去との折り合いがついて「夢におもう資格」があるのか、ないのかが決着してからではなく、「仕事や夢と自分自身を切り離して考え、夢を追って良い」と考えればいいのだと思います。
お大事にされながら、どうぞ出来る範囲で「努力」してください。
質問者からのお礼
釋 悠水様
以前も、そして今回もご回答くださりありがとうございます。
時間をとれない、というのは自分でも言い訳している部分があるのだろうという自覚がありました。
『「時間」はとれるかとれないかではなく、作るものだと思います。』という言葉にハッとさせられました。
ルーチンワークについて、自分でも色々考えて試してみようと思います。ためになるアドバイスをいただけてありがたいです。
切り離して考えても良いと肯定していただけて、夢に向かって進む決心がついた気がします。
あたたかいお言葉にいつも救われています。
体調などと相談しながら、努力していきたいです。
お忙しい中ご回答いただき、誠にありがとうございました。